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Chapter3


 「ごめん、会社にバレた」
 オサムはいつも無機質なLINEを送ってくる。
 「!」とか「(笑)」があるだけで文章の印象は全然違うのに、私がどれだけ絵文字やスタンプを駆使しても、返ってくるのは、いつも短文で無愛想な文章だった。
 LINEの返信のことでは何度も喧嘩になった。くだらないかもしれないけど、異性と付き合うということは、相手を思いやる気持ちを育むことだと思っている。
 「愛とは同じ方向を見ること」とはよく言ったもので、価値観などを擦り合わせて、お互いが過ごしやすい環境を作るべきだ。
 しかし、この日のLINEだけは、無機質な文章に人の温もりを感じてしまった。
 彼は、焦り、不安になり、本気で謝罪している。
 私は瞬時にことの重大さを察知したが、動揺を見せないように「どういうこと?」と平静を装った返事を送ったが、その日、彼からの返信がくることはなかった。

 「今日、夜、ご飯行かない?」
 オサムは重要な話を長文でLINEするような男ではない。
 そんな時は必ず電話をしてきた。それもビデオ電話だ。
 初めてビデオ電話をしたときは緊張した。
 それは顔を合わせる緊張ではなく、使ったことのない機能を利用する緊張で、自分と年齢が8歳離れていることを実感してしまう。
 そして、当然のようにビデオ通話を使いこなすオサムに嫉妬の気持ちが湧いてくる。
 もちろん、彼が通過してきた女性の面影を感じることにもザワザワするのだが、一番は、時代の流れを敏感に察知し、すぐに生活に取り入れることができる「若さ」に嫉妬をしてしまう。
 8年前の自分は営業部の女エースとしてバリバリに第一線で働いていた。
 残業が当たり前だったし、先輩や得意先で教わった本や映画を貪るようにインプットし、全ての優先順位の頂点に自分を置いた。
 それこそが若さの特権だと思っていたし、何より、楽しかった。
 しかし、年齢を重ねると出会いやインプットも減り、親友・マキコの一件もあり、第一線の出世コースからは離脱。
 当時の熱量を持って仕事にとり組むことができない自分に対する嫌悪感がシコリになり、次第に大きくなっていた。これは検査するまでもなく、悪性だ。
 そこにきて、オサムのようなデジタル世代の若さや、表には出さない静かな熱量を感じると、どうしてもシコリに痛みが走る。

 「オッケー。私は18時に会社出れる!」
 変化の少ない生活の中で、オサムの存在はとても刺激的だった。
 偏ってはいたが情報を仕入れることにお金を使い、何より知的好奇心が高く、私の話も一生懸命聞いてくれた。
 私が「オサムは次にジャズにハマると思う!」と言えば、数ヶ月後には本当にハマり、「文章を書いた方がいいいよ!」と言えば、すぐに文章を書き「見て見て!」と子どものようにはしゃいだ。
 スポンジのように世界の事象を吸収していく姿に、シコリは痛むが、それよりも自分にとっての刺激の方が価値が高かった。
 彼が同年代の友人がいないことも理解できた。いや、単純に同年代で彼と話を合わせることが出来る人が少ないのだと思った。
 彼は自分の興味がないことに対しては、とことん冷たい対応になる。だから、LINEの返信について毎回喧嘩になってしまう。
 付き合い始めこそ、すれ違いが多く、彼の性格を理解できていなかったが、関係が進んでいくほど、彼の気持ちを汲み取ることが出来るようになった。
 あの時、「今日、夜、ご飯行かない?」の文字を見て、私は確信をしていた。

 オサムは、私との関係を終わらせようとしている。

 彼は関係を断ち切るような分かりやすい言葉で表現することはないだろう。
 しかし、関係に亀裂の入る言葉をあえて使うだろうし、私はその言葉に傷つくに違いない。それでも、私は彼と一緒にいたい。
 胸の鼓動が早くなると、お腹に差し込むような痛みがくる。
 私は、お腹を押さえながらスマホでイタリアンレストランを予約し、結末の見えた修羅場に向かった。


1時間26分/1600字



 

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