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失敗の記憶

先日、Twitterでこんな投稿をしてみた。

全くフォロワーさんが増えないぼくのアカウントだが、試行錯誤する中で自己開示が大切とどっかの誰かが言っていた気がするからだ。

言われてみれば確かに、どこの馬の骨か、いや馬の骨であればまだマシで、牛のフンぐらい何者かもよくわからない人間の、謎のぼんやりとした格言をつぶやきつづけていたところで、そこに興味を持つ人など随分なレアキャラだ。

それなのに、我が物顔でインフルエンサーと同じように、日々感じることをくどくどとつぶやいていても、そもそも誰の目にも止まらない。
いや、正確には誰の目にも触れられない…が正しいかもしれない。

それなのに「言ってる内容はなんなら自分の方がいいこと言ってるのに…」とか思っちゃってる勘違い中年とは違い、インフルエンサーたちにある過去の積上げは同じようなことを言っていても言葉も重みが違うもの。

そんな簡単なことにも気づけていなかったんだから、新しいことを始めるってそれだけで発見があることとポジティブに捉えてみる。

そんな、最近なのだかハマりはじめているTwitterのこの成果の出なさっプリと社会人1年目の出来なさっぷりか見事に重なってこんなツイートをしたという次第だ。


仕事の面においては今でこそ、何となくいろいろ経験を積んできました風にいっちょ前に後輩たちの指導なんかをしているぼくであるが、とてつもなく要領が悪い。

チェック漏れは多いし、同じような間違えを2〜3回はやらかす。

本人からすれば同じ失敗ではなくとも、周りから見れば同じような失敗にしか見えないところも結構残念なポイント。

ちなみにそれは今でも根本は同じ。

ただ、これまでの失敗経験によって自分の失敗するときのパターンがある程度体系化されてきてことと、単に失敗慣れして動じなくなってきたことくらいだろう。

自分の要領の悪さに気づいたのが、社会人1年目〜2年目の期間だったと思う。

最後の確認を面倒くさがって、ミスに気づかず取引先、物流業者、倉庫、仕入先とあらゆる人たちによく怒られたものだ。

と、いってもぼくだけが悪かったわけではない。

新人時代についた先輩というのが、そりゃもうなかなかの変人というかダメ人間だったのも結構大きな要因であったように感じる。

その先輩の教え通りに倉庫に行ったら、何故か怒られ、先輩の教え通りに作業したら怒られ、そんな先輩が海外研修に行ってしまったときに誰にも聞くことができず、最終的には結構な不良債権を出しては社内で怒られた。

営業部署の大きな会議で1年目社員がやり玉に挙げられるという、今思うと先輩だけじゃなくて会社自体としてもどうなの?とも思わなくわない状況。

ぼく自身もそれまでの人生の中で、大人にこんなに怒られたことはなかったものだから、だんだんと「どうすれば怒られないか」だけを考えて仕事をするようになっていった。

冷静になって考えれば当たり前なのだが、そんな考えでは余計に仕事はうまくいかない。

自分のミスを正当化して責任逃れをしたり、社内で怒られるのがイヤで仕入先から言われたことを知らんぷりしてしまったり、とにかく怒られないようにしてさらに怒られる…という負のループに陥っていた。

当時は毎日何かしら、自分のミスのフォローに走り回る日々。

朝は日の出より早く家を出て、夜は帰って寝るだけの平日。
平日の疲れを取り戻すためにひたすら眠る土日。
自分のミスで週末が潰れることも度々あった。

周りの同期たちも似たようなものだったが、忙しいこと=仕事がデキる、みたいな勘違いをしている節があり、久々に会うと営業は忙しい自慢が始まる。

いつものように居酒屋で同期と忙しい自慢大会をしていた。
トイレから戻るとき同期たちの話す忙しい自慢を客観的にみて、なんとなくみんな無理をしていることに気がついた。

みんな、たぶん本当は辛いと感じていたのだと思う。
そんな現状をどうにか肯定したくて、忙しいことがサラリーマンの宿命と言わんばかりに語り合っていたのではないだろうか。

そこに気づいてしまってから、少し冷静に周りの先輩たちをよく観察してみる。

忙しくしている人たちは大抵、自分や関係者のミスをフォローするために走り回り取引先への営業が後回しになっている。

一方で、余裕のありそうな人たちは、たとえ自分のミスだとしても自分ではめったに動かず、後輩や時には業者を利用してでも取引先への営業を優先する。

一番下っ端のぼくからすれば、自分のことで精一杯なのになんで先輩の手伝いまでしなきゃいけないのか、上司もなぜそれを許すのかと不満に思っていた。
同じく忙しくしている先輩はそんなことを頼んでこないし、自分でカバーしているのに…。
そう思っていた。

いろいろ経験してきた今であれば理解ができる。

即ち自分のミスであろうが、自分自身が動くより人を動かした方が会社として生産性が高いということ。

誰のミスであれ、先輩が営業せずにフォローに走り回っている間、ぼくが営業をしていてもその先輩ほどの成果はたぶん出せない。

つまり、同じ仕事ができるなら成果が出づらい、ぼくを使うほうが全体として利益が出る訳だ。

変に会社員根性が染みついてしまうと、そんなことにも気がつかず、ただ不満を漏らすだけに時間を使ってしまう。

先輩の方も当然のように手伝ってもらっているわけではもちろんなくて、しっかり感謝もしてくれる。
なんなら飲みに連れて行ってくれたり、奢ってくれたりと手厚いフォローもしてくれる。

自分を犠牲にするのは実は簡単なこと。自分のミスなんだから仕方がないと納得できる。
人は納得できてしまうと改善しようとはしない。

逆に人を犠牲にすることは最悪感が残る。自分のミスのせいで後輩を犠牲にするなど本来先輩としてはあるまじき行為。
だからこそ、二度と同じミスを発生させないように改善を図る。自分でフォローをせず済んだことでできた時間を改善に充てられる。

後輩のフォローはその後。それでも信頼関係は十分成り立っていた。

こういった積み重ねが、バタバタ忙しい人の仕事と余裕のある人の仕事の大きな差になってくる。


人は余裕があるからこそ、人にやさしくできる。
常に忙しくしている人は自分のことで精いっぱいで、周りが見えなくなってくる。
飲みに誘ってくれることもなければ、奢ってくれることもない。

結果、人間関係が激的に良くなることもない。

その後、転職をして営業でなく企画の仕事をするようになってからも、このときに覚えた違和感は自分自身の仕事の仕方に大きな影響を与えている。

こうやって考えてみると、仕事のデキる、デキないは考え方ひとつで大きく変わってくるのかもしれない。

昔の想い出話から改めて感じた気づき。
いま一度仕事との向き合い方を見直して、部下や後輩たちにも経験として伝えていきたい。

くどくどではなく、武勇伝でもない。
ただの失敗談のほうが意外と役立つことも多いはず。



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