BLMで思った、日本の議員センセイに伝えたいこと(2020.10.8)
アメリカの大きなニュースとして、BLM(Black Lives Matter 黒人の命も大切だ)に関する、様々な映像を見る機会が多くなった。(今はアメリカだけでなく世界中に伝播しているという)
ちなみにみなさん、
Black Lives Matter
の文構造、すぐわかりましたか・・・?
私は、「どれが主語でどれが動詞なの???」と思ってました。
正解は
「Black Lives」が主語
「Matter」が動詞だそうです!!!
(参考)
https://uniwords-english.com/black-lives-matter/
Black(黒人の)lives(命・生活lifeの複数形)がmatter(重要である)。
matterって動詞なのか! 「It doesn' matter.(重要でない=問題にならない)」か! matterは名詞も動詞も同じ形なんだね。外国語ってほんと面白いなーっ!
ちなみに村上春樹は、先日ラジオ番組(村上RADIO)で「黒人だって生きていると訳したい」と述べていました。超訳・・・。
みなさん、映像を見ていろんなことを考えたり感じられたと思います。
この問題は、たぶん多くの日本の人には想像がつかないくらい苦難の歴史から出現しており、当事者でないのに軽々に語ることはしてはいけない(できない)と思います。私は人種・国籍・出自について今まで何の苦労もしてこなかったです。それは単にラッキーなだけでした。
それで、本質的ではないかもしれないけど、この問題の重さ以外のところで私が感じたことを書いてみました。みなさんの感じたことも聞かせてください。
▼アメリカの普通の人、演説うますぎ!
主にアメリカのBLMの映像を見て思ったこと・・・
・みんなカジュアルにデモ行くんだ
(デモ=左翼か右翼みたいな日本とは違う)
・アメリカのデモってお洒落、手作り感
(日本のデモは、組織が主導しているというイメージがまだ強い・・・そうじゃないデモもあるし、組織がデモをしてはいけないわけではないが)
・おかしいと思ったら平和的に抗議の声を上げることが、一般市民に浸透している
(我慢してしまうと問題なかったと思われるので、おかしいことはおかしいと言ってみることは大事なことだと思う)
・アメリカには、少なくとも、デモする自由は(まだ)ある
(デモすらできない某国とか某国とかとは違う)
そして極めつけはこれ。
・ふつうの市民が自分の意見をちゃんと言える。
それを思ったのは、今回のBLM運動の発端となった、警察官に首を絞められて亡くなった黒人男性の遺族が、屋外で、集まった聴衆に演説しているという映像を見た時。
即興だろう。ご遺族は、おそらくは、学校や大学の先生とか活動家(アクティビスト)とか、日常的に誰かに演説するような職業ではないと思う。でも、大事な家族を亡くした直後にも関わらず、論理的に言いたいことを、説得力を持って、伝えていた。もちろんペーパーやメモなどない。
なんだこれ・・・。
圧倒されました。その、「言葉」の力と熱量に。
▼聞いてもらえなきゃ始まらない
ひるがえって、日本で、個人が大勢を相手に公の場で話す場面があったとして。大半の人はその場でぱっと論理的に話すことはおそらく難しいと思う。
ましてや意見の合わない人たちと「論戦」など、ほとんどの人はできないのではないだろうか。
「バカヤロー!」とか「ふざけるな!」とか「ゆるせません!」とか、怒号が飛び交うことにならないか(国会と朝ナマ)。
もしくは言葉にならずに掴み合い(国会)。
「話ができる人」を「相当の時間(10分とか30分とか)話をし続ける技術」だと思っている人もいるかもしれない。つまり「長く話せる人」。
いや、話がつまらんかったら意味ない(逆効果ですらある)。
人の耳と時間を奪っておいて、”つまらん話”をきかされると、私は本当に腹が立つ。
聞いてもらって、理解してもらってナンボっしょ?
ボケとかギャグとかユーモアとか「笑い」を入れろなんて言いません。それは超上級者がやることですし、そういう観点で「面白い/つまらない」と言っているのではありません。
言いたいことだけをだらだら話しても、人の耳に入ってこないでしょう。
それがいかに大事な話だろうが、いい話だろうが、聞くべき話だろうが、
つ ま ら な か っ た ら
人 は 聞 き ま せ ん。
大学の授業を思い出してほしい。
教授は、「教授」であるくらいなので、すばらしい研究成果を出されており、その教授がなさる授業内容はまっとうな、大事なことを伝えているはず。言ってる内容(授業)は聞く価値がある話のはずです。
でも教授の話(話し方)が面白くないので、全然聞く気になれない。
ありましたよね!? そんな授業が。
私が思う「人前で話す時に重要なこと」は以下の通り。
①情熱> ②聞いてもらう技術 > ③スピーチ原稿の書き方、組み立て> ④表現・レトリック
▼おーい政治家・・・
で、一般の人が話ベタなのは、現在の日本社会ではとりあえず「社長(先生)は今日も話長くてつまらなかったね」くらいで済みます。後で言いますが、これまで私たちは人前で話すことについて教育を受ける機会がなかったからある程度は仕方ないでしょう。
でも、議員でも、話が面白くて引き込まれるという人がほとんどいない。これは問題じゃないの?
れいわの山本さんくらいじゃない? でも彼はもともと俳優。
だからみんな「橋下徹」に「魅力」を感じてしまうのだ。
主張の内容じゃなく「とりあえず聞いていられる」程度には言葉を組み立てて発する技術がある人が、あまりにも議員にいないから。
アメリカ大統領選のバイデン候補の副大統領候補に選ばれた、カマラ・ハリス上院議員の演説見ました? 下にリンク貼っとくんで、2分くらいなので、ぜひ見てください。マジで訴えかけてくるから。コトバがわからないのに!!!
なんていうのかな、聞く気になる。もちろん彼らアメリカの議員は、選挙に受かるためスピーチの特訓を受けていると思う。いかに聴衆の前で「うまく」「話せる」かが、最低限の資格だから。
https://www.cnn.co.jp/usa/35158423.html (CNN)
日本では、政治家でもこんな特訓してる人はまだ少数派だろう。
(特訓受けてたらもっとうまくなるはずだ・・・)
▼もちろん、拙いながらも一生懸命に話したいことがあって話そうとしている人に対して、「つまんねえぞ」とヤジるのは違います。私は吃音や場面緘黙(かんもく)の当事者の会の人たちと、少しだけ関わったことがあり、そこで学ばせていただきました。なので、すべての人が「ペラペラ、すらすら」話せるようになることがゴールだ、と言うつもりはありません。ただあまりに「話が聞いてられないほどつまらない議員が多すぎ」と思うのは私だけ・・・? 意識高い人が国会中継を見ましょうとか言うけど、見てられないよ! 前首相の記者会見も気が狂いそうだった。話(話し方)がヘタすぎて!!
▼文化の違いもわかるけど~
思うに、ヨーロッパ(とイギリスから独立したアメリカ)は、
そもそも、「みんなで話す」=政治。
古代ギリシアから学問も「口頭でその場で論を戦わせる」スタイル。年に一度、みんなで演劇祭やってたくらいのコミュニティだからかなあ??(笑)
そして、為政者に対しては
演説しなきゃ、主張しなきゃ、(王様や領主様に)自分たちのこと気づいてもらえない!
という基本的な考えがある文化なのだろうと思う。
対して中華圏(漢字の国)は「文字」で記録し「書物」で学ぶ。
君子、余計なこと言わない。庶民、とにかくお上(神?)に従えばよい。
君子は基本黙ってて、必要な時だけ必要なことを言えばよい。正しいことはおのづから下々に伝わる、言わなくてもわかる・・・あ~~~私の大嫌いな「以心伝心」というやつ!!!
「いや、おおざっぱすぎだろ! 欧米だって書物から学ぶし、中華圏だって議論するわ!」
(はい、みなさん総ツッコミありがとうございます。私もわかってますm(__)m )
文化成り立ちが全然違うんだ、ということは理解できます。
でもーーーー
こんな混沌とした世の中になってきて、
「あとで文章で出します」「言わなくてもわかるでしょう」じゃ通用しない時もたくさんあると思う。
「考えていることを今、言葉できる」ことも、今の時代、ある程度は必要だ。
もちろんそれが全てではないよ!
でないと、弁の立つ、人の歓心を買うテクだけが異常にうまいやつだけが勝って権力を握る。それは違う。
だが、日本はそれをさっぴいても、
せめて政治家は、もーちょっと、しゃべりをうまくしないかい?
というのが私の意見。そういうお前はどうだって? 私は「情熱が溢れすぎてとにかく話が長い」で有名です!! ダメじゃん!!!!!(ほらこんな長文書いちゃうくらいだし・・・)
▼議論って何?
まず今の日本には「議論(論戦)」がない。明治維新の頃はあったかもしれないけど、なんか・・・継承されてない!!!
意見を否定すると人格否定されたと思う人も多い。
うん。私もショックを受けるよ。ガーンだよねガーン。
でも意見と人は別。そう思うようにしないと話ができない。
「そういう意見を持っている人だなんて思ってなかった!」という思いもあったりするけど・・・人は多面的な生き物なので仕方ないす(差別主義だけはダメですが)。
まず、私たちはそもそも「論理的思考」が何なのか知らない。
そんなもの食べたことない。
誰がどう聞いても差別的な言動をした区議が、「差別する意図はなかった」と言う。たぶん彼の中で、差別的言動も意図がないことも完全に調和し併存できている。非論理的である。しかも彼は町内のただのオジイチャンではなく。区議という、「選挙で選ばれて、議会で論戦をしなくてはならない職業」についている。。。
でも知らないのは当たり前。
日本では義務教育でも高校でも、下手すると大学でも
「論理的な思考とは何か」「議論するとはどういうことか」
ということを習わないから。
え?
全校集会で制服廃止について議論したよって?
ホームルームもあったじゃんって?
それ、「議論」にならなかったんじゃないですか?
議論の体裁をした「意見の言い合い」をして、
多数決とって、結局は制服は廃止にならなかったですよね。
「説得」の技術を身に着ける機会がないのだと思う。
論理が何か知らないから、
説得する方もされる方も
「論理的に説得する/される」
ことを知らない。
で、結局「感情に訴えかける」人が勝つ。
感情に訴えかけるのは論理とは無関係だ。メチャクチャなことでも、心を動かしたら、人は動く。(だからトランプが大統領やってる)
一方、日本では、記者と話がかみ合わない人が首相になり、法解釈がどういうことか知らない人が首相の周りを固めている。
→→→ここから先は、法学部イチの落ちこぼれだった私が言うこと自体ヘソが茶を沸かしちゃうくらいおかしいことで、諸先輩方にはぜひご指導いただきたいところなのですが。。。
法律ってその条文だけじゃあまりに広すぎる(からそのままは使えない)。
だから、長い時間かけて、いろんな人が「解釈」を積み重ねる。
「この法律のこの文言はこういう意味ってことでいいですね」と。
例えば憲法。憲法って全部”めちゃ良いことが書いてある”けど、実際の社会でどう運用するかとなると、広すぎる(=いろんな意味に取れすぎる)。だから、それをどうやって使えばいいかっていうのは、学者とか裁判官とかが解釈を「積み重ねて」いくのです。だと私は思っている。
それを変更するっていうなら、それ相応の根拠が必要。
裁判(判例)も同じで、過去の判例はそれ相応の理由・根拠があってそうなってきてます。先人たち(先輩の裁判官たち)が、総合的に判断して、そういう判決を書いてきた。
だから社会情勢の変化に合わせて判例を変える時は、相当な根拠を持って、裁判官は全ての責任を負って、変える。だから判例が変わるとニュースになる。
過去を軽視して否定するためではなく、
過去を尊重しているからこそ、根拠が必要なのだ。
例えば、夫婦別姓。
「もう古いよね」って思うのはカンタンだが、
でも「だからなんとなくやめます変えます」とはいかない。
なぜ「古い」と思うのか、いかにそれが現在の社会情勢に合っていないか、言わないといけない。(なかなか言ってくれないんだけどねーー)
・・・あー冷や汗。オチコボレの私が理解しているのは上記のようなことなのです(間違ってたり補足があったら、優しめに教えてくださいませ)。
しかし、こんなことは、政治家(議員)なら全員知っているはずのことなんです・・・。だってほぼ授業についていけてなかった私ですら知っているんだから。
でも、なぜか前の首相の頃から、「解釈変更の”重み”を知らないの?」っていうような人が、首相と議員と官僚をやっているような気がする。
為政と、民間のビジネスとはそこが違う。ビジネス的な思考で効率化した方がいいところもたくさんあるけど、法律や政治にベンチャーの”朝令暮改”スタイルをそのまま取り込むのは危険だ。ましてや、「前のままだと自分たちに都合が悪いから解釈を変えちゃえ」などというのは言語道断。そんなことしたらなんでもありや~。
官僚も知らないはずがない。
役所は前例(過去)踏襲の権化みたいな組織だ。
だから、法解釈の変更がどういう意味を持つか、知らないわけがない。
無理筋だとわかってやっていないとおかしい。例の会議の任命の話とか。
官僚が泣きながら仕事してないか心配だ。。。
泣いてないならもっと心配であるが。
▼(まとめ)結局言いたいのはコレ
なんか話が拡散してきたのでーーーまとめてみる。
BLMでアメリカ市民が演説うまいのにびっくり!
