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『子は鎹(かすがい)』のかたち

大層なタイトルにしているが、これはただの夫婦喧嘩の話。

つい先日、子供たちを風呂に入れていたら突然妻が“遅い!いつまでも遊んでるな!!”と激ギレ。

たしかに、いつも21:30就寝を目指しているのに21:00を過ぎていたので、遅いことに違いはないがその前の夕食を食べ終わるのも、そもそも夕食の開始も遅かったのだ。

夕食が遅かったのは妻にも非はあるのになぜぼくだけが突然キレられなければならないのか、と反論した結果、大炎上である。

男はキレられた事象に対して原因を探る。
納得出来ければ当たり前のように反論する。
大抵の場合は納得出来ないことが多いので喧嘩に発展。

女性はキレた事象はきっかけに過ぎず、キレてるのは相手の全てに対して。
つまり、それ以前の態度や行動、全てが重なってコップから溢れるように怒りが爆発する。

子育て中の夫婦にはよくあることだと思うのだが、自分が大変過ぎてつい自分には見えていないところを過小評価してしまう。
自分が辛い状況だということをわからせたくて、相手に同じ辛さを体感させたくなる。

ほんとはそんなことをしても自分の辛さが軽減されるわけでもないのに、むしろパートナーが辛くなればより自分に皺寄せがくるかもしれないのに、わかっていながらも止めることができない、らしい。

そんな思いになってしまうという、それぐらい追い込まれているのだ。

つい、売り言葉に買い言葉となってしまいがちだが、そんな時は少し時間を置いて妻の気持ちを想像してみるとなんとなく言いたいことがわからなくはないような気もしてくる。

こちらとしてはついつい、相手の矛盾や理不尽を指摘して、自分の潔白を示したくなるが、そもそもそんなことは妻にとってはどうでもいいこと。
何よりも自分の辛さや悩みを聞いてほしい、寄り添ってほしいだけなのだ。

そんなことに結婚10年目にして、ようやく気づいたぼくが、我が夫婦に何度か訪れた(とぼくが勝手に思っているだけかも)離婚危機とその乗り越え方についてご紹介してみたい。


結婚1~3年目(初めての子育て)

お互いに初めての子育て。
娘がちょっと泣けば直ぐにかけつけ、ちょっと頭をぶつければ心配で病院に連れて行く。

初めての保育園、初めての時短勤務にヘトヘトの妻と職場での役割を与えられて責任が増え、なかなか早く帰れないぼく。

仕事で遅くなり家に帰るとピーン、と張り詰めた空気。

ぼくが帰るまでの妻の子どもとの奮闘を顧みずに、片付いていない部屋、用意されていない食事への文句はギリギリ飲み込んでなんとかやり過ごす。
が、多分態度には出てしまっていただろう。

そんな中でも週末には趣味の草バスケに出かけていく夫に、なぜご飯を作ってやらねばならないのだとついに爆発する妻。

当時、喫煙者だったぼくのヤニ臭さも妻の怒りに拍車をかけていた。

今思えば、一緒に育児する気がない夫の典型的な行動をいくつもしていたように思える。

当時のぼくは朝の保育園にも連れて行ってるし、お風呂にも入れてる。
仕事が忙しい中でも育児頑張ってる、と絵に書いたようなえせイクメンの1人だった。

この勘違いは次女が産まれるまで続く。


結婚4~7年目(2人目のキャパオーバー)

次女が産まれて、さすがに妻一人ではどうにもいかなくなり、週末の草バスケは無期限休止となった夫。

そのタイミングで体に染み付いたヤニ臭さに遂に妻が耐えられなくなり、禁煙を余儀なくされる。
そのタイミングでちょうど異動も重なり、転居は伴わないものの働き方は大きく変わった。

それまでは会社の後方支援部隊であったため、原則社内での仕事がメイン。
そこから、商品企画の部門へと配置転換となり、創造性が求められるようになった。

当社のメイン商品のリニューアルを担当することになったため、以前にも増して忙しかったものの、考える時間を多く要する仕事は職場以外でできたことは子育てにとってはありがたかった。

後から聞くと、この配置転換でぼく自身も随分仕事を楽しそうにしていたようで結果的に妻への対応も変わっていったそう。

とはいえ、生後数ヶ月の乳幼児を抱えて、イヤイヤ期真っ只中の長女の送り迎えをするのはやはりなかなか大変で、当時も小さな夫婦喧嘩は日常茶飯事。

そんな中で海外出張で2度も1週間ほど家をあけることをなんとか許してもらえたのだから、振り返ってみてもやはり妻には頭が上がらない。

趣味を辞めたことと禁煙によってなんとか帳尻を合わせることができたのか、最悪の事態は免れることができた。

結婚8年目〜(手抜き育児を覚える)

