いじめの生む教室/荻上チキ著
ブックイヤーを付けた箇所を中心に、いじめについてのあれこれを考えた。
とっちらかっている部分もあるが、そこはご愛嬌で。
1.環境的アプローチ
『環境的アプローチ』という点に頷いた。
これまで私は、いじめをした/された「人」に焦点をあてて指導をしてきたように思う。「その子」をどう指導すればいいかを考えていた。
もちろんその子がいじめ行動を取るに至った誤った見方や考え方があれば、そこを指導し変えていく必要があるだろう。
しかしそれだけでは根本的には解決しないと思った。
その誤った見方考え方が人的環境・物的環境によって形成されているとしたら?
その環境を変えないと、またいじめ行動が起こりえないだろうか。
どういう教室環境をつくっていけば、いじめが起こりうるか/起こりえないか、という部分をもっと検証していく必要があると感じた。
「こういう事例がありました。だからこういう指導/授業をしていきましょう。」
だけじゃなくて、
「こういう事例がありました。だからこういう環境をつくっていきましょう。」
「すること」の検討と「あること」の検討。
「私たちはどう在るべきかを考える。」来年度の研修づくりをする上でヒントになりそうだ。
2.相談するとどうなるか
”誰かに相談することで、具体的な解決に結びつくというイメージを持てていない”というのには、なるほどと頷いた。
授業場面だったら、相談→解決→スッキリを経験する機会が多いからこそ、何か困った時にも相談ができる児童が多いのだと思う。
生活場面(人間関係)だとどうだろう。
相談→解決→スッキリを経験する機会はあまりないような気がする。
学校で過ごす時間は圧倒的に授業が多いのと、そもそも人間関係で困ることがあまりない?(自分たちで解決していけることが多い?解決ではなく一方が我慢することで解決しているように見える?)からだろうか。うーん。
仮にそうだとすれば、生活場面での小さな違和感を大事にすることや、小さなことでも相談→解決→すっきりの経験を積んでいくことが必要なのか。
一旦、保留。また考えていきたい。
3.通報者という選択肢
「通報者」の指導はしたことがなかったから目から鱗だった。
確かに私たちが生きる社会では、危険な場面に遭遇した時には、「通報」して、適切な介入ができる人に頼むのが一般的だ。
街中で喧嘩している人がいて、仲裁者になるのは不可能に近い。
しかし、通報して解決を手助けすることならできる。それと同じか。
ここで上述した「2.相談するとどうなるか」と繋がる。
事件の場合は110番、火事の場合は119番と、誰に相談したらどのように解決してくれるかの道筋が見えているからこそ、私たちは「通報者」として解決を手助けができる。
学んだことのまとめ
いじめを生まない教室のためにできることとして、
・いじめを生まない環境を検討、実践、検証すること。
・相談をすれば適切な解決に結びつくということを丁寧に説明しておくこと。
・相談をすれば適切な解決に結びつくということを日常的に経験させておくこと。
があることを新しく学ぶことができた。
おわり。
p.s.
最後まで読んでくださった物好きの皆さん、ありがとうございました!
もし感じたことがあれば、コメントしていただけるとこの上なく嬉しいです(はぁと)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?