見出し画像

アウシュヴィッツ訪問記:歴史や見学前の注意点などを解説

こんにちは、世界を放浪している飯田さん(@iida_shi)です。

学生時代に誰もが歴史の授業で一度は聞いたことがあるであろう”アウシュヴィッツ”という場所。

今から80年前、ここで行われたことは耳を塞ぎたくなるほど非人道的な行為ばかりでした。
女性たちから切り落とした髪の毛で絨毯を作ったり、収容されたモノたちの身体を麻酔なしで解剖したり。

2023年10月9日、その痕跡が今日まで残されているポーランドのオシフィエンチムに位置するアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へ行ってきました。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の大まかな場所

この記事ではこれからアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へ訪れる人へ向けて事前に私が知っておきたかった情報をまとめました。

また行く予定がない方でも、過去にここで起きた事柄が学べる内容になっておりますのでぜひ最後までご拝読ください。

"Those who cannot remember the past are condemned to repeat it."
"過去を覚えられない者は、 過去を繰り返す運命にある"

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の詳細

はじめに、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に関する歴史、行き方、訪れる前に知っておきたい注意点を紹介します。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所について

アウシュヴィッツⅠの風景

第二次世界大戦中、ドイツの占領下だったポーランドにて、逮捕者を収容する目的で建てられた施設がここアウシュヴィッツ強制収容所。

そもそも第二次世界大戦が勃発したきっかけはドイツがポーランドに攻め入ったことでした。 その2日後、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことで、第二次世界大戦が始まります。これが1939年の出来事です。

1942年、アウシュヴィッツ強制収容所はユダヤ人大量虐殺の場所として使われることになりました。

ナチス党の圧力によって、この強制収容所では100万を超える命が奪われたのです。

なお、ここへ収容されたのはユダヤ人だけではないようで、ポーランド人やソ連軍の捕虜、そのほかの国籍の方々も殺害されたそう。
私は恥ずかしながらアウシュヴィッツへ見学するまでユダヤ人だけが収容されたと思い込んでいました。

アウシュヴィッツは主に3箇所で構成されていました。

アウシュヴィッツⅠが俗に言われるアウシュヴィッツで一番最初にできた収容所。

アウシュヴィッツⅡ-ビルケナウ収容所はIから少し離れた場所に位置します。
Ⅰからビルケナウ収容所までは距離がありますが、見学する際は無料送迎バスで移動することができます。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所までの行き方

私の旅をまとめた一次情報です。
私が使っていない交通手段の説明は割愛しておりますので、ご理解ください。

私がアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へ行った方法が紹介します。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所がある『オシフィエンチム』から西に位置する『カトヴィツェ』という街から訪れました。

カトヴィツェのKatowice駅から電車へ乗り、乗り換えなしでオシフィエンチムへ1時間で来れました。片道で12PLN(約400円)ほどだった気がします。

今回の旅でメインの目的でもあり、何かあって入れないなんてことがないように前日はアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所が位置する街『オシフィエンチム』へ1泊しました。

私が泊まった宿は立地、宿の綺麗さ、Wi-Fiの速度、全て申し分のなかったです。共有するので行かれる方は参考にしていただければと思います。
 📍ホテルの場所

宿に置かれていたノートにメッセージを残したので聖地巡礼にどうぞ(笑)

なおクラクフやカトヴィツェから日帰りで訪れることもできます。(おそらくそうしている人の方が多い)

また見学後は、アウシュヴィッツの入り口から各街へ連れて行ってくれるバスが出ているようです。

私はもう少しオシフィエンチムの雰囲気を楽しみたかったので、駅まで歩くことにしました。

駅でチケットを買い電車が来るまでポーランド風イオンへ。
駅から10分ほど歩きますが、中はかなり広くお店もたくさんあるため電車の待ち時間を潰すのに最高の場所でした。

電車に乗って次の目的地である『クラクフ』へ向かうことに。

訪れる前に知っておきたい注意点

事前に歴史を勉強しておいたほうがいいことは前提に、そのほか行く前に私が知りたかったことや改めて知っておいてほしいことを5つ紹介します。

①予約はしたほうがいい

「原則無料で見学することができます!」
「しかし予約はしないといけない!」
「予約はネットから!」
「ネットで予約しようとすると有料ガイドしか選択肢がない!」
「予約しないで行くと入れない可能性が高い!」

そんな情報に翻弄された私がこちらです↓

結論、予約はするべきでした。
おそらく予約をしなくても入れるかもしれませんが、日々多くの方々が訪れる場所なのでかなり待つことになるでしょう。

また収容所の中は広いため、1人で歩いているとどこへいけばいいかわからなくなるので、言葉がわからなくてもガイドと一緒に行動した方がいいです。

こちらのサイトから予約することができます。
Auschwitz-Birkenau

有料ガイドがついてしまいますが、入館料だと思えば妥当だと思います。
私が予約したときは3時間のツアーガイドで80PLN(約2,800円)でした。

サイトでは日本のクレカで支払おうとすると何度も弾かれたので、成功法をシェアします。

・日本にVPNを繋ぐ
・支払い通貨をポーランドズウォティからドルへ変更

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の入館チケット(入館時PDFで大丈夫)

