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【フワちゃん投稿炎上騒動】を通じて考える『言葉の力』について

みなさん、ばんちこです。
*いちばち*です。

今日も一日お疲れ様です。
(チャンネルの挨拶の決まり文句になりますので、「ばんちこ」って何?っていうのは、今回はスルーでお願いします)

〈この記事は、約3500字、およそ5分程度で読むことができます〉

今日は、フワちゃんの投稿炎上騒動を通じて『言葉の力』について考えたいと思います。今回、お笑い芸人のやす子さんのポストに対して引用の形で投稿された内容が問題になりましたね。

なぜ、ここまで炎上が大きくなったのでしょうか?この記事は、誰かを擁護するつもりも、避難するつもりもありません。ただ漠然と考えたことを書いてみたいと思います。



【フワちゃん投稿炎上騒動】を通じて考える『言葉の力』について

拝聴した動画:

まず、私はこちらの動画を拝聴しました。
精神科医の増田先生はこの動画の中で『仕方なかった』と述べられていました。どんなに悪いことをしても、家族が見捨てても、医者は患者を見捨てられないという立場での言葉ですからね。
確かに、人には心の『弱さ』があると思います。心の状態や疲労度など、その時のコンディションによって理性が働くかどうかで、発する『言葉』は変わるのかもしれません。


どんな『言葉』だったのか:

私が炎上騒動に気が付いた時、どこを見ても『なんて言う言葉』が使われたのか分からず、元の言葉を探すのがとても大変でした。いざ見てみると、幼稚な悪口のような内容でしたが、それでも『良くない言葉』であることには変わりありません。その意図や本人の考えは分かりませんが、その時のコンディションで毒づきたくなることもあるかなと感じました。私の感想としては「バカげているなぁ、苦笑い…」程度でした。

『使われていた言葉』は『良くない』ものです。私も、子供たちには絶対に人に対して言ってはいけない言葉として教えています。子供の癇癪がひどい時には、私も言われてしまうこともありましたが、確かにその言葉をかけられることは非常に悲しいものでした。


『どこで』『誰に』言うか:

それを、公の場で言ってしまったのは問題でした。誰だって毒を吐きたくなる時がありますが、その言葉を誰に向かってどこで言うか、そしてその言葉に責任を持てるかが問題だと思いました。

気のおけない仲の良い人たちとの間では、ふざけて毒を吐くこともありますが、それが外部に流出したり、悪意で解釈され、拡散されることもあります。信頼できる人かどうかを見極めるのも自分の責任です。その為、気軽に毒を吐ける場が減っているなとも思います。

人間なので表面上のきれい事だけで生活することはできませんが、『きれいな言葉』、『穏やかな言葉』の中で生きていければ、心地よく幸せでいいのになとも思います。それが『偽善』に感じられることもありますが、その時の自分の心の状態によって受け止め方が変わるのだと思います。

フワちゃんも、気を許しているファンの仲間内のサブスクしてくれている人たちだけに向けてふざけて言ったつもりだったかもしれませんが、公開アカウントで投稿してしまったのは失態です。自分の『言葉』には『』があり、周りへの影響も考えるべきです。その責任を持てないなら、発信するべきではありません。

私は、『自分の言葉に責任を持つこと』というのは、実はとても難しいことなのだと考えているため、今は発信の場を制限しています。できるだけ暖かく見守ってくれる人のいる場所で発信しています。『一つの言葉』でも良く受け取られる場合と悪く受け取られる場合があるからです。悪く受け取られた場合に毅然と対応できる精神力を保つことは難しいからです。

今回の件はもちろん『暴言』のため、誰からも悪く受け取られるであろう『良くない言葉』です。CM採用の企業が迅速に対応したのは良い判断でした。社会的制裁があることを示すためや企業のイメージ保持としては良い対応であったと思います。

昔は、暴力や暴言が許容されていたこともあったと思います。それがどうして許されていたのかは不明です。でも、制限をかければ人間らしさも消えてしまうのかもしれません。人間らしさはどこにあるのか、汚いものを排除し、きれいな枠にはまって生きることが窮屈であるとも楽であるとも感じます。

炎上拡大の理由:

