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僕の母が僕の母でないと知った日。

「○○さんですか」

戸籍謄本に書かれた母親の名前は、僕の隣にいる人ではなかった。

自分の母親が産みの親じゃないと知ったのは、高2の夏のこと。

修学旅行で韓国に行く予定だった僕は、パスポートを取るために戸籍謄本をもって、母親とパスポートセンターに行った。

パスポート用の写真を撮ってもらい、順調に手続きが進む中で、受付の人一言が僕の人生を変えた

「○〇さんですか?」

戸籍謄本に書かれた”母親”の確認だった。

同行している人の確認であり、それが実の母親であれば、なんら問題がない。

不正な申請を防ぐための大事な確認であり、受付の人を責める気はない。

ただ、言われた瞬間。戸籍謄本に書かれた母親の欄を見た瞬間。

思考が止まった。

目の前が真っ暗になる感じとはこういうことを言うんだろう。

そこからの記憶はない

さっきまで実母だった人が苦し紛れに言った「ばれちゃったね」

という言葉と苦しそうな笑顔がいまだ脳裏に焼き付いている。

失意の帰り道、僕は独りで歩いていた。

視界が、捻じ曲がり、涙が止まらなかった。

思春期ということもあり、その時僕は母がとても嫌いだった。

また、僕が全く勉強をしないだめ学生だったためよく怒られた。それがうっとおしくて母のことがとてもとても嫌いだった。

でも、ショックだった。

・・・ショックだった。

信じていたものの根底が覆されると人間はストレスのあまり訳が分からなくなるらしい。

後にも先にもストレスで視界がねじ曲がったのはの時だけだ。

「僕の母は誰だ?」

ひとしきり泣いた後、当然の疑問が頭に浮かんだ。

その当時、生き別れになった母と息子が数十年ぶりに会うお涙頂戴のTV番組が時折放送されていた。

それを見るたびに、捨てられたのに会いたいんだろうとか、親がくずだなーとか身勝手な感想を言っていた。

まさか、自分がそっち側だったとは。

家族と一緒に見ていたのだが、うちの家族はどんな思いで見ていたのであろう。

こんな時、自分をマルコ(母を訪ねて三千里)のように家を飛び出して母親をさがして、旅立てば、それはとても面白いことがNOTEに書けただろう。

手掛かりは、僕が生まれた病院がある県の名前だけ。

ただ、僕はこう思った

「めんどくせぇ、育ての親だけでいいや」

残念ながら、僕は、極度の面倒くさがりだった。

そして、「俺は俺だしなぁ」

誰が母親だろうが父親だろうが義母だろうが、なんだろうが。

僕が僕であることだけは変わらない。

親とかどうでもいい、好きなように生きよう。

そんな考えに行きついたとき、涙は枯れ、頭はすっきりした。

「ただいま」

涙で腫れた目で元気に帰宅した。

その日の夕飯は、豪華だった気がする。

その、10年後

海外での私の活躍がYahooトップニュースにのった影響で、産みの親から会いたいということを父親のFacebook経由言でわれたのだがそれはまた別の話。

その際に、産みの母の写真を親父から見せられた際の

「結構、美人やろ!」

といった親父のセリフに、親父に少しばかりの殺意が芽生えてしまった。

僕がショックを受けた際に、早く立ち直れたのは、このクソ親父のせいかもしれない。

が、それはまたおいおい。

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