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【観察記録】 ミキカムラさん


「よーい、はじめ!」
 一斉に部屋の中にタイピングする音が響く。
 カチャカチャと叩かれるキーボード。
 日頃のストレスをぶつけるかのように強く板を叩く人、撫でるように滑らかにタイプする人。音を聴いているだけでも、その人の性格が現れる。
 ミキカムラは、この音が好きだった。
 心が鎮まり、人と一緒にいることを実感できるからだ。
 少しだけ周りの音に耳を澄ませてから、ミキカムラはモニターに目を移した。

 小学校低学年の頃、友達がいないことを悩みにしていたミキカムラに、祖父が「知り合いが経営してる、パソコン教室に通ってみたらどうだ」と提案してくれた。
 それ以来、ミキカムラはパソコンに熱中し、世界のほとんどをインターネットから教わることになる。
 インターネットの中には情報だけでなく、自分と似たような人もたくさんいて、ミキカムラの心を落ち着かせた。
 パソコン教室にいるときだけは、自分が解放される。
 ミキカムラは夢中でキーボードをタイプした。
 パソコン教室では毎日のようにタイピングのテストが行われる。
 渡された原稿を、そのまま文字に書き起こすのだ。
 まだ小学校の低学年ということもあり、教室でやることはそれだけだった。
 テストが終われば、自由時間。基本的には何をしてもいい。
 ゲームをしてもよし、ネットサーフィンをしてもよし。
 好きなようにパソコンを触ることを許された。
 ミキカムラは、この自由時間が何よりも勉強になると感じ、誰よりも早くタイプを終わらせ、自由時間に没頭した。

 両親は仕事に忙しく、三兄弟の面倒を見てくれていたのは、下町育ちのちょっと変わった祖父だった。
 祖父は街の有名人で、毎年、お盆の時期になると一人でお祭りを開催する。
 ベランダから身を乗り出し「福のお裾分けじゃ」と言いながらお金をばら撒くのだ。
 チラシなどを作らずとも、祖父が飲み屋で「この日に開催する」と宣言すればあっという間に情報が拡散され、その日になると、家の前には人だかりができる。驚くほどの額をばら撒くこともあり、皆、祖父が投げるお金を楽しみにしていた。
 三兄弟の中でも特別に可愛がられた長女のミキカムラは、いつも祖父の隣に立ち、ベランダから人々の様子を見守った。
 お小遣いをもらえなかったこともあり、「お金がもったいないからやめて」と祖父に何度もお願いをしたが、「ミキカムラよ。これはお裾分けであり、婆さんへの弔いでもあるんじゃ」と諭され、ミキカムラが会ったことのない祖母の話をされるため、それ以上は何も言えなかった。
 兄と弟は、そんな祖父の姿勢にすっかり呆れ、人だかりに紛れ、ここぞとばかりにお小遣い稼ぎに躍起になっていた。
 お金に群がる人混みを見て、ミキカムラは「美しい」と感じた。
 平生は何食わぬ顔をして過ごしている人ですら、降ってくるお金を前にすると反射的に手を伸ばし、地面に這いつくばり、人を押し退けるようにお金に飛びつく。死肉に集うハイエナのように豹変する。
 ミキカムラは、着飾ったものが脱がされる瞬間に魅了された。
 そして、ある種の性的興奮まで覚えるようになってしまったのだ。

 ミキカムラの視線の先には、裸の女性が恍惚な表情で男性と寝そべっていた。
 パソコンで女体と検索したのだから、そうした画像が出てくるのは当然だ。
 ミキカムラは、女体に魅せられた。
 自分の身体には見当たらない滑らかな曲線美。
 柔らかな弾力を感じさせるきめ細やかな肌は薄桃色に輝いて見えた。
 モニタースレスレまで顔を近づけ、香りがないのに匂いを嗅ぎ、舐めるように画面を見回した。
 何もかも脱ぎ捨てた女性に鼻息荒くする自分が、お金に群がるハイエナの目をした人々と重なった。

 人目を忍びながら中毒者のように女体観察に明け暮れる毎日。
 学校生活からは目を逸らし、頭の中に女体を育んだ少女時代。
 この経験が、その後のミキカムラの人生に大きく影響する。

 事件が起きた。
 いつものようにパソコン教室で自由時間を謳歌していたが、この日、検索した女体にはウィルスが紛れ込んでいたらしい。
 画像を開いたままパソコンがフリーズしてしまったのだ。
 どれだけキーボードを触っても、マウスを動かしても反応しない。
 電源ボタンを押しても画面が消えないことに、ミキカムラは激しく動揺した。
「このままでは、怒られてパソコン教室に通えなかくなる・・・」
 こめかみを嫌な汗が流れる。
 パソコン画面いっぱいに映し出された女体。
 化粧気のない顔に度の強いメガネをかけた少々地味な女性が、ケーキを頬張りながらコチラを見つめている。自分が裸であることを忘れているような幸せな表情は、本当に美しかった。
 しかし、その日は、ミキカムラに見惚れている時間はない。
 パソコンのコンセントを抜くしか方法が思いつかなかった。
 その時、向かい奥の席に座った友達のツミハツが、椅子を回転させ「ミキカムラちゃん、画面が固まっちゃったんだけど、教えてくれない」と声をかけた。
 それどころではなかったが、パソコン教室でできた数少ない友達の願いを無下にはできない。
 ミキカムラは席を離れて、ツミハツの元へ向かった。
 はやる気持ちを抑えながらツミハツのパソコンを点検してみると、彼女は自分と違い、単なるパソコン不調だったため、コマンドを打った後に再起動すれば簡単に元に戻るものだった。
 首尾よく作業を終わらせ、自分の席に戻ろうとしたとき、ミキカムラはギョッとした。
 自分の席に、弟のコヘカムラが座っていたのだ。
 じっとパソコン画面を見つめる彼の目にはハイエナの色を感じず、純粋な男性の性欲を感じるだけ。
 心臓が早いリズムで胸を打つ。
 ミキカムラは焦りを悟られないように歩みを早めたが、運悪く弟の後ろを先生が通りがかり、弟は先生に「お前何してるんだ」と声をかけられてしまった。
 弟は必死に弁解をしたが、時すでに遅し。
 先生の言葉に反応するように男子がパソコンの周りに集まり、弟を囃し立てた。
 教室中がザワザワと熱気に包まれ、弟は赤面させていた。
 帰り道、弟は「どうして姉ちゃんは弁解してくれなかったのだ」という目を向けてきたが、ミキカムラは咄嗟に「あんた、サイテーだね」と言い放ってしまった。
 弟は、呆然とミキカムラを見返すことしかできなかった・・・。

 あれから、20年以上が経った。
 弟はすっかり事件のことなんて忘れて、のびのびと海を見守る仕事についているが、ミキカムラの心の中には、ずっとあの頃の事件が、大切な秘密のように胸の奥にしまわれている。
 ミキカムラは、フランスで活動する有名なヌーディスト舞踏家になっていた。
 本番前、彼女は必ず、あの事件のことを思い出す。

 2700字 2時間6分

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