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【ネタバレ】シン・エヴァンゲリオン所感

※ 完全なネタバレ記事です。

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はじめに

この記事では、私の独断と偏見でエヴァの解釈を書きます。

なぜかというと映画の感想というのは個人で咀嚼し、独断と偏見で書かなければ面白くないからです。

これは視聴1回目時点での感想記事なので、見直したときに意見が変わり得ます。『シン・エヴァンゲリオン』を観た後の熱を優先させたため、推敲していません。荒削りです。

エヴァンゲリオンとはなにか

まず大前提として、エヴァンゲリオンは庵野監督の私小説だ。

突拍子もないように感じるが、かなり有力な見方だと考えている。

具体例を出すと、庵野秀明を可愛がっている宮﨑駿は庵野監督のことをこう評している。

「庵野の一番の取り柄は正直に作ることだと思うんだよね。『エヴァンゲリオン』みたいな正直な映画を作ってなにもないことを証明した」

これは悪口でもなんでもなく、宮﨑駿による旧劇場版エヴァの率直な批評だ。

エヴァのシンジくんというのは、庵野監督そのものであるし、旧劇場版は庵野監督の正直な感情をすべて表現しきったものである。

だから、庵野監督は(メカニックな構造物など)自分の描きたいものを自由に描くし、自身の弱い部分もすべてキャラクターに投影する。

庵野監督自身も、こう発言している。

基本的に『エヴァ』は僕の人生をフィルムに引き写しているだけなんで、僕が生きているわけだから、物語は終わらない

『エヴァ』という列車は走り続ける|Real Sound|リアルサウンド 映画部

それ故に、新世紀エヴァンゲリオンは同じ境遇のオタクに刺さるものとなったし、時代の寵児となった。

本作品で重要なポイント

たとえば、序盤のシンジくんが黙りこんでしまうのは、気分の落ち込みが激しい庵野監督自身を投影している。

Qを制作した後にぶっ叩かれて精神状態がどん底だった庵野監督を、配偶者である安野モヨコが、救い出したエピソードはあまりにも有名である。

※ 動画はメタファーであるが、映画もまたメタファーである。シン・エヴァンゲリオン序盤の村シーンはカブ栽培にあたるのではないだろうか。

おおまかな流れを言うと

庵野監督「Q作った」

エヴァの視聴者「なんだこの内容は😡」

庵野監督「……視聴者の反応が辛い。もうエヴァ作りたくない」

庵野監督「…………」(うつ状態)

安野モヨコ「作りたくないなら作らんでいい。好きなもの作ろう」

庵野監督「え……いいの……?」

安野モヨコ「いい」

庵野監督「シン・ゴジラ作るわ」

庵野監督「めっちゃ楽しい!!!!!」

庵野監督「元気出たからシン・エヴァンゲリオンも作るわー!!!!!!!」

という流れだ。

なので、真希波・マリは安野モヨコそのものだ。

庵野監督は自身が安野モヨコに救われた体験談を『シン・エヴァンゲリオン』で表現したのである。

※ マリが選ばれたのは偶然ではない。作中でもシンジと向き合い、何度もシンジくんを迎えに行き、救ったのはマリだ。

庵野監督は「シンジ」から「ゲンドウ」になった

本作品は新劇場版の続編というだけでなく、アニメ版・旧劇場版・漫画版・その他派生のエヴァの集大成ともいえる。

その中でも、アニメ版を一旦終わらせた旧劇場版の香りが色濃いのは、立ち位置が同じだからであり偶然ではない。

そして旧劇場版のアニメから変わったことは、庵野監督の心情が完全にシンジからゲンドウにギアチェンジしたということだ

正直シンジくんが父親を殴る王道のテンプレ展開を予想していたが、まさかシンジくんがセラピストになってゲンドウの話を聞く展開になるとは思わなかった。

ちなみにゲンドウの独白シーン、私はめちゃくちゃおもしろいと思っている。

読書好きの心情をよく表していて共感できたからだ。

ゲンドウは自分が好きなものとして「知識」と「ピアノ」をあげている。

知識は「わかる〜」として、ピアノの方は最初ピンと来なかったが、庵野監督が「アニメーションを作る」ことだと解釈すれば腑に落ちる。


「調律されたピアノは正確な音を鳴らす」うんたらのくだりは、落ち着いて考えると庵野監督の「アニメってのはなあ!! 描いたとおりに動いてくれるから好きだったぜ!!!」というメッセージと取れなくもない。

※ 相手の内面を読まなければいけない他者と違って、アニメというのは描かれた通りに動くし、好きなものを表現できる。プログラミングが趣味の人間がプログラミングコードを書くようなもの。

他者と自分にATフィールドを張り、耳を閉ざしていた庵野監督を変えたのが安野モヨコ(またはそれ以前に付き合っていた女性)だったのではないだろうか。

結局重度のエヴァファンは救済されない問題

立ち返ると庵野監督には、安野モヨコという良き理解者がいる。
カラーという会社も独立して作り、よき理解者に囲まれているようなものだ。

庵野監督には才能があった。そして非常に幸運な男であることも忘れてはいけない。誰も、庵野監督と安野モヨコみたいに仲がいいイチャラブ状態のパートナーがいるとは限らない。

なので、あのエンディングに物語としての普遍性はあるが、誰にでも適用できるかというと、厳しいと思う。特に長年エヴァを見ているような気難しいファンにとっては。

幼い頃の友人に人生を抜け駆けされてしまったみたいでなんとも歯がゆい思いを残した重度のエヴァファンもいるのではないか(私である)

庵野監督の境遇なんて、言ってしまえば相当なラッキーな方で、他者が苦手なほとんどのオタクには人類補完計画が必要だろう。


現実に

・誰も彼も趣味の合うパートナーを見つけるのは難しい。
・日本は3組に1組が離婚すると言われる
・結婚は誰にとっても救済ではない。
・そもそも結婚という選択肢を取らない若者も増え、未婚率が上がっている。


という問題がある、このご時世なら尚更だ。

現状を整理すると、現代は結婚という契約よりも、自分の時間を楽しみたいシンジくんが日本には増えているのだ。
少子化が加速しているため、おそらくこの流れは一過性のものではなく、止まらないだろう。

ぶっちゃけエヴァファンを庵野監督が救済する必要はない

私見だが、これはアニメを見続けるこっちが悪いし、庵野監督はなにも責任を取る必要はない。

乱暴に解釈してしまうと、旧劇でのメッセージは「クソみてえなファンはフィクションに没入してないで現実に戻れ」であった。

一方、シン・エヴァンゲリオンのメッセージは「お前ら俺がエヴァの風呂敷を完璧に畳む!! 今まで悪かったな!! これでエヴァは完全にグランド・フィナーレ!!! あと現実もなかなか悪くないものだよ」である。

メッセージの根幹は同じだが、めちゃくちゃ優しくなっている。

が、ぶっちゃけ現代の人間は大概スマホにハマっているし、画面を覗いていたほうが楽しい。このメッセージが現代のオタクに届くかは謎だ。

※ もっとも100人に1人がそれで影響されれば作品としての意義は大きいと思う

最後に


なんにせよ、庵野監督が風呂敷を広げまくったエヴァをこんなに綺麗に畳んでくれるとは思わなかったし、率直に心の底から感動した。

私から庵野監督へ伝えたいことは、ただ一つだ。

「これまで楽しませてくれて、ありがとう。25年間、本当にお疲れ様です」

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