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西浦教授からのリプライと追加的な論点

議論の経緯

 1/21に Journal of Clinical Medicineに掲載された安斎・西浦論文に関しては,多くのメディアでGoToトラベルの開始が旅行関連の感染を大幅に増加させたことに学術的なエビデンスが示されたというニュアンスで取り上げられていました(東京新聞「 旅行に関連する新型コロナウイルス感染者が最大6~7倍増加した 」 など).
 これに対し,中田大悟氏と私がかなり似通ったロジックで同論文がGoToの開始から感染拡大のデータ上のエビデンスとはなっていないのではないかと疑問を呈したのが発端です.中田さんの主張はtwitterで,私のものは本note内に記載されているためリンク先をご参照ください.

 これに対して,西浦教授からリプライ(「西浦教授が「Go To トラベル研究」への批判に答える」,なお会員制サイト記載時の原題は「「Go To トラベル研究」に対するコメントへの公開返答書簡」です)をいただきました.本稿は西浦教授からのリプライについてのコメントです.

中田大悟氏による再コメント

 上記のリプライについては中田大悟氏がすでにYahoo!にてコメントされています.中田氏が下記のエントリで指摘されている部分については私も概ね同意するところです.

 中田氏も指摘されているように,今後続く研究についてのイントロダクション的な分析のみを独立の論文として掲載する習慣が経済学にはないことから私が安斎・西浦論文の意図するところを十分にくみ取れていなかった部分もあるかと思います.
 さらに,西浦氏自身がそのリプライでコメントされているように意図していない強い政策的メッセージをメディアが強調しすぎていたことについて,その問題点についても中田氏の指摘は重要です.明らかに論文の中身を読んでいない,他紙・誌からの孫引きを疑わせる記事が大きく,そのことが安斎・西浦論文の意図を超えた謝った印象を同研究に付与してしまっている点は今後の学術論文に関する報道を考える上で大きな課題と思われます.

 また,中田さんから重ねてのコメントである7/22-26の非旅行関連感染の拡大についての疑問ーー旅行者からその接触者(以上旅行関連)を経て第三者(非旅行関連)の感染つながったとするには期間が短すぎるのではないかという点,8月の感染縮小の理由が都府等の注意喚起や自粛要請にあったとするならば,旅行者が増加しても大都市部での対策があれば感染は抑制できるのではないかという論点についても同感です.

 そんななか中田氏の再コメントで重視されるポイントの一つがプレトレンドです.本エントリは再コメントとして後発ですので,以下,少しプレトレンドの問題について(その他読者むけの)解説を加えることで付加価値をつけながら議論していきたいと思います.

プレトレンドを考慮する理由

 プレトレンドの問題を理解するためには,言葉による説明よりも図表による説明が適切でしょう.仮にある広告キャンペーンの開始にともない数のような売上の上昇が観察されたとします.

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 このデータから,広告キャンペーンが売上を上昇させた……と結論することはできません.例えば,過去の売上の推移とあわせたデータが下記のようになっていた場合を考えてみてください.

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この場合,宣伝開始後の売上の上昇は「キャンペーンの効果」ではなく,「元々趨勢的に同製品の売り上げは少々しており,宣伝開始前後で趨勢に変化はない=キャンペーンの効果は観察されない」と推測するのが妥当と言うことになります.

意外と難しいプレトレンド問題

 中田氏や私のコメントをごく短くまとめるとーー6月~7月末にかけて感染者数は趨勢的に増加しており,感染者の総数が増加しているのだから,その中で旅行経験がある人の絶対数が増加するのは自然なことだというものでした.これをプレトレンド問題との関連を明確に言い換えるならば,旅行関連感染者に絞ってみても1a期(6/22-7/21)または1b期(7/15-19)から2期(7/22-26)にかけては増加トレンドにあるため,2期に入った途端に不連続に増えたわけではないだろうというわけです.

