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Web会議の開始42秒前にログインすると

アキラの会社でリモートワークが始まって半年が過ぎた。

これまで会議室にみんなで集まってやっていた会議は、Web会議のソフトを使ってやるようになった。

最初はうまくつながらなかったり、音がハウリングしたり、映ってはいけないものが映ったりしたWeb会議も、さすがに半年も経つと慣れた。

むしろ会議室を移動することがなくなったり、議題と関係のない無駄な話がなくなったりして、アキラは時間を有効活用できるようになったと感じていた。Web会議を気に入っていた。

会議開始の何分前にWeb会議にログインするべきかは答えがない。

開始時間ジャストにログインしようとすると、うまくログインできればいいが、ソフトが止まってしまったり、音声が聞こえないなどのトラブルがあると遅刻になってしまう。

「会議も納期も時間厳守だ」が口癖の部長に目をつけられてしまう(とはいえ、リアルの会議では部長が無駄話をして終了時間を過ぎてしまうこともしばしばだったが)。

それでは会議の5分前とかにログインすればいいのかというと、これはこれで問題がある。

5分も前なのに他部署の名前しか知らない人がすでにログインしていたりするのだ。

挨拶の後の会話が続かない……。いまさらマイクオフ、カメラオフにするわけにもいかない……。人見知りなアキラには辛い時間だった。

アキラは何度かWeb会議をして最適なログイン時間を見つけた。

それは開始の1分15秒前だ。

その頃ならすでにログインしている人が何人かいて、意図せず知らない人と二人っきりになったりしない。

万が一、ログインがうまくいかなくてもソフトを立ち上げ直す時間がある。1分15秒前はWeb会議ログインのちょうどいい時間なのだ。

アキラはWeb会議である楽しみを見つけた。

月のはじめ、少人数の会議があり、アキラは目の前の置き時計(電波時計をわざわざ買ったのだ)を見ながらログイン時間を見計らっていた。

1分30秒前、まだ早い。

1分20秒前、そろそろだ……。

アキラがログインボタンをクリックしようとした瞬間。チャットツールが「ピン」と高い音を出した。

誰かがメッセージを送ってきたのだ。「ちょっとだけいいですか?」

誰だよ。今から会議でいいわけないだろ。

アキラはそう思ったが、送信者の名前を見て答えることにした。答えておいたほうがいい人だった。

「いいですよ」。アキラは手短に済むことを祈りながら返答した。

「……ありがとうございました。またお願いします」。チャットの会話はすぐに終わった。本当にちょっとだった。

アキラは急いでWeb会議にログインしようとした。時計を見ると会議まであと42秒。クリック。大丈夫だ。

無事にログインできた。開始まで少しあるが参加者は集まっているようだ。部長、サトーくん、ハシモトさん、ミヤケさん、アキラ。

アキラがいる。アキラは何度も「Akira」というログイン名とアイコンを見た。それは自分のものだった。

ログインしたから自分が画面内にいるのは当然と思うだろう。

しかし、そのアキラは部長たちとにこやかに話をしているのだ。

今ログインしたアキラはそれを呆然と聞いている。何も話していない。

自分の知らない自分が話している……!

アキラ(ややこしいのだが、あとからログインしたアキラ)は怖くなってログアウトしてしまった。

えっと誰なんだろう。あいつはオレか? じゃあ、オレは誰だ?

アキラは「寝ぼけていたんだ。全部、夢」と思い込むことにした。

自分が分裂して2人になり、勝手にWeb会議で発言しているなんてあり得ない。今は令和だぞ。

誰かがWeb会議で話しているのをオレの発言と思ってしまっただけだ。

Web会議から勝手にログアウトして部長に怒られるかな。アキラは心配した。

その日の午後、なんとか気持ちを落ち着けたアキラに部長からメールが届いた。「今朝の会議での説明、分かりやすかったです。成長しましたね。資料を送ってもらえますか」

やっぱりあいつはオレだったのか! 資料まで作って部長相手にプレゼンして、しかも褒められている。

アキラは混乱した。オレは2人いて1人は寝ぼけているのに、もう1人はプレゼンでうまくやっている。

まるで、できるオレと、できないオレがいるみたいじゃないか。

どうせならできるオレになりたかった。しかし、どっちにしろオレはオレか。

アキラはできるオレにたびたび遭遇した。

あるときは複雑なデータをその場で読み解き、戦略についてアドバイスした。また、あるときは現場の込み入った人間関係について相談に乗り、糸をほぐすように整理をして最後は相談者が笑顔になっていた。

オレはなんていいやつなんだ。

難しい仕事でも諦めずに最善を尽くし、すぐには解決できなくても、解決への道筋を見つけて、みんなを前向きな気持ちにする。

オレにはとてもできないな。

アキラはもう1人のアキラを眩しく見ていた。なりたい自分がそこにいた。

何度か、できるアキラに遭遇するうちに、アキラは、会議開始42秒前にログインすると出現することに気づいた。ぴったり42秒。遅くても早くてもダメだ。

気味が悪いならアキラはその時間を避けてログインすべきだろう。

しかし、アキラは42秒前にログインして、できるアキラの会議での振る舞いを観察するようにした。それがアキラの楽しみになった。

アキラの社内での評判はうなぎのぼりに上がっていった。アキラはそんなアキラ(自分だけど)を見て鼻高々だった。

できるアキラは自分だけど、自分ではない。

だからアキラはどれだけ褒められても調子に乗ることはなかった。謙虚に、できるアキラから学んでいた。

学んでいるうちにアキラの発言や行動も褒められるようになってきた。

部長は「アキラは自信がついてきたようだな」と話した。

それはできるアキラに対してなのか、いつものアキラについてなのか、もう分からなかった。

リモートワークが始まって半年が経った。

会議開始42秒前にログインすると、できるアキラはいる。アキラはアキラに感謝したくなっていた。


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