なんか好きになりたい

私には好きな物が少ない。

好きの感情を殺し続けてきた代償はかなり大きい。

熱しやすくて冷めやすい性格だと思って生きてきたけど、最近の私は熱しにくくて冷めやすい。つまり冷めてばかり。
全然心に火がつかない、なぜ!!

最近、恋焦がれている人の「好きすぎて苦しい」という感情をきいて思い出した。ああ、私にも昔そういう感情あったなあ、と。

そう、私のこの心に火がつかない症状に1つの理由が見つかったかもしれない。

それは、好きすぎて苦しくなるのが嫌なんだということ。
夜も眠れなくなるような焦がれた気持ちになるのが耐えられないんだ、きっと。
叶わない好きな気持ちを誰にも発散できずに、悶々として過ごすあの苦しい瞬間が永遠のように感じてどうしようもなくなるあの気持ち。
はやくその気持ちから解放されたくて、気を紛らわそうとしたこともあったなあ。ドキドキしてそのことで頭がいっぱいになるから映画を見るのも少し苦手だった。

ぞっこんになるのが怖くて勝手に予防線を張る癖ができたように思える。

それは初めは意識的にしていたがだんだんと無意識でもするようになったのではないかと私は予想する。

だから私は好きの気持ちを持つのが下手くそなんだ。

こう解釈した。

では熱しにくくなった理由が1つ分かったところで、解決策を考えなければならない。

私は熱しやすくなりたいのだ!!少なくとも人並みに!!私には時間はない!!大人になってから熱しやすくなっても意味はないのだ!!!

根が平和主義で常に心の平穏を求め、ドキドキすることが苦手な私の性格が原因。

で、どうすればいい!!
分からない…
どうすれば私の無意識に潜り込んだ「好き感情キャッチフィルター」を取り外すことができるのか。意識の領域に上がってくるまで待てばいいのか、、、もっともっと私の「好きな気持ち」に刺激を与えればいいのか、、


いま感じたが、こういったことに執着して考えられるようになったのが成長なのではないか。
好きの気持ちを持つのが下手くそになっていた私は、同時に関心を持つことも放棄していたように思える。私の場合「関心がないから好きではない」ではなく、「好きではないから関心がない」になっていたのかもしれない。

「好きになる」のプロセスは、
関心→好き
だと思う。

私は「好きになる」のプロセスの逆から否定しにかかっていたけど、
私のこの理論から考えると、逆に関心を持つようにしてみると、好きになるんじゃないか!!

これからは何事にも関心を持つようにしてみよう。
すぐに、熱しやすくなるようにはいかないと思うが、ぼちぼちやっていこう。

好きになることは原動力だ!!何にも勝てない!!勉強、人間関係、全てのことにおいて、もうお前優勝!!!!

感情を殺すことは良くない。
恥やプライド、平常心主義は棄てて、刺激的な人間らしい起伏のある感情をもとう! !

「嫌い」の感情も薄いが、きっと「好き」が濃くなれば「嫌い」も濃くなるかもしれない。
それがいいことか悪いことかは置いといて、とにかく、なにかにぞっこん大好き無我夢中になることを目指そう。

直近ですぐできることは、取り敢えず、「好き」という言葉を口にしてみる。

レッツ言霊!!言葉に宿る力!!

この記事では適当に自己分析をしてみました。

乱文失礼しました。おしまい