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Chapter2


 4年の間に色々なことが起きた。
 一番大きな変化はやはりボクの転職だろう。
 昔から社内恋愛は禁止されていた。いや、厳密には禁止というルールはないのだが、社内恋愛がバレるとカップルのどちらかが自主的に会社を離れていくという風習があった。
 上司に呼び出され、人事部との話し合いが始まる。
 「佐川、お前、藤野ハルと付き合っているのか?」
 広すぎる会議室に男二人という妙な状況に反して、上司は飲み屋で恋愛相談に乗るかのような軽い口ぶりで聞いてきた。
 鼻頭に脂が光り、目は真剣だが口元には笑みが浮かぶ不気味な表情。
 家庭放棄し、ゲームに夢中になる父の姿が頭をよぎり、ボクは思わず奥歯をギュッと噛み締めた。
 「はい、あの、会社辞めようと思っています」
 上司は、あまりの展開の早さに呆気に取られ、次に怒りに似た表情を浮かべていたが、表情とは裏腹に口調は穏やかで、素直にボクの気持ちを受け取った。
 なぜ、一瞬こめかみに血管を浮かび上がらせて怒ったような顔をしたのか疑問に思ったが、その後の穏やかで事務的な対応の早さから察するに、面白くなりそうなゲームを取り上げられた苛立ちだっただけだろう。
 
 「事実上のクビだよね」
 自分で悪意を込めているつもりはないのに、口から出てくる言葉には無数のトゲが生えている。
 ハルは申し訳なさそうに、パスタを口に運んでいた。
 年齢的にもキャリア的にも上の人間が会社に残り、付き合った後輩が会社を辞めるというバツの悪さを想像することは容易いはずなのに、気の利いたことを言うことが出来ない自分の未熟さに嫌気がさす。
 「ごめんね」
 彼女には謝るという選択肢しか残されていなかった。
 ボクらの関係に小さな亀裂が入った一番最初の出来事だったのかもしれない。

 「あ、いや、そうじゃなくて。もともと辞めようと思ってたところだったから丁度よかったよ」
 些細なことや、くだらないことで喧嘩はたくさんしてきた。
 夕食の時間帯の違いや、トイレの使い方、観たい映画の好みなど、他人同士が日常を共有する時間が増えるほど見えてくる価値観のズレが原因の喧嘩。過去の恋愛話に嫉妬して喧嘩。仲直りするまでの時間の長さの違いで、さらに喧嘩。
 喧嘩こそ多かったが、亀裂が入るような感覚はなかった。
 いつも自然と仲直りし、気付けばベッドで身体を重ねていた。
 
 「はあ、なんでこんなことになっちゃったんだろうね」
 ハルにはマキコという親友がいた。
 ハルとマキコは同期入社で、当時の二人はライバル関係だったらしい。
 ハルは営業部、マキコは企画部に配属され、お互いメキメキと頭角を顕していったそうだ。
 気遣いが出来て、コミュニケーション能力が高いハルと、溢れるアイデアと、それを実現させる行動力を持つマキコ。
 二人の活躍に会社全体の士気が上がったようで、二人とも、とにかく社長に可愛がられていた。
 二人とも有望視されていたのだが、入社して5年経ったころ、マキコは社内恋愛が原因で、いわゆる窓際に異動させられることがあった。
 その時に、鎬を削ったライバルとして彼女に手を差し伸べたのがハルだった。

 「マキコさんじゃないの?」
 この日はどうかしていた。
 会社に辞めると伝えて、自棄になっていたのかもしれない。
 マキコさんがボクらの恋愛を誰かに言うワケがない。
 ボクらの関係をバラしたのはアオイ先輩だということも分かっているはずなのに、なぜだか言葉がポロポロと出てきてしまう。

 ハルは、目に涙を浮かべていた。
 口は「違うよ」と動いていたが、ボクの耳には音が聞こえなかった。
 お酒を飲んだ勢いで、アオイ先輩にボクらの関係を明かしたのは、ボクだ。
 ボクが他人を信用してしまったから、こんなことになってしまったんだ。
 それなのに、ハルとマキコの強く結びついた関係までも壊そうとしている自分がいるのが恐ろしい。
 ハルの目から、とうとう、涙が溢れた。


2時間28分/1600文字

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