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常に「西」を向いていた。

日本語教師として授業を始めて4か月ほどが経った。
授業準備が大変、学生はかわいい、日本語ムズカシイ、教育って難しいけど面白い。

そして、私がいかに西側、つまり、欧米を見ていたのか。

それを今、痛感している。
(いい悪いの話ではなく、ただの個人的感想、妄想だと思ってお読みください)

▼ネパールの学生

留学生・日本語学校と聞いて、どんな国籍の学生を思い浮かべるだろうか。

アニメが好きなアメリカ人? 日本文化に憧れるフランス人?

学校にもよるが、大半はアジアの学生だ。
当校は韓国人の学生はいない。中国人も少ない。

メインはネパール、ベトナム、バングラデシュ、ミャンマー。

これでなんとなく、「日本」と「日本語」の立ち位置が分かっていただけると思う。

私は、(超)初級クラスを教えている。
(たまたまだが)ほとんどがネパール人の学生になった。

ネパール人と会うのも、ネパール語を聞くのも初めてだった。
この仕事に就かなければ、ネパールについて何も知らないままだったろう。

ネパールは実は「多民族国家」である。
顔立ちは、いわゆるインド系から、シルクロードの民、そして私たちとほぼ変わらない東アジア系まで様々だ。

とにかく、みんな笑顔がきれい。素朴で、穏やかで、優しくて、礼儀正しく、素直。掃除もとても丁寧。
ほとんどの学生は英語が(彼らによるとネパール英語だそうだが)話せる。英語力は、日本人とは比べ物にならないくらい高い・・・。
ネパールの文化について聞けば、(英語で)どんどん教えてくれる。
ネパール料理の写真を例に出すと、「これは〇〇! おいしい!」といつも言ってくれる。

しかし。カルチャーショックもたくさん受けた。

一番びっくりしたのは、欧米文化にあまり関心がないように見えることだった。言っておくがそれがいいとか悪いとかいう話ではまったくない。

彼らの大半は高校を終えて日本に来ている(はずだ)が、スタバを知らない人がいる。マクドナルドを知らない人がいる。ロンドンがイギリスの都市であることも知らない。ヨーロッパの国旗を見せてもいまいち反応が薄い。

そもそもヨーロッパやアメリカにほぼ関心がないようなのだ。(世界的に有名なゲームとかだと知っているらしい)

最初は衝撃だった。でも次第に分かってきた。
私は個人的に、小さい頃からヨーロッパ文化に触れ、すごく好きだったんだと。

▼”脱亜入欧”な子ども時代・・・

私はとにかく小さい頃から「西側」を向いていた。
小さい頃に読んだ「外国」の本といえば、小公女セーラ、小公子、長靴下のピッピ、赤毛のアン、あしながおじさん・・・。
ロビンフッド。シェイクスピア。ギリシア神話。聖書の物語。

小3あたりから、母親の影響もあってミステリ(シャーロック・ホームズ)にハマった。ドイルとアガサ・クリスティを生んだイギリスが大好きになった。

中学か高校で『ベルサイユのばら』というフランス革命マンガにはまってからは、フランスの歴史や文化の本。
アメリカの小説(村上春樹や柴田元幸さんが訳したもの)も読んだ。村上春樹が好きと公言している、カポーティ。フィッツジェラルド。チャンドラー。そして、レイ・カーヴァー。

私が分かる外国語が英語だったからかもしれないが、一貫して私はヨーロッパ(といってもこれもとても広いが…)とアメリカを向いていたのだ。
「西側諸国」を向いていたのだ。

「いい・悪い」を置いて聞いてほしい。とにかく私はイギリス、フランス、アメリカの文化を知りたい!!と強く望んでいた。
ごく最近までアジアにはまったく興味がなかった。

▼痛感

そんな中、私はウクライナ避難民の方とハンガリーの方のクラスを教えることになった。ごく少人数、かつ、留学生よりも大人である(留学生は20代前半が多い)から、主任の先生と相談しながら、留学生とは全く違う、プライベートレッスンに近いスタイルを模索中だ。

この、ヨーロッパから来た大人と、ネパール人学生を両方教えるようになって、分かったのだ。

私がいかに欧米を向いていたのか。

この大人たちは、(歳が上で社会人経験があるということも大いに関係あるのかもしれないが)、明らかにネパール人学生とは違う・・・。

一つは、やはり・・・事実として、国家の全体的な教育レベルが違うのだと思う。

さらに、ベースで知っているものが近い、教養が近いので、言葉が通じなくても、なんとなく分かる。

(ウクライナの方は、母国語のウクライナ語、そしてロシア語、そして英語が完璧に話せる。ハンガリー人の学習者も英語が完璧。したがって、授業はほぼ英語・・・私は英語ができないためジェスチャーとカタコトの英単語を駆使・・・最後の手段はGoogle翻訳。なんとかなるb)

「違う」のはもちろん楽しい。
ネパールの学生に教わることも、とても多い。
ネパールの民族衣装、ネパールのお祭り、風習を知るのはとても楽しい。

どちらの文化が上で下、というのは、ない。日本語教師は文化相対主義であるべきだ。

ただ、私自身が「なんて欧米への憧れが強いんだろう」と痛感しているのだ。

この「憧れ」「好き」という感情は、もう、理由がない。ただ、ただ、私は「いいな! 好きだ!」と反射として、思ってしまうのだ。

▼日本はアジア(・・・?)

でもおそらく、多くの日本で育つ子どもは、私と同じように、小さい頃に触れる文化(私は本が好きだったので「文化≒文学」だった)は、中国や韓国の文化ではなく、アフリカや南米のものではなく、東欧のものではなく・・・西ヨーロッパのものではないだろうか・・・? 

日本の風習の中には、実は中華圏や東アジアに共通するものも多い(干支とか中秋の名月とか)のだが、あまりに溶け込んでいて意識することがない。

これは別に文句とかそういうんじゃなくて、ほとんど妄想なのだが、日本は自分をアジアの一員だと本当に思っているのだろうか。

日本の自意識として、ざっくりどの文化圏に所属しているかと聞かれて、なんと答えるんだろうか? 

実はいまだに「脱亜入欧」なんじゃないか?
がんばればNATOに入れるとか、アメリカの自治州になれるとか、なんかそういう感覚ないか・・・?

これらも「違う」文化の学生を教えてみて分かることだ。ありがたいことです。

私は、究極的に私自身にとても関心がある。まだまだ私について知らないことがある。おもしろい。


これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m