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Chapter10


 付き合う前の印象を聞かれたから「どちからといえば苦手だったかも」と答えただけなのに、彼女は不機嫌な顔になった。
 それでも当時の自分の印象について質問を止めることはしない。必死で過去問に挑戦する受験生のような目をしていた。
 彼女の目を正面から見ると、つくべき嘘も腹の中に引っ込んでしまい、偽りのない言葉が溢れだす。それが相手を傷つけてしまうことが分かっていても、止めることは出来ない。
 答えるたびに、彼女は空気の抜けた風船のようにしぼんでいった。
 ぺたんこになってしまった彼女に「もういいでしょ?」と聞くと、むくむくと身体を膨らませ、彼女は何も言わずに首を横に振る。
 不思議なことに、藤野ハルはこの風船モードによく入るのだ。

 彼女はケンカをすると、最後には必ず風船モードに切り替わる。
 「解決がしたい」という考えも分かるが、ボクには悲劇のヒロインになりたいだけのように思えてならなかった。
 自分が傷つくことをワザと言わせているようだった。
 「なんでそう思ったの?」「じゃあ、どうすればいいの?」「オサムの意見を聞かせて」と、とにかくボクに問いを投げかけ、答えを誘導した。
 そして、答えを聞くと、空気が抜けていくように大きなため息をついた。
 「ハルはどう思ってるの?」と聞き返してみても、「オサム次第だよ」「オサムがしたいことをして欲しい」「オサムの邪魔になりたくないだけ」と自分の意思を明確には伝えてくれなかった。

 付き合いたての頃は、こんなやりとりばかりだった。
 何度も気持ちがすれ違い、その度に話し合うが、平行線を辿るだけ。
 なぜ、彼女のことを好きになったのかが分からない。
 なぜ、ボクのことを選んでくれたのかが分からない。
 お互いに分からないことが沢山あった。
 だからこそ、理解しようと歩み寄る。
 それでも結局は、何も分からない。

 ボクたちは、「ケンカをした晩は身体を重ね合わせる」という暗黙のルールがあった。
 ケンカの規模によっては、例外の時もあるが、大抵はお互いを受け入れ合えた。
 どちらからともなく、自然に肌が触れ合う。
 先ほどまでは険悪であっても、相手の身体に触れると徐々に体温が上がっていくのを感じ、真っ黒に渦巻いていた気持ちが、徐々に灰色に変わっていく。
 理解できない気持ちが、肉体を通すと伝わり合うことがあった。
 求めることが少ないハルも、この時だけは全力でボクを求めてくれているような気がして嬉しくなった。
 肉体が言葉の代わりをしてくれる。
 ボクらのセックスは、対話だった。


1時間51分・1040字

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