ツアーは前日に予約したためポーランド語しか残っていませんでした。
不安な気持ちを持ちつつも、道案内だけに期待することにしました。

当日スタッフからポーランド語の音声ガイドを受け取る際に、英語の音声ガイドに変更してもらえるか交渉したところ、後ろの英語ツアーのガイドマンが一緒に来て良いと快く承諾してくれました。

②冬は必ず重防寒装備で

私は10/9に訪れました。当日の天気は霧雨、気温は15℃ほど。

「どうせ歩いているうちに暖かくなるでしょう…」
そう余裕をかましていた自分に説教したいです。

ユニクロのダウンの下はTシャツ1枚、ズボンはニッカボッカのみ、靴は靴下1枚に地下足袋。

たしかに観光において歩くのですが、待ちながらガイドの説明を聞く時間のほうが長いのです。

次の日、私は風邪をひきました。
今この記事はお酒を飲みに行くことを諦めて、鼻を啜りながら書いています🤧

当時収容されていた人々はこれ以上寒い環境で生活し、労働をしていたと想像するといたたまれない気持ちになりました。

③ナチスに関わる行動やポーズはしない

何が言いたいかというと、敬意を払った観光をしましょうということ。

事前に学習をするような方々がこの記事を読んでいるので大丈夫だと思いますが、人間とは集団でいるとついつい悪ノリをしてしまうものです。

実際にアウシュヴィッツでナチス式の敬礼をしたオランダ人女性が拘束された事例があります。

④写真撮影ができない場所がある

場所によっては写真撮影が禁止されています。
人の髪で作られた織物が置かれている場所や、地下監獄室は撮影禁止でした。

その場その場でガイドが撮影禁止だということを教えてくれますが、言語に自信がない方はこの案内書を購入しましょう。
ガイドについていけなくなることも防いでくれます。

20PLN(700円ほど)でした。

⑤腹は満たしておくべし

見学は長丁場になるため、事前にお腹を満たしておきましょう。

アウシュヴィッツ周辺は、スーパーもなければレストランもありません。
自販機でサンドウィッチが売られていましたが、かなり高い価格だったはず。

私は見学当日の早朝にアウシュヴィッツ近くのディスカウントスーパー『Biedronka』でヨーグルトやナッツを買い込みました。
朝6時から営業しており、売っているものも他のスーパーと比べて少しだけ安く、朝から興奮しました。

写真に写っているもの合計で600円ほど。

見学内容

ここからは私の見学レポートになります。

アウシュヴィッツⅠ(1号)

下の写真はアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のビジター入り口。

建物へ入ると空港を思い立たせるゲートがあり、そこで事前にネット予約した情報がまとまったPDFのバーコードをかざしました。
入場するとすぐに手荷物検査があります。飛行機と違って危険物以外は持ち込めるのでご安心を。
📍場所

入り口

「入り口が混むからガイドツアー開始の30分前には到着したほうがいい」とネットの情報を鵜呑みした結果、スルスルと入場することができ30分待つことに。

ガイドを待つ広場

Arbeit macht frei』と書かれた有名なゲート。
意味は『働けば自由になる』。本当に自由になれた人間はごくわずか。

アウシュヴィッツ1号の入り口

人体実験が行われた第10棟。

アウシュヴィッツへ連れてこられた人は3グループに分けられたそう。
労働、ガス室、人体実験。

人体実験されるにあたって麻酔などありません。
新薬の治験、飢餓による人体の変化、その他悲惨な実験を麻酔なしで行い断末魔がやまない棟だったんだそう。

ドイツ人の医者の卵の練習場にもなったとガイドが説明していました。

第10棟の入り口

ゲートの奥に見える壁は、銃殺刑がおこなれた『死の壁』です。

壁から見て左が第10棟です。窓に黒い板が貼られているのは、処刑されている様子を見せないためなんだそう。

壁から見て右側が第11棟。ここでは脱走を試みたものたちや死刑囚を投獄する地下室がありました。地下を見学しましたが、明かりは限られており2重にも3重にも檻がかかっており、絶望そのものでした。

