「美に対する視点と寛容度」・中
丈木のお話しの前に、もう少し。
○ 「刃切れ」についての迷妄
更に丈木とは製材前のかなりボリュームのある木材をいう。
当時の刀剣使用者の大多数は、刀の美に対して思慕などは思い寄せていなかった。地鉄や刃紋の美しさをしみじみと鑑賞する姿勢が決まったのはずっと後代のこと。当時は要するに丈夫で折れず曲らず、斬れることが第一であり、それが刀剣の正義であり、つまりは信頼おくべき美そのものであったと考えていい。
要は実戦時代、刀剣の刃切れは実用上何の問題もないといっていい程、気にかけるキズではなかった。刃切れが問題視されるようになったのは泰平の坐談が盛んになってからのことであるが、その後刃切れは刀剣における最大の欠点という位置を与えられ、それが固定観念となって現代に及んでいる。勿論健全な刀からみれば刃切れはキズにちがいないが、価値が格段に落ちてしまうという観念は、現代の刀剣学というものが事実上進んでいるものならば改められて至当だと考える。
たとえばこんな話がある。
刀剣同様侍の乗用とした馬にも鑑別上いろいろな疵の名目があった。特に問題にしたのは毛疵である。毛疵とは青毛や栗毛の面上に馬相上凶とする白毛が出たり、月毛の馬に青毛が同様に出ている場合をいう。異毛の出方が問題だが、特に忌まれたのは卒塔婆面(そとばづら)というもので、つまりは馬の顔に墓標の模様が白毛で浮出しているような状態をさす。これは乗る者を不幸に落とし入れる第一の不吉な馬相とされ、一応の侍は用いることを嫌った。サムライに高くは売れない馬ということになる。
ところが、右のような風儀がはじまったのも江戸泰平期からである。戦国時代にはそんな馬鹿な話は出ていない。馬の顔の毛並が少々変わっていようがいまいが、能力には一切問題ないのである。泰平になると暇なものだから馬の易者までわいて来たわけであるが、これには裏の事情が実はあるのだ。
侍は良馬をほしがる。騎馬の士の奉公は戦場での手柄が一番であるが、そのためにはまず乗用の駿馬が欲しい。優駿は武士のステイタスであり心懸の良さをあらわす象徴でもある。全国の騎士以上の侍がみんなこの調子であるから、馬の需要は大したものである。当然騎士でも下の方になると馬が不足する。ここで疵馬というものが作り出された。駿足でも毛疵などがあると大身の侍は需めない。いきおい、この馬は下士の需要を満たすことになる。つまりは下々の馬乗りの士にも馬が行きわたるように毛疵のある馬種が生まれたのである。
刀剣の刃切れについてもその忌避の理由を、いざ一戦という時に折れるから武用に立たぬという決定的な欠点に事由をおいているが、実用にはさして障りのないことは先に述べた通りである。この裏にも前記の馬と同様の事情が少なからず存したことを知る人は殆どいない。
この時代の刀の需要は馬の比ではない。厖大な数の刀剣が要った。名刀を持っているのは大名や高級旗本、ないし諸家の重臣歴々、あるいは豪商に限られ、その他大勢の侍たちや町人に良刀は行きわたらなかった。軽格の士や軽い扶持人たちは刀といっても名ばかりのものしか差すことはできぬ。しかし、身分は卑(ひく)くとも武に明るい侍たちは大抵の刀剣の疵が実用上差し障りのないことを知っていた。こういう人々に実質の名刀を持てるように刀の疵も名目を作って事挙げするようになったのである。必要上自然に生まれた救済策とでもいうべきものであろうか。日本人は有言無言さまざまの内になかなか知恵のあるシャレた手配りをする民族である。
刀というもの、一旦武士の佩くところとなれば容易に他人が見ることは許されない。現今の入札鑑定会などということはサムライ社会では通常なかったことであるから、他人様の刀が如何なものか、詳しいことは勿論、真偽を質すこともあり得ない。現に少々の疵物を帯びていようが、正宗の偽物であろうか、そんなことは第三者の斟酌するところではないから日常直接的にそのことについて云々されることはあり得ない。心配ないのである。ただ、おのが身に剣刃上のことがおこった場合、その刀が切れなかったり、折れたりした場合の不覚が恥辱であった、刀身の穿鑿はその後のことである。よい働きをすれば偽物であろうが刃切れであろうがはたまた再刃であろうが、何の不名誉にもならぬ。要するにその時代はそのサムライがおれの刀は正宗だといい切ってしまえばそれを否定するものはまず居ないという社会であるから、疵は何等その士の恥とするところではない。ただ、帯刀を売却する場合は価格に問題が生ずることは当然であるが、そもそも刀を売るという事自体、すり切った侍の大恥であるからこれも刀の恥以前、人間の問題である。
(続)
前編はこちらから。
刀に対しての扱いの移り変わり、意外なところもあります。
刀剣のゲームの流行もあって、ようやく刀にまつわる歴史が尊重される流れがきているかもしれません。
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