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【土曜:BPⅡの話⑩】”発達障害”と”ハイコンテクスト文化”

こんにちは、アスカです。

外を歩くと、まるで室温高めの温水プールのプールサイドを歩いているような感覚になります。

ここ数年の夏の気温について、いろんなところで言っているんですが、

小学生の頃に夏休みの宿題で配られた記録表みたいなものに、日々の最高気温を書く欄があって、
私はどう思い出しても31℃前後と書いていた記憶しかありません。

小学生の夏休みは7~8月ですから、
現時点で35℃まで上昇するのはやはり気候変動の影響が見られますね…。

かと思えば、秋田では大雨で、
本当に過去数十年程度の常識は通じなくなってきているんだなと感じます。

今日のお話も、変化、というところがポイントのお話。
発達障害とハイコンテクスト文化についての、ごく個人的な考えです。


<”おとなの発達障害”>

BPとも合併的に見られる「ASD(自閉症スペクトラム障害)」や「ADHD(注意欠如・多動症)」。
おとなの発達障害、なんて最近では言われます。

私も通院中、関連症状としてこの二つについてレクチャーを受けました。

発達障害人口は、年々増えていますね。
該当者に対して甘えとかいう向きもありますが、
昔よりも社会生活においてコミュニケーションを求められる場面が増えたのだから、
こう診断される人が増えるのも無理はないのでは
、と思ったりします。

どこで読んだか忘れましたが、
日本の産業構造が一次産業メインだったころって、
実はそこまでコミュニケーション能力なくても生きて行けたのでは
、という話。

職人畑の人は気難しいものとされていた=それで許されていたし、
農家の人だって一日一人で畑にいてもいいし、
気分が乗らなきゃ一日休むことも可能だったのだろうし。
コミュニケーション能力を強く求められたのは、商売人くらいだったのでしょう。
教育だって、昔は先生が正義で、一方的で許されましたしね。

いまでも言うじゃないですか、
「会社員に向いていないから自営業」とかって。
昔の日本って、経済規模から考えても自営業者の方が多かったのでは?
会社員といっても、製造業なら実態は職人さんですし。

それが、特に戦後、三次(サービス)産業がメインになって、
社会全体が求めるコミュニケーション能力の基準が上がった。
一次産業というセーフティネットが縮小すれば、
そりゃ零れる数も増えるでしょう。

かつ、日本がそもそも「ハイコンテクスト文化」だったことも関係しているのかなと思います。

<ハイコンテクスト文化>

昨日、本の感想としてルターの「宗教改革」について書いたのですが↓

この後の伝統としてドイツの法律はかなり厳密でアカデミックであるらしい。
準拠を明確に示す、いわゆるローコンテクストというやつですね。
必要な情報はすべて明示する文化です。

日本語はその逆、ハイコンテクスト文化と言われます。

いにしえのオタクなのでまたエヴァを例に出しますと(笑)、

新劇場版:破で、

EUから来日したアスカが「日本人ってどうしてこう不用心なのかしら。よく鍵のない部屋で寝られるわね」と言ったのに対し、

ミサトが「日本人の信条は、察しと思いやりだからよ」と答える場面があります。
(夜這い文化とかあるんで、綺麗事ですむ話じゃないんですけどね)


察しと思いやり。
ざっくりこれがハイコンテクスト文化ってことですね。
言われなくてもわかるやろ、ということです。

だから最悪、直接コミュニケーション取らなくても物事が進むこともあったのだと思われます。
特に、女性は気を遣って物事がうまく進むように取りなすのが美徳、だなんて考え方もありますしね。


ところが昨今は「言語化」という言葉がよく使われ、
かつそういった面に秀でた人が注目されがちな時代です。
SNSで匿名性と文章への依存率が高まっていることからか、
このハイコンテクストの側面が崩れてきているのかな、と感じています。

ハイコンテクストのコミュニケーションには、
相手の表情とかも含まれますしね。

「はっきりダメと言われていないこと以外はやっていい」
というノリで行動し、結果炎上するというのは、その際たるものかと。。

はっきりダメと言われてなくても、そのくらいわかるでしょ、
というのが通用しなくなってきています。

ハイコンテクスト文化って、
ある種、コミュニケーション能力の低い発達障害者の助けだったんじゃないかなぁ。
だから、それが崩れていけば発達障害と呼ばれる人口は増えていくように思うのです。

<情報化社会に思うこと>

このまま日本社会のハイコンテクスト文化が崩れた場合、
「空気を読め」って言葉はどうなるんでしょう。

少し脱線しますが、山本七平氏の「空気の研究」という本の中で、
”空気”が支配する社会構造が日本の壊滅的な戦争被害を招いたと指摘がなされたうえで、
「次に”空気”を重視して社会が判断するようなことがあったら、その時は日本が滅びる時」というようなことが主張されていることを思い出します。

この点では、「空気を読め」が死語になることは喜ばしいことなのかもしれません。


また、「コミュ障」って言葉はどうでしょう。
いまの定義は「対面でのコミュニケーションがうまく取れない人間」であるようですが、
単純に「言語でコミュニケーション取れない人間」のことを指すようになるのかな。

文章での交流の割合が増えてきたら、
文章力のない人間のことも指すことになるのでしょうか。
話すのはうまいのに文章が下手なパターンはどうなるのかなぁ。

と、BPとは直接的には関係のないお話にはなりましたが、
近い分野のことということでご勘弁ください。

最後に、発達障害についての政府広報ページを貼っておきます。

発達障害もBPも、先天的要因によるものであって、
育て方とか、ましてや本人の根性によるものではありません。
恥ずかしいことでもない。
生きづらいなら病院へ行ってみましょう。

「自分が悪いんだ」と思わなくて済むだけでも、
少し呼吸は楽になりますもの。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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2023年7月15日
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