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ネパールで遭った交通事故を通して見えたもの・・・

20年程前に、ネパールにプロジェクトコーディネーターとして赴任した時の話です。ずっと忘れられないできごとなので、文章に残して置きたいと思い、書いてみました。

私は、岡山県を拠点に医療保健のプロジェクトを開発途上国で行っているアムダという非営利活動法人で働いていました。そのアムダがネパールで病院の運営に携わっていて、タライ平野が広がる南西部にあるブトワール市と南東部にあるダマック市の2つのエリアに分かれていました。

その2つのエリアは車で7時間以上掛かるので、運転手さん付きで車を借りて行き来していたんです。

そんなある日、私とネパール人医師、日本人の看護師の3人が乗ってブトワールからダマックに移動していた時、対向車線の大型トラックが突っ込んでくるという交通事故に遭ったのです。交通事故のショックからか、私は全く記憶にないのですが、私は車の外に投げ出され、その際、車のドアで頭を切ったのか、頭の皮がペロンとむけ、頭から血がどろどろと流れていたみたいです。

運転手さんは足を骨折し、前の座席に乗っていたネパール人のお医者さんは、おでこと腕、お腹にガラスが刺さっていたのだそう・・。

交通事故を見て、近くで畑仕事をしていた地元の女性陣が駆け寄ってきて、慌てて公衆バスを停めてくれたそうです。救急車というものがほとんど機能していなかったためです。そして、バスの運転手は急きょ、病院まで私達を送って下さったみたいです。そして、私と同じ車に同乗していたネパール人医師は知り合いの外科医の方に電話し、急いでバスが向かっている病院にかけつくように依頼して下さったようです。

ネパールでは、病院も救急車の数自体も限られているし、救急車がすぐに来るような仕組みが整っていません。しかも、手術に必要な外科医も麻酔医の数も限られていて、急な手術に対応できる病院はネパール全土では、また、特に地方では、非常に限られていました。

私達が病院に運ばれ、外科医と麻酔医が病院に到着すると、ネパール人医師は、運転手と私の治療を先にしてくれと外科医の方に依頼し、運転手さんと私は先に治療をしてもらっていたのだそう。

私が意識を取り戻したのは、手術後に起こった停電の時。暑いと思って目を覚ますと、同じく同乗していた日本人の看護師さんが私の手を握り締め、知らないネパール人のおじさんが厚紙をうちわ代わりにして私を扇いでくれていたのです。何が起こったのか分からず、日本人の看護師さんに聞いてみると、交通事故に遭い、頭を切ったので、12針縫っていたとのこと・・・。

ネパール人のお医者さんは?運転手さんは?と聞くと、今、手術をしているとの返答。そういえば、どこからか、ネパール人医師の「うぅぅぅっ」という大きなうめき声が聞こえてきて、事故に遭ったという現実を知ることに。

3人の手術が終わると、ダマックの病院に連れて行かれ、その病院で泊まらせてもらうことに。点滴を打ち、横になっている間、ずっと日本人の看護師さんは手を握っていてくれてネパール人の看護師さん達も同じ部屋で話をしてくれていました。

そして、日本人看護師さんから一部始終を聞き、涙が止まらなくなりました。私よりもひどい怪我を負ったのに、ネパール人医師は、自分よりも私や運転手さんの傷の手当を!と促してくれていただなんて・・・と、言葉にはできない感情に陥りました。

交通事故に遭った私達を見て大声で泣かれていたという地元の女性の方々やずっと厚紙で扇いでくれていたネパール人のおじさんにも、その優しさがとっても温かく、今でも思い出したら泣けてきます。私は、そこまで寄り添った行動ができるのだろうか・・とも思うし。

交通事故自体は辛い経験だったものの、その経験があったからこそ見えてきたネパール人の人達の心根に関しては、温かなものを感じます。

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