ボルボと交差点

 彼の家の車はくたびれたスーツのような色のワゴン車で、きまって人通りの多い交差点のガードレールに腰掛けて一息つくと、僕はいつだって少しだけ憂鬱な気分になった。
 
 カーブと人混み。坂の多い街にあるゴミだらけの歩道橋のフェンスからは、待ち合わせでごったがえしているわりにたいして愛されてないみどりの電車が見えててぼんやりとつぶやく。

 「クーラーが効かないんだよな」

 そんな事ってあるんだろうな、というのは、北欧の車というのは、そとそもがそんなに暑くない国で生まれているので、クーラーがあまり良くできていないんだそうだ。

 今ならそう簡単に騙されない自信があるけど、当時の僕は「まあ、そんな事ってあるんだろうな」って思ってて、特に気にする事もなくよく隣りに乗せてもらっては暇つぶしに付き合ってもらった。

 彼の大学は夜間部、といっても夕方から始まる講座が多かったから、必然的に彼の大学のある多摩までのドライブが多かった。たまに横浜に海を見に行ったり、そこの防波堤で釣りをしたりした。どこにも属していないふわふわとした僕には当然のように余るほどの時間があったから、一緒に通学の道のりを過ごすのはなんだか楽しみだったし、到着したら大学生で勉強する彼と、なにもない僕がなぜか学生街で別々に過ごす、という虚無な時間に向かう感じにゾワゾワしたりもしていた。

 車内ではたいてい、おたがいに帰国子女ならではの無駄に跳ね上がったプライドでコーティングされた同世代への悪口で盛りあがった。僕は大学なんてどんな所かも知らないのに、わかりきった顔でテンポよく相づちを打っては「大学生になったんだからさ、なにかサークルとか入って大学で仲間を作ったらいいのに」と上から目線で語っていた。そんな話題になると彼はいつも少し眉を下げ、難しい顔をしながら「まあそのうちな。なんかいまさら仲間ってのもかったるくてな」と言った。

 入学して1年が過ぎても、僕らの話題に大学の友達が登場してくることは稀で、そんな少しだけばつの悪い話になる時に、彼はいつも湘南弁を使うのだった。そんな彼は生まれも育ちも生粋の東京人で、家族もどちらかというと江戸弁でもないクセのない標準語を話すから、なんだか彼から湘南弁を聞くのが僕は嬉しかった。

 昔からこだわった映画や漫画の影響を受けやすい彼は、あるとき僕の好きな湘南が舞台の漫画をたいそう気にいって、怪我をしていた時に全巻プレゼントしたらあっという間に湘南弁をマスターしたのだった。

 「同級生よりも歳がひとつっぱかし上じゃんよ…やっぱ幼く感じんのなんのってさ、あーてーめーてーよ…」

 そんな漫画の主人公しか使わないようなフレーズをさらりと標準語に織り交ぜて使うセンスがださくてカッコ良かった。

 大学のある街までは国道を直進すれば1時間もかからない。いつものように大学の隣りにあるスーパーの駐車場に車を停め、彼は大学の門へと吸い込まれていった。僕はそのままぶらぶらと街を歩きながら「また帰り道に遊んでもらえるかな」と思ってはうだうだ時間を潰した。

 そこは学生街らしく、若い僕らが無駄に時間を消費するのに必要なものならなんでもあって、僕は喫茶店で古本を読んだり、パチンコですったり、たまに割引券をくれるボーイさんに促されるままに安いピンクサロンで欲を満たしたりした。パチンコ屋の有線からはスチャダラパーのサマージャム95が流れてて「日本でもラップが流行り始めたんだな」と、なんだかそのあとのミスチルとの違和感を感じて気に入って口ずさんでた。

 「夏だーいすき!とか言っちゃったり!」

 というフレーズが流れるたび、僕にはそこだけが口ずさめずにいた。

 どう考えても夏を満喫するようなメンタルに無かったし、明るい未来どころか朝、目が覚めると今日すら全然みえないどんよりした毎日にどっぷり浸かっててほとほとウンザリしていたから、夏だろうがクリスマスだろうがとりあえず早く何とかして終わればいいと思っていた。

 そんなふうにどうしようもないまま時間が経っては、気がつくと地元の怪しい携帯ショップで手に入れたダサくてゴツい携帯が鳴るのだった。

 「終わったよ。帰ろうか」

 また蒸し暑いくたびれたワゴン車に揺られながら、僕は全然地元じゃない彼の家への道のりを相変わらず「センター街なんかでつるんでる奴らなんて全員カッペだろ」と同じ世代の悪口を言っては甲州街道を戻る日々だった。

 蚊取り線香の匂いと、夜までけたたましいセミ鳴きごえ。派手なピンクやブルーの色柄の浴衣を羽織って歩道で騒ぐこども達を横目に見ながら、ほとほと効かないクーラーとヤニの匂いにうんざりしていると、いつの間にか車は国道を離れた。

 ラジオからまた流れるスチャダラパーを少しだけ口ずさんで助手席に揺られる1995年の夏だった。

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