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湿った手 (マキコ)

【マキコ】

 母と最後にした喧嘩を思い出していた。
 知らないことを否定し、自分の中の世界から外に踏み出そうとしない母。
 その母が、今日、ライブを見る。
 突然の出来事に一時はパニックになってしまったが、ヒロナさんに励まされて気持ちはだいぶ落ち着いた。しかし、全てを吹っ切れたワケじゃない。
 
 「マキコ、私より楽しめるの?」

 ミウさんは優しい厳しさで接してくれる。負けず嫌いな私をわざと挑発するような態度で盛り上げてくれようとした。

 「いやいや、直前まで曲が出来なくてビビってたのは誰ですか?」

 「カッチーン! 言ったわね?」
 
 私も負けじと挑発すると、ミウさんはさらに乗っかってくる。そんな姿をヒロナさんとアキさんは楽しんでいた。

 「いいぞー! マキコちゃん言ったれー!」

 「ちょ、ちょっと、ふ、ふ、二人ともやめなよ! ・・・フフフ」

 本番前のいつもの光景。
 客席からