見出し画像

コミュニティが幸せをつくる

昨年4月からの緊急事態宣言。

その少し前からトライアルでテレワークを実施し始めていた当社では、これ幸いと早々に原則出社を取りやめ、完全テレワークへ移行した。

家に仕事場所がなかったり、子どもたちも学校や幼稚園が休みになったりと、みんな探り探りのテレワーク。

ミーティングなどはオンラインで既に何度か実施していたし、多少通信量の逼迫などもあったが、意外にも仕事自体はしっかりとできていた。(もっとも、売上が目も当てられないほど苦境に立たされていたわけだが…)

そんな中で、ぼくだけでなくみんなが感じていたのはズバリ“寂しい…”というこの感情。

そうなのだ。通勤電車から解放されて仕事の生産性はどうかわからないが少なとも“通勤”という時間がなくなったことでずいぶん自由に使える時間が増えた。

僕など往復で3時間は時間が浮くし、変に上司や後輩から話しかけられないから集中できたりもする。

にも関わらず、“ひとりで仕事をするのは寂しい”のである。

だから期間内で数日だけあった出社日はなんだかちょっとワクワクすらした。
みんなに会えるのが楽しみだった。

そんな経験をしたぼくらだが、その後はテレワークと出社の日を業務の都合にあわせて調整する日々。

そしていよいよ、本格的にコロナを乗り越えようという今、会社としてこのままテレワークを推進していくべきか、元通りに基本は出社という体制に戻すのかの過渡期にきている。

”出社はできるようになったけど毎日出社する必要もないよね”という社員の意見の一方で、”それで効率化できてるのか怪しい”と思っている経営陣。

そもそも出社をすれば効率化できるのか、テレワーク中に転職活動をさせないためじゃないか、などの意見はひとまず置いておいて、今回はコミュニティの話をしたい。

コロナ禍で、会社の仲間と会う機会が極端に減った中で、感じたこの”寂しさ”。

同じ目標に向かって切磋琢磨する仲間との関係が、これほどぼくらの心の支えとなっていたとは夢にも思わなかった。

そして、思う。
職場というコミュニティを失ったとしたら、自分は他に居場所があるのだろうか。

家庭コミュニティ

まず一番に思いつくのが家族というコミュニティ。

ぼく自身は妻と3人の子供がいる。
昨年4〜5月の緊急事態宣言下では子供たちも学校や幼稚園が休校・休園になってしまったので、むしろ静かに仕事のできる場所がなく、車に避難してミーティングに参加したことも一度ではない。

騒がしいことに加え、風邪を引いたら看病もしなければならなかったり、オンライン授業の対応もしてあげなければならなかったりと、こちらも仕事にならない状況ではあったが、忙しくしている分職場の仲間に会えない寂しさは軽減される。

一方で独身の後輩たちはどうなのだろう、と余計な心配をする。
一人きりで家の中で悶々と仕事をしているだけでは息がつまるし、集中力も続かず結果的に生産性が下がることも多いかもしれない。

こればっかりは人の性格にもよるものだが、家族というのも自分自身の存在価値を確認するには重要なコミュニティのひとつであると改めて感じた。

友人コミュニティ

学生時代の友人や前職同僚、地元の友人などこれまでの人生の中で所属していたコミュニティとのつながりである。

社会人になって15年も経つと、学生時代のコミュニティとはもう何年も交流すらない状況が続いていたりする。

お互いに家族ができてなかなか会う機会も激減する中で、さらにコロナの追い打ちで年数回は集まっていたBBQや忘年会も途絶えてしまった。

ぼく自身も次女が生まれるまでは、地元の友人と毎週母校の体育館を借りて草バスケをしていた。
友人がバスケ好きの友人を呼び、年齢も職業もバラバラの人たちと同じチームとなり、試合で対戦したチームと仲良くなって練習試合をしてみたり、と知らぬ間にどんどん輪は広がっていた。

次女が生まれ、毎週のように自分の趣味に没頭できる時間を作るのはなかなか難しく、もう何年も練習に参加できていないがこれも立派なコミュニティであり、ゲーム中の役割だけでなくチーム内での役回りなども実は自分の存在価値を示す上では重要だったのかもしれない。

そして友人コミュニティというのは複数存在する。

ぼくの場合、小中学校時代の地元の同級生と高校時代の友人、大学の友人とこれだけでも3つのコミュニティが存在するし、その中でも部活やサークルという派生の仕方もあるだろう。

社会人1〜3年目ぐらいまでは、割とこれらのコミュニティでの集まりも頻繁に行われていたため、繋がりを意識することも多かったが、みんな仕事や家庭に責任を持ちはじめるタイミングから一人、またひとりと参加者が減っていく。

結果的に、毎日顔をあわせる職場というコミュニティーの優先度、重要度が高まっていき、良くも悪くも10年も経てば9割は職場コミュニティーに侵食されていく。

オンラインコミュニティ

他にもご近所コミュニティなどまだまだ沢山あるだろうが、今回お話をしたいのはこのコロナ禍で加速したオンラインコミュニティ。

これまでの職場コミュニティが希薄化していく中、人々が自分の存在意義を感じる新たな枠組みが必要となってきた。
特に30代後半のおじさん世代以上は強く感じていることだろう。

コロナ禍のなんとも言えない不安感や同じ趣味、趣向を持った人たちと共感し、互いに支え合うということが、SNSによって簡単にできる。

若い世代ではコロナ前から当たり前のように浸透していたことかもしれないが、おじさんたちもようやくこの時点で職場以外コミュニティの重要性を感じたというわけだ。

おじさんたちが感じていた、若い世代の職場への帰属意識の希薄さみたいなものはもしかしたらこういった職場以外コミュニティの存在によるものが大きかったのかもしれない。

ぼく自身、Twitterのアカウントは以前より持っていたものの、楽しみ方というか活用の仕方を全く理解していなかったのが正直なところだ。

どちらかと言うと企業目線で、勝手に商品やサービスのレビューをしてくれいる、いわば”無料のトレンド調査の場”みたいに感じていたので、みんながどうしておいしい食べ物や良いサービスに対して感想を呟いているのかが全く理解できていないかった。

Twitterは140字という手軽さと全く見ず知らずの他人との交流。
おじさんがこれまで体験してきたコミュニティとは全く異なるものなのだから、楽しみ方がわからないのも当然。

そんな中で、現代の自分の価値を推し量るうえでもSNSの繋がりが重要度を増しているということを耳にし、数ヶ月前から本格的に運用を開始し、試行錯誤を続けている。

やりはじめて感じたのは、みんなこの140文字にかなりの神経を使ってツイートをしているということ。

この140文字にこの数ヶ月だけでで何度、共感し、感銘を受け、考えさせられただろう。
140字でこんなにも人を気持ちを動かすことができるとは夢にも思わなかった。それぐらい、有意義で有益なツイートが多い。

何事もやってみなくてはわからない、一歩踏み出してみないと見えない景色がある。まさにそれを思い知ったのがこのTwitterだった。

Twitterの世界でフォロワー=信用の証。

ブランディングやターゲティング、信用を積み上げるための行動などやっとなんとなく運用が見えてきたところだが、マーケティングとしても面白いし、ライティングの技術も飛躍的に向上していると感じる。

自分自身の学びになるだけでなく、スキルの向上も図れるのだからまだまだフォロワー60名のぼくが言うのもおこがましいが、やらない理由はない。


話を戻すと、多様性を活用することが成長に直結するような時代の中で、若者たちを職場コミュニティに縛り付けようとすることのほうがナンセンスなわけだ。

コロナを通じて、ひとつのコミュニティへの依存度が高いことが、人生を豊かに生きる上でのリスクとなっていることに気づいてしまった人も多いのではないだろうか。
そして、若い世代はそのことを自然と受け入れているのではないだろうか。

結局、コロナを乗り越えて元通り出社率を高めようという意見が出てきてしまうのは、こういった変化を見てみぬふりをしてなんとか元に戻そうとしていることに過ぎない。
必死にみんなを職場コミュニティに引き戻して帰属意識を高めたいという、昭和的経営者のエゴにも似たもののようにも感じる。

元々複数のコミュニティを持っていた若い世代に加え、一部の一歩踏み出したおじさんたちも出社率があがったからと言って、職場コミュニティへの帰属意識が高まることはあまり考えられず、むしろ職場コミュニティへの帰属がうっとおしくて、別コミュニティへの転換(転職)のリスクが増えることを企業は認識すべきだろう。

こういった部分を敏感に感じて、うまくビジネスチャンスを見出している企業もいて、様々なサービスのサブスクや会員制度などファンコミュニティの充実化による熱狂的ファンの育成を図ってきている。

コミュニティは特に好きなものに対してできやすい。
人々の好きなものの数だけ、コミュニティの可能性があるとなれば、企業としてもそこを逃さない手はないというのはまさにそのとおりなのだろう。


今後ますます、Twitterでなくともオンラインのコミュニティというのは人々の存在価値を認識するために重要な役割を担ってくることは間違いない。

いつまでも職場コミュニティにしがみついているといつの間にか周りのみんなは一歩踏み出していて、自分だけ取り残されてしまう…なんてことのないように早めの一歩を踏み出すことをおすすめしたい。

定年後、家庭にも居場所のない昭和のサラリーマンのようにならないためにも、自分の存在価値を発揮できるコミュニティをいくつか属しておくことでいろんな場所に自分の居場所を作っておくということが、今後のぼくたちのやるべきことなのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?