見出し画像

兼田達矢「横浜の”ロック”ステーション TVKの挑戦」

この日、TVK(テレビ神奈川)で「ライブ帝国 ザ・ファイナル」という7時間の特別番組が放送されるというので、俺はそれを楽しみにしていた。
TVKでは十数年前にも同じような特別番組を放送していて、そのとき出会ったバンドが俺の人生に大きな影響を与えているのだとたびたび実感している。その番組のビデオテープはまだ残っているけれど、実家に置きっぱなしで中身を確認することができない。ラベルに自分で書いた「ライブ帝国」という太い文字ははっきりと思い出せるのだが。インターネットで調べてみても出てこない。おそらく2000年か2001年の正月特番だったと思う。俺は14歳。もうすでにザ・ブルーハーツと出会ってロック音楽を好きになってはいたけれど、ザ・ブルーハーツ以外に自分を興奮させてくれるものがあるのかどうか、手当たり次第に探し始めていたところだった。その途方もない探索の手助けをしてくれた心強い味方がTVKであり、ライブ帝国の正月特番だった。
それはTVKに眠る膨大なアーカイブのなかから、1バンド1曲ずつ、ライブ映像を7時間連続で流し続けるという内容だった。とっくに解散したバンド、近所のTSUTAYAに置いていないバンド、死んだ人、作品として発売されていない映像。何もかもが貴重で新鮮だった。ナンバーガール「透明少女」を観て、歪んだエレキギターのように歌ってもいいのだと知った。ピチカート・ファイブ「TWIGGY TWIGGY」を観て、演奏をせずにステージで踊ってもいいのだと知った。ギターウルフ「ジェットジェネレーション」を観て、意味のない歌詞でもかっこよければいいのだと知った。Dragon Ash「The Day Dragged On」を観た。ユニコーンの「大迷惑」を観た。レピッシュの「パヤパヤ」を観た。電気グルーヴの「マイアミ天国」を観た。ブランキー・ジェット・シティの「PUNKY BAD HIP」を観た。ザ・ミッシェル・ガン・エレファントの「ゲット・アップ・ルーシー」を観た。
もちろんすべてが過去の映像だったが、俺にとっては何もかも新しかった。リアルタイムで体験できる流行の音楽よりも、俺を興奮させてくれるものが多いように感じた。それは劣化した映像や音質の妙なのかもしれないし、ある種の隔たりが、情報の少なさが俺の妄想を許容してくれたということなのかもしれない。
とはいえ、それも7時間あるうちの1時間にも満たなかったのだ。TVKが厳選したなかから、さらに俺が厳選した一掴み。音楽ならなんでも良いわけではなかったし、俺を感動させてくれるものは決して多くない。そして、「感動させてくれる何かを探す」ということは、「何かに感動する俺を探す」ということでもあったはずだ。他人とは違う自分の輪郭がくっきりと浮かび上がるまで、ひたすらハズレを引く日々だった。

2022年。TVKは開局50周年。兼田達矢「横浜の”ロック”ステーション TVKの挑戦」という書籍が発売された。音楽番組プロデューサー・住友利行のインタビューを中心にしながら、TVKがいかにして独自の姿勢を貫いてきたのかを振り返っている。
俺があらためて思ったのは、俺が自分で選んできたと思っていたものも時代の流れと切り離せないということだった。家にビデオデッキがあること。テレビが2台あること。レコードではなくCDが売れ、ラジカセやウォークマンで音楽を聴くこと。バンドがブームになり、経済効果を生むコンテンツであったこと。俺はそれが当たり前の環境で生まれ育ってきた。これまでもずっとそうだったし、これからもずっとそうなのだと疑わずに音楽を体験してきた。自分の感性が時代に巻き込まれていることすら気づかずに。

2022年に放送された「ライブ帝国 ザ・ファイナル」は、新鮮さよりも懐かしさを俺に感じさせた。古いと思った。それはHOUND DOGとかPRINCESS PRINCESSとか、俺の好みではない選曲が目立っていたせいかもしれないが。当時は新しくて、流行していたからこそ古くなってしまうのだろうか。いや、きっと違う。いま古いものはきっと当時から古かったのだ。すでに懐かしかったから流行したのだ。その懐かしさについて俺はあまり興味がない。ナンバーガールもミッシェルガンエレファントも、懐かしいなんて思ったことないもの。そして、RCサクセションの「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」は今観ても最高に新しかった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?