↓
日本では”聞いていられるレベル”の演説する人めったにいない
政治家にもいない! それは問題だ
↓
なんでいないんだろ?
↓
そもそも、人と話す時に必要な、
論理性や議論・説得の仕方などを学ばないまま大人になるから
↓
でも政治家は知ってないとダメ。
法律や裁判は論理の積み重ね。
↓
とりあえず政治家から「話すこと」ができて議論ができるようになりたいね・・・そのためにも全国民の話すことのスキルアップをしたいね(底上げ)
じゃあ、どうする?
話がうまくなるセミナーとかに行く??
その前に・・・みなさんもしかして、そもそも「言いたいことなど何もない」状態じゃないですか?
例えば、町中で、現在論点になっていることをインタビューされて、とっさに「自分の意見」と「その根拠」がぱっと言えますか?
意見があれば、話し始めることはできる。
その意見の言い方(話し方)を論理的にすることは、時間をかけて訓練すればできる。
でももしかしたら「ニュースで騒がれてることに対して、何も感じない」ことが多いんじゃないでしょうか?
「忙しすぎて考える時間がない」んですよね。でも本当は、市民が考えないから、老人の政治家がてきとうなことをやりだすんだと思う。(市民とかいうとサヨクみたいだけどーーーーシトワイヤン的なフランス人民的なベルばらのオスカル様のニュアンスでよろしく!!)
Twitterでうちらがワーワー騒いだら、
いくつかの物事が消えましたよね?(アベノマスク再配布とか)
Twitterでハッシュタグつけるだけが全てじゃないけど、とりあえず「俺ら見てっからな?」という姿勢くらいは、政治家に見せつけておいた方がいいと思う。勝手なことすんなよ?って。
そして、まず政治のことを考える暇もないくらい「忙しい」のは、「おかしい」ことです。やること減らしましょう。
私も昔、仕事で毎日疲れすぎてニュースも見れず、社会や政治への関心が薄れきて、やばいと思いました。
でも若くて働いている人が疲れすぎて政治に興味がないと、
ヒマで新聞とニュースを毎日じっくり見ている(老い先短い←失礼。でも本当のことだから。)老人たちの思うツボです。
話がつまらない政治家に対しては
「#お前の話はつまらん」と
言ってやりましょう(©大滝秀治)。
って、私は別に政治とか活動とかやりたいとか全くない!!! 右翼とか左翼とかもようわかりません~!
とにかく平和に、人に迷惑をあまりかけない範囲で、自分の思う通りに静か~に暮らしたいだけ。ほんとに。。。
ただ、私は、誰であろうと”つまんない話”を聞かする人が本当に大嫌いなのさ(笑)
※今日の話は、瀧本哲史さんの著書『武器としての決断思考』に影響されています。すぐ影響受ける。
※予言するが、たぶん首相の所信表明演説も超絶つまらないと思う。(ていうか、まだやってないのかよー。。。)
これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m