そして、末っ子長男が誕生してからは随分と家事、育児のサボり方を妻もぼくも覚えてきた。
長女のときのように何でもかんでも心配しすぎないし、上ふたりも言葉が通じると言うのも大きい。

もちろんその分生意気で口ごたえもする訳で、それはそれで腹は立つが一人目二人目のようにノイローゼ気味になる暇はない。

ある種、娘たちを大声で叱ることでストレス発散になってるのかもしれない。
そして息子も、末っ子長男の運命か、直ぐに寝るし、一度寝たらなかなか起きない。

なんともうまくできているなぁと感心してしまうほど、子育てには1人なら1人なり、2人なら2人なり、3人なら3人なりのそれぞれの大変さがある。

決して人数が少なければラクというものではないし、むしろ多い方が助かる部分だって少なからずある。

子ども3人の子育てを経験して、ようやく妻の怒りへの対処法を確立しつつある中だが、どのフェーズにおいても喧嘩の原因はやっぱり子育てであり、仲直りもまた子どもがきっかけとなることが多い。


10年がかりで見えてきた対策

喧嘩の原因はもちろん、お互いの家事育児への不満が大半。

妻が家事に育児に忙しいのに呑んで帰ってくる夫。職場復帰をしていればなおさら。
夫側も上司の誘いで断れないことだってあるのもわかるが、妻としては断りづらくても断って帰ってきてほしい。

孤独な子育てから解放されたい一心で、夫の出世などそのときはどうでもいい。
何より早く帰ってこい、という気持ちのようだ。

夫の方だって家族を養うために、使いたくない気を使って上司に取り入らなければいけない。後輩や部下の面倒も見なければならない。

そうやってお互いの気持ちにズレが生じて喧嘩は勃発する。

ついつい、自分がやったこと、大変だったことにしか目がいかなくなり、相手のやってくれたこと、大変だったことに想いを馳せることを忘れてしまう。

お互い、心に余裕がなくなってしまうとこんな簡単なことがわからなくなってしまうのが人間というもの。

元々は赤の他人。

そんな赤の他人同士が10年も共に生活をして、なんとなくわかってきたのは、余裕のないときに感情にまかせて発言をしないこと。

同じことを言われても、なんとも思わないときとやたらとカチンとくるときがある。

カチンとくるときは自分の心に余裕がないときなんだと、自分を俯瞰して見るようにする。
そして、ひと呼吸置く。

少ししてから思い返すと大概はどうでもいいことなので、自分の中でこういったルール化できると大きな変化を生む。

やっぱり最後は子どもの存在

夫婦喧嘩が長期化(と言っても長くて1週間くらい)してくると、子どもたちも父と母のぎこちない、必要最低限の会話に違和感を持ち始める。

我が家の場合、そもそも子供の前でも口ゲンカは日常会話みたいなものだから、子供たちはあまり心配しない。

むしろ長期化して、父と母の会話が少ないときのほうが心配になるようだ。

最近はこれが滅法少なくなっていて、翌日まで引きずることもなくなってきている。

共に子育てをしている中で、子供のかわいい仕草やおもしろ発言、新しくできるようになったことなどを夫婦で共有する時間というのは、我が夫婦ににとって最も幸せな時間。

喧嘩が長期化すると、これができないのが実はお互いに結構ストレスだったりする。

そんなとき、妻は近くに住むお義母さんに話したりもしているようだが、やはり共感のポイントが微妙に違うらしく、消化不良になるようだ。

ぼく自身はというと、実家の母にわざわざ電話してそんな話をすることもないので、より悶々としてしまう。

結果、我慢できずに話しかけてしまうというのが、我が家の仲直りのパターン。

やはり、自分たちのこどものかわいいポイント、エピソードの一番の理解者は共に子育てをする妻・夫なのだ。

共感のレベルが違う。

子供が増えれば増えるほど、お互いに話したい子どもたちの話が増える。

まさに『子は鎹』そのものである。
(喧嘩の原因も子育てであるのは一旦忘れよう。)

夫婦喧嘩も長期化も減少傾向にあるのは、もしかしたらぼくが心に余裕を持てるようになったからではなく、ただ子どもが増えて話したいことが増えたというだけなのかも知れない。


それはそれで、結果的に幸せな日々へと繋がっているのなら、まあ良しとしておこう。




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