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朗らかな絶望

木枯らしの舞うころ


悲しさも、悔しさもなく、ただ、やるせなかった。


隣人の焼失。









ピピ〜! ピッピッピッピッ
ピピ〜! ピッピッピッピッ



緩急をつけた律動に合わせてストップ&ゴーを繰り返す。
バスケットはトランジションのスポーツ。ただ長ったらしく長距離を走る練習は必要は無いのだ。人生も。

ポイントポイントに落ち葉の山が集められ整頓された公園通り沿いの直線をいつも通りダッシュ。
転居したばかりだが、僕はいつもと同じコースを走る。

旧団地が取り壊され、近くに新設されたマンションに強制移転をしたのだ。



なにやら異常なニオイがする。鼻をつんざく異常なニオイ。
焦げ臭く、ほのかに甘かったり、ツーンとしたり
とにかく強烈なニオイを放っているのは、取り壊される廃墟のような旧団地。
あれは僕達家族が住んでいた場所!

10年住んだ思い出の部屋の一角


−−−−−−−−−−−−


いつもキレイな団地の階段の下の通りを、小学生の妹と愛犬が元気に駆け回っている。
毎日々々、外をホウキで掃除をしてくれるのは4階のお隣さん、山田さんだ。

中年の山田さんは色黒で背が高くて頬が痩せこけている。
僕達家族に会うといつも柔和な笑顔で挨拶してくれる
一般的にどう見たって優しくていい人だ。

山田さんはお母さんと二人暮らし。
妹が幼稚園の頃は自力で階段を登っていたが、じきに車椅子になり、少しずつ認知症に理性を奪われていった。挨拶も交わせなくなるくらいに。
エレベーターの無い4階、聞こえてくる言い合い、騒音

正直、相当、相当に山田さんは母親の介護を頑張っていたと思う。



妹が中学校に上がる頃だろうか、山田さんのお母さんが亡くなったとの知らせが届く。

ほぼほぼ接点は無かったが、歩いていると突然怒号を食らったこともあったりして、若かった僕は少し安心した部分すらあった。

山田さんもかすかに肩の荷が少しおりた表情をしていたことを覚えている。


時折、垣間見える山田さんちの玄関先は少し汚くて、片付けがされていないように見える。どうやら仕事はしていない



少しずつ時が経つ。
妹と愛犬で外を駆け回ることも少なくなったが
変わらずに、通りはいつもキレイだ。



やがて古い団地から新しいマンションへ強制移行が迫られることになった。
100mほどの近い距離だが、業者を呼ぶのか呼ばないのか

僕ら家族は転居を遂行させ、エレベーター付きのキレイな家に住み始めた。以前と同じ4階の角






いつも通り外をダッシュしていると、旧団地のほうから異常なニオイがする。
行ってみると、刑事ドラマで見たことのあるようなキープアウトの黄色いテープが貼られていた。現場にはちらほら野次馬が訪れる。

なんだろう、よくわからないまま何日かが過ぎる。
愛犬も散歩中にその異常なニオイに不思議な表情を見せつつも、まだ新居のほうを我が家と認識しておらず
あれうちはこっちだよ?  とばかりに旧住宅のほうに手綱を引っ張る。


それにしても、いったい何なのだろうか。




町内会、新社屋の広ーい憩いのスペースで会合。


旧団地の黒焦げの正体は、なんと山田さんの焼身自殺だった。


衝撃。みんなかなりの衝撃を受けていた。


が、
僕達家族だけは
その衝撃が納得に変わるのは、一瞬だった





ただ、やるせない






親の死に目を看取り、おそらく生活保護で生きていたところに手間のかかる強制引っ越し。雑多な部屋だった。何もかもが面倒になったのだと思う。


全員が確実に引っ越しをしたのを確認して、
取り壊しになる建物の中で誰にも迷惑をかけないよう、逝った。

誰にも迷惑をかけないように

そのタイミングを計っていたのだ。
確信できる。
それほど優しく、儚い人だった。





もし山田さんの母親が生きている内に、エレベーターのあるマンションに強制引っ越しが行われていたら、また違った展開だったのかもしれない。
ただ、そのパターンが幸せだったかは、正直わからない。





なんとなくだけど
際の際、意を決した瞬間を、僕は想像することが出来る。
覚悟を決めた凄みの緊張の後に、何もかもから解き放たれた安堵の表情をして、世を儚みながら、無常の中で逝ったんだと思う。



簡単なきっかけで人は死ぬ。




孤独と役割



身寄りが無くなり、社会的に繋がりが無くなるとこうもあっさり人は死ぬのだ。

WHO憲章において、健康の定義は病気の有無ではなく、
肉体的、精神的、社会的に満たされた状態にあることを健康という。

はた目から見ていると、明らかに肉体的な健康は担保されていたように思う。




そして、母親の介護という役割からの解放

50歳を超えて、今さら社会復帰する必要性






それだけにやるせない。

悲しい、悔しいでも無い。

どうにも出来なかったと思う。


ただ、やるせないのだ。







カサ カサ カサ カサ


ランニングの帰り
散らばる落ち葉を踏む音を立てながら、今日も愛犬の足は旧団地のほうを向いている


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