 ただし,自分で言っといて何ですが,このプレトレンドを考慮した介入効果の観察というのは真面目に考えると意外と難しいのです.その難しさを実感していただくために,安斎・西浦論文ではなく,少し前の西浦氏の記事(「GoToトラベル」と感染拡大の因果関係について考える)を題材にさせてください.
 当該エントリではGo Toキャンペーンの拡大(東京離発着の追加)の影響について下のグラフが提示されています.本資料の初出は「第14回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(令和2年11月19日)」での西浦氏の資料(資料2-3,p20)のものです.

 下図は9/12日以降の各週(土曜~翌金曜)までに感染者が確認された都道府県数(A)と感染者が10万人あたり5人以上発生した都道府県数(B)をあらわしています.

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 期間を10/1のGoTo拡大の前後(垂直の点線が境界)でわけ,拡大以前の3週(9/12-18, 19-25, 26-10/2)の3週分の数字からプレドレンド(図中の横細線,なお太線は同3週の平均)を算出し,その後(10/3以降)の推移がプレトレンドにくらべて高まっていることをもってGoTo拡大によって感染拡大が引き起こされたとしています.なお,10/1-2が「拡大前」に分類されているのは感染時期は感染確認よりも8-11日程度先行するためとのことです.

 3データでプレトレンドを引いていることに批判がある(というか私も驚いた)かと思いますが,これには理由があるものと思われます.例えば,より以前のデータ……例えば10週分のデータを使うと8月以降の感染縮小期を含んでしまいます.いわば異なるフェーズを含むプレトレンドになってしまう.ちなみに10週前まで遡ってプレトトレンドを計算すると上図の比ではないほど急激な下降トレンドになります.
 西浦氏による1/29日のリプライの5ページ目ではありませんが,「本当に悪人だったら」3データではなくもっと長い期間でプレトレンドを引くでしょう.その方が,急速な下降トレンドの中で感染拡大県が増加することを示す(?)ことができますから.これは感染の縮小がひとまず落ち着いた期間からプレトレンドを導きたいとの意図と思います.

 ちなみに,同データは「新型コロナウィルス感染症対策アドバイザリーボード」で毎回配られる資料の冒頭から自分で算出できます.参考までに6月から11月末までのAタイプの都道府県数推移を描くと,図3のようになります.こちらは感染確定日基準のため,実際に感染したのはその8-11日まえであると考えてください.
 同指標でもGoTo開始の週までのプレトレンドは明確な上昇基調にあり,だからこそ論文の比較期である2期(7/22-26)の感染拡大はGoToではなく上昇トレンドに伴うものではないかという中田さんや私の疑問に行き着くわけです.ただし,7月下旬のGo To開始期前後についてはGoTo開始の影響が出始める8/1からの週に指標が低下しており,あまり有効性のない指標だった点には注意でしょう.

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カルチャーとキャラクター

 西浦氏のリプライや過去のエントリをみているうちに,おぼろげながら氏のデータハンドリングの基本姿勢がわかってきたように感じています.それは推計期間やプレトレンド期間等を論理的に設定したいという選好とでもいいましょうか.

 伝わりづらい話なので,順を追って説明しましょう.

 たいていの経済学者やマーケット関係者はデータを推計したら,その結果が,推計期間やトレンド選択などのデータ調整に対してどの程度ロバスト(頑健)かを確認するために推計期間やプレトレンド期間をずらして結果に大きな差が出ないかを確認します.推計期間等を変えると結果が大きく変わってしまう場合には……推計結果はナイーブ(脆弱)で実用性に堪えないと解釈するわけです.この基準から考えると,今回のIRRをもちいた議論は現時点では得に(GoToと感染の変化に)追加的な情報・知見をもたらさないデータであると感じます.
 しかし,前節で書いたように,この「期間をずらす」「トレンド・階差等のデータ加工方法を変える」際の方法ーー例えばどのくらいずらすべきなのか等に論理的な基準はありません(情報量規準で選択すべきetc.の議論はさておき).極論すると,「いろんな方法を試してみて,その多くでOKなら概ね正しい」という姿勢なわけです.