今回の炎上拡大の理由としては、①相手が悪くないのに一方的なひどい言葉の投稿であったから、②悪ふざけをしてはいけない場所だったから、③もともと誰に対してもため口でイメージが良くなかったから、④相手が悲しいと言ったことで外野の怒りを助長したから、などが考えられます。相手は悪いことをしていないだけに、なおさらです。


対する反応:

それに対する反応として、自分の『悲しい気持ちだけ』を述べるのは良い反応だったと思います。芸人ならお笑いで返せ!と煽られていることもありますが、『傷ついた』という『感情を示すだけ』で良かったのではないでしょうか。相手に対して何かを言うのではなく、謝罪を求めるのではなく、自分の『感じたこと』をそのまま伝える。それを見て、相手がどういう行動に出るかは、自分にはどうすることもできません。謝罪をされても、許せるかどうかは別問題です。謝罪の有無に関わらず、許せない場合もあります。許せなくても良いでしょう。自分の気持ちを見て、「そうだよね、悲しかったよね」と共感してくれる人が周りにいるならば、それは幸せなことです。それを受け入れてくれる人たちを大切にして過ごすのが良いでしょう。もう、そのお相手と元の関係に戻ったり、本当に仲直りをすることは難しいと思います。

一つの事柄について、みんなの考えは千差万別ですから、自分が信じたいものを信じることが重要です。『暴言』は問題だとは思いますが、毒を吐きたくなる時もあり、好き勝手言えない世の中が生き辛いと感じることもあります。しかし、人を傷つける言葉を使うことは良くないことです。『言葉』には『』があります。自分の口からそんな言葉を使っていると、そのまま自分に返ってきて、自分自身を傷つけることにもなります。口から出た言葉を、自分自身も目で見たり耳で聞いたりしているからです。もし、自分が暴言を吐かれた側なら、相手を非難するより、自分の感じた気持ちを伝え、それを共感してくれる人たちと過ごすのが良いと思います。


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あとがき:

今回、私なんぞがこの内容を投稿することで、読んだ人からどう思われるのかなっていう若干の不安はあったのですが、この内容を、私の考えを伝えたいと思ったので載せてみました。

iPhoneのメモ機能を使って口語で話したものを文章にして、文体を直し、ChatGPTにまとめてもらったものに、修正・加筆する形で投稿しました。(文のつながりがおかしいところもありますが、もう、そのまま投稿してしまえ~い)

最後に、この文章の内容の要約と考察をChatGPTにしてもらったのでそれも載せておきます。

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ChatGPTによる内容の要約と考察:

  1. 炎上騒動と『言葉の力』

    • フワちゃんの投稿炎上騒動を通じて、『言葉の力』について考察しています。問題となったのは、お笑い芸人のやす子のポストに対する引用です。

  2. 炎上の理由

    • 炎上がなぜ起こったかを考察しています。投稿の内容が悪口や幼稚な表現だったことが影響していると述べています。また、投稿者の意図やコンディションも関連しているかもしれないとしています。

  3. 言葉の責任

    • 言葉には力があり、その発信者は責任を持つべきだとしています。公の場で発する言葉には特に注意が必要で、発言の場や相手に応じた責任が問われるべきだと述べています。

  4. 個人的な反応と発信の制限

    • 自分自身も発信の場を制限しており、発信する言葉には慎重に対応していることを述べています。悪意のある言葉や暴言に対しては、謝罪や反応を求めるよりも、自分の感じた気持ちを正直に伝えることが重要だとしています。

  5. 企業の対応と社会的制裁

    • 企業が迅速に対応したことは良い判断であり、社会的制裁の一環として適切であるとしています。

  6. 人間らしさと暴言の許容

    • 昔の人々が暴言や暴力を許容されていたことを挙げ、現代の厳しい基準と比較しています。人間らしさや枠にはまった生き方について考えています。

  7. 結論と自己理解

    • 最終的に、言葉に対する感受性や受け取り方が人それぞれであり、発信者は自分の言葉に対する責任を持ち、共感を得られる人たちと過ごすことが大切だと結論づけています。


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SNSについてはこんな記事も書いています。こちらもよろちこ。

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昨日よりも今日、今日よりも明日の自分がより良くなれるよう、一か八かやっていきます!

以上、いちばちでした!



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