結ぶ「婚」とは

結ぶ、婚。

「結婚」という言葉について、電子レンジの前とかトイレの中とかシャワー中に考えることがある。

そもそも、人はなぜ結婚をしたいのか。

まずは辞書を引いてみる。結ぶ、婚(くながい)。

OK,Google、くながいってなに?

・・・・・

少々お待ちください

〜〜「くなぐこと、性交、交合です。」



おっ、ほっ、へー、大胆。意外と大胆(笑)

他のサイトでは、昔は結婚式が日暮に行われていたとか女性の象形だとかなんやら難しかったから、
Googleの説明のほうがスッと入ってきた。

婚という字には「女」という漢字が入ってるから女性のためのものとされているのかとも思ったが、諸々事実を並べた上で到底そうではないとわかる。

「25歳くらいで結婚したいかな〜」と高校・大学生の自分が言っていたことをよく覚えている。

25歳、過ぎてるよ、あたし。

なにがこの歳で結婚だ、ありえん。って
当時はちょっとだけ異性にチヤホヤされていた自分に何度でも囁きたい。

はてさて、あたしはなんで結婚したかった?ちょっと前までお付き合いしていたお相手と結婚したいと、なんで思っていた?

珍しく、このことについては、深く考えたことがなかった。

結婚って人を一時的に幸せにする魔法の言葉ではないのかーーーーー

いや、そんな難しく考えたらさ、樹木希林みたいに結婚はできないよ。

一緒にいたい・社会的に認められるから、
子どもがほしいから、結婚するんだよ。

シンプルでしょ〜。


えーーーー。そこで盾をつくのが、あたしの中のヒネクレ。


一緒にいたければ、一緒にいればいい。
冷徹なわたしは、いくら愛する人でもずっと一緒にいられるかなんてわからないじゃない、と思ってしまう。

人は出会い、成長しながら生きていくとすると、お互いがこれから出会う人にさらに魅力を感じるかもしれない。
2人だけでいる時間に満足してしまうかもしれない。


だから「絶対」とか「必ず」という人が嫌い。

「みうちゃんを絶対幸せにする」とか言われた日にゃ、鳥肌が止まらんと思う。言われたことないけど。
私は王道プロポーズなどをされたら、きっと断ってしまう面倒な人間である。(こればかりはきっとでは足りないので絶対と言ってもいい)


だって、未来のことはわからないでしょう。


これから先が長いとされる人生、いつ終わるかわからないのに、あえて契約を交わす必要があるのか。

社会的承認なんつうのも、誰に認められたいんじゃ。
近くにいる大切な人にわかってもらえれば十分ではないか。その承認の先には何がある?

そんな意見を作り上げてしまう。

それで、つぎ。

この議題の要(かなめ)となるのは、子どもね。


子どものためと言われると、確かに、不自由をさせたくないから資本主義社会のルールに則って、絵に描いたような家族になってキラキラした草原の中で私が作ったお弁当をバンダナに広げてピクニックしたい。

そもそも結婚自体、子どもの福祉を守るためにあるというのはごもっともな気がする。


だから、海外ではベターな事実婚なんて、遠い国の話。日本では現実的ではない。


でもなー、結婚が果たして必須なのか?

この話になると必ず思い返す理想形がある。

子どもと両親がいて、その周りには地域の人がいて、子どもがいつも近くの大人に見守られているという安全で多種的な環境の中でみんなの子どもが育っていく。という妄想図。

大人みんなが育てていく。だから、2人だけの子育てでない。

こんなしあわせな世界、知らないだけでどこかにあるんだろうか。
多世代シェアハウスなんて言葉があるくらいだから、ちょっと探せばありそう。


別に苗字が違っても、家族は家族。
同じ屋根の下に住む家族。
もっと言えば、他人の子どもでも一緒に住んで生活をしていくことで家族になると思う。


そりゃ手続きとか、その他色々、結婚をしないことによって起きる弊害・私の嫌いな「面倒なこと」は今の日本で生きていこうとしたら山ほどあるんだろうけど。

私)んじゃ、その、色々と面倒だからって結婚するの。その面倒を逃れるために、永遠とか未来とかわからないのに、愛する人間を一人を決めて、結婚という契りを交わすの?

一般の人)いやそうではなくって・・・

(↑妄想の会話)


ああ、また頭がぐるぐるしてきた。

だから、この話になると何が言いたいのかさっぱり、なんだけど、果たして、

結婚て本当に必要なの?

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