 一方で,西浦氏のリプライでは,この種のプレトレンド期間の設定・基準時点選択などについて当時の社会的状況・政策の進捗・感染時点と確定時点(または発症時点)の時間差などから論理的に決定するスタイルが貫かれていることがわかります.
 これが疫学という学問分野のカルチャーなのか,西浦氏自身のキャラクターなのかはわかりません.経済学でも推計期間やデータ調整方法等に結構細かい論理的根拠を求める人もいますし.ただ,なぜこのようなデータ選択や加工を行うのか,経済学以外のフィールドの思考法を垣間見ることが出来たのは大きな収穫です.

 雑ぱくなまとめではありますが,西浦氏と私(多分中田さんも)ではデータハンドリングに関する習慣・ポリシー,少し大げさに言うと思想・哲学が異なっている.私は基準時点や期間設定を変えると大幅に結論が変わってしまうならば,データがその仮説を検証するだけの力がない,または仮説が誤りだと解釈します.対応としては,仮説かデータのどっちかをかえなければならない.一方で,もちろん,西浦氏は論理的な理由に基づいてデータの調整法や基準期間・比較期間を設定しているのだからエビデンスとして強力ではないものの一定の意義のある報告であるということになるでしょう.

 データそのものから情報を引き出すべきか,データを論理的に整理・分割して情報を引き出すべきか……について一朝一夕で結論を出すことは困難でしょう.そこで,以下では,西浦氏のプレトレンドの未設定,基準時点やGoToがもっとも影響をもったであろう期間(2期,7/22-26)の選択についてはひとまず受け容れた上で,さらなるコメントを付記しておきたいと思います.

Go Toトラベルはいつはじまったのか

 ここで重視するのは,GoToトラベルキャンペーンはいつはじまったのか?という問題です.このように書くと,7/22に決まっているじゃないか……と思われる方もあるでしょう.しかし,GoToトラベルの開始時期と運用について政府から発表があったのは7/17.出発5日前に宿泊旅行を新たに計画できるという人はまれでしょう.さらに,旅行事業者がGoTo適用での割引パッケージを販売し始めたのは最短で7/27でした.
 すると,GoToによって旅行者数が増加し始めた時期として7/22-26(論文中の期間2)を設定するのは少々時期が早すぎるように感じるのです.

 また,GoToの開始前にも人々は宿泊旅行を完全にやめていたわけではありません.宿泊旅行統計調査によると,6月にも延べ1420万人泊の宿泊旅行が行われています.7月には2160万人泊,8月には2610万人泊と旅行による移動者は不連続に増加しているわけではなく,GoToキャンペーンの浸透や新型コロナウィルスへの個人的な向き合い方の変化などを通じて連続的に変化しています.そのため,7/22前後で不連続な変化が発生したと想定して議論を進めることにはやや慎重である必要があるでしょう.以下は「宿泊旅行統計調査」報道発表よりの引用です.

画像5https://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/content/001384549.pdf

 より詳細な週次・日次の宿泊データ数については,観光予報プラットフォームから得られます.データの利用に制限があるので公開は出来ない(だれか正会員の方いらっしゃいませんでしょうか?),7/23-24からの宿泊旅行が多いのは確かなものの,その前後においても週末には宿泊者数が上昇しており7/22から不連続に宿泊旅行動向が変化したということはなさそうです.(なおV-sasas等の週次データでは2020年7月第4週の前年同週比が大幅に上がっていますが,これは2019年には4連休がはじまったのが第3週であったことの影響が含まれる思われます)

 このように,旅行者数の変化はGoToの浸透や意識の変化に伴って徐々に生じており,その意味でGoTo開始最初期の7/22-26の実績値を特段に重視する論理的な理由は薄いのではないでしょうか.

まとめ

 今回は議論を通じて,データに向き合う際のポリシーの違いなども感じながら残る疑問点などにも言及させていただきました.コロナショック下における各政策の効果・影響については,これからのコロナ下での経済政策運営にとって大きな意味をもつ研究であると感じます.速報性ある情報発信・慎重な議論の深化のバランスが非常に難しいところではありますが,これからも様々な形で,多様な専門性の交差のなかで議論が進められることを望んでやみません.
 また,専門家として対策・研究の先頭にたって発信を続ける西浦博教授に私へのリプライというお手間をとっていただけたこと,大いに感謝したいと思います.ありがとうございました.


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