死の壁

ガス室です。

アウシュヴィッツに到着した人間は労働する前に、右と左へ分かれたそう。
右を見るとレンガ作りの建物がいくつも並んでいる。つまり労働が待っているということ。

左へ行くと、小さな丘が見えます。その丘の真ん中の入り口へ進んでいくとそこは写真にあるガス室。

ガス室

アウシュヴィッツの周りは有刺鉄線が張り巡らされています。
当時220ボルトの電流が流れており、労働環境に耐えきれない収容者は有刺鉄線に飛び込んで自死したらしい。

このことを収容所では「鉄杖網に走る」と言い回しされていたそう。

またアウシュヴィッツを生き抜いた精神科医の実話がまとめられ『夜と霧』にはこんなことが書かれていました。

世の末なんてモノではない

1号を見学した後は、無料送迎バスに揺られてビルケナウ収容所へ移動しました。

アウシュヴィッツⅡ(2号)・ビルケナウ収容所

写真はユダヤ人輸送列車の侵入口。
ここに入ったら煙にならないと出てこれないと呼ばれたんだそう。

「こんなに空が広いと逃げ出す気力も無くなってしまうだろうな」と収容者の思いを妄想した。

人が殺されるための線路も収容者が作ったと考えると胸が痛む。

入り口から800mほど奥へ歩くと、犠牲者の追悼碑がある。

↓和訳です。

“ ヨーロッパ各地から主にユダヤ人を中心に男女、子供を問わず150万人がナチスによって殺害されたこの地を絶望的嘆きの場所、そして人類に対する警告の地としよう Auschwitz-Birkenau1940-1945 ”

犠牲者追悼碑

歩くと瓦礫の山が見えた。そこは元々ガス室だったみたいで、証拠隠滅の為にドイツ軍が故意に破壊したそう。惨すぎて写真を撮る気力が湧きませんでした。

収容者が収監された小屋の周りには有刺鉄線がある。

収容者が収監された小屋

中へ入ると、ベッドと呼ぶには程遠い3段の寝棚があります。
「1人1段?いえいえ、5〜7人が同時に寝ていましたよ。」とガイドは説明する。
冬はマイナス10℃の中、ここで眠りについていたんだそう。

3時間、雨に打たれて寒がっている自分が惨めに思えた。

収容者が眠りについていた小屋

以上でツアーが終了しました。
ガイド中、写真を撮る気力は全く湧きませんでした。構図や光なんて気にしている暇なんてありません。

ただただ1人でも多くの人に訪れ、肌でこの歴史を知ってもらいたい場所でした。

行く前に取り入れた情報源

最後に私がアウシュヴィッツへ行く前に受け取った情報をシェアします。

書籍

アウシュヴィッツを生き抜いた精神科医の実話がまとめられた『夜と霧』。
この1冊は必ず読んで行くのとそうでないのとで、見学の解像度が全く違うでしょう。

アウシュヴィッツから生還されたリリアナ・セグレさんのインタビューをまとめた書籍です。一被害者の意見や見解を知ることができる1冊でした。

独ソ戦についてや、ナチス党側の主張や背景が漫画でわかりやすく書かれています。
作者は、ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるさん。少しクセのある絵ですが、慣れればすぐに世界観へ入るこむことができるでしょう。

動画

【ユダヤ人迫害の歴史】流れ作業の大量虐殺ホロコーストはなぜ起きたのか|世界見聞録

人類史上最悪の絶滅収容所「アウシュビッツ」の真実について|キリン【考察系youtuber】

【実話】ナチス女看守…囚人を並ばせ目の前で脱ぐ。興奮したら…|あるごめとりい

映画

ライフ・イズ・ビューティフル (Life Is Beautiful)

ナチスがユダヤ人に対して行ったことを知れば知るほど、箸休め程度で受け止めておくべき作品だと思いました。

ポーランド人のガイドを担当してくれた人にこの作品についてどう思っているか恐る恐る聞いてみると以下の回答をいただきました。
「たしかに家族愛という観点では素晴らしい作品だった。
ただ、あの作品だけを見てホロコーストについて完全に理解したと思い込むのは愚かすぎることだ。なぜならあの映画で描かれたことは我々の理想でしかないからね。たとえば、寝床に大人たちに囲まれて1人子供がいるが、本当はあそこに子供がいるのは相当おかしなことだ。普通だったらガス室へ連れて行かれているだろう。」

またリリアナ・セグレさんは書籍でこうおっしゃっていました。

時間を工面できず視聴できなかった映画を2つ紹介します。

シンドラーのリスト

第二次世界大戦中、ドイツ人の実業家オスカー・シンドラーは、ポーランドでユダヤ人を工員として使い、成功を収める。やがてナチスによるユダヤ人の虐殺を目にした彼は、秘かに彼らの救済を決心する。そして、労働力の確保という名目で多くのユダヤ人を安全な収容所に移動させていく。

シンドラーのリスト-Wikipedia
シンドラーのリスト

アウシュヴィッツの生還者 (The Survivor)

1949年。ナチスの強制収容所から生還し、アメリカに渡ったハリー・ハフト。ボクサーとして活躍する彼は、生き別れた恋人レアと再会しようとする。そんな中、ハリーは取材記者にアウシュヴィッツでの過去の出来事を明かす。

アウシュヴィッツの生還者-Wikipedia
アウシュヴィッツの生還者 (The Survivor)

アウシュヴィッツ訪問記は以上になります。

また月日をあけて訪れることで自分の受け取る感情や考え方の変化を知りたくなりました。そのためにもこうして歴史を継承していく必要があるのかなとこの記事を書いていて感じました。

最後にアウシュヴィッツ強制収容所に書かれていたこの言葉を添えて記事を締めます。

"Those who cannot remember the past are condemned to repeat it."
"過去を覚えられない者は、 過去を繰り返す運命にある"

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?