僕がなぜ認識論に興味をもったのか

どうもいいことあるよです
普通の社会人で学者になりそこねた男です

なので少ししったかぶりをしたくて
こんなブログらしきものを書いています

前置きはいいとして

私が勉強を大学院までいって
したものは紆余曲折ありましたが
認識論というものでした

ことに宗教の中の人の認識について
研究したのですがなぜ宗教をターゲットに
したのかというとそれは機会が
あればお話しします

人の一番深い部分根源的な部分が
それだと判断したからです

勿論宗教などしていないという
人が特に日本では多いと思いますが
宗派とか教会、教団、寺、神社、モスク
そういうものに所属していなくても
人はそもそも

何かを信じるそしてそれを仰ぐもしくは
行動の原則にしたり

しているものです

その根拠にあるものが
何なのかということを分析するアプローチに
認識論を使ったのです

つまり信じる前に認識していないといけない
そしてその認識はどうやって成立しているのか
そもそもどういう認識に影響を
受けているのか

そんなことを学んでいました

現代は神秘を否定する傾向が強い

認識の種類に大きな違いがあるのが
わかっていてそれは直観的認識と
理性的認識

この二つがどうやら人間の基本的な構造に
なっているようです

これらだと心理学的なアプローチでも
いいのかと思いますが
実は心理学はそもそも心理の源泉を
直接研究することよりも
心理がこれですという経験的な事実に
基づいた心理分析をし
目的は心理治療に実はあるので
そもそも根源的な心理とは何かを
深く扱わない学者が多くなってしまいます

この部分は誤解されているかもしれませんが
心理の根源を知るにはやはり哲学か宗教学でないと
わからないのだと思われます

それで現代のわれわれはどういう認識状態にあるのか
というとそれは

神秘的直感的なものを軽視する傾向

そんな状態にあります

その理由は何なのでしょうか

科学技術の発展による人考えの偏向性


理由は簡単です科学技術が発達して
そこまで深く考えなくても
快適に過ごせるようになったからとも
言えるかと思います

つまり人は軽い気持ちで生きていく
存在していくことができる
自由な環境を手に入れ始めているのです

移動が歩くことしかできなかった
江戸時代の人は旅をするのがどれほど
大変だったでしょうか

ネットがなかった時代は海外の有名な史跡を
見に行くことも情報集めも含めそれは
大変でした

今は動画やそもそも旅行案内
果てはバーチャル空間の中に
再現され始めています

なので人が不便さが減ったため直観的に
考えるという現状人としては
無理でそして困難できついことを
しなくなったのです

ある意味それを考えないようにすることの
言いわけとしてそういうものは

存在していないとことを
言う様になったのかもしれません

ということで簡単ですが
私は人が発想する理性的なものも含めて
人が信じている感じている根拠が
何なのかという仕組みが
知りたかったのです

またおいおい考えてきたこと感じたことを
記していきます

また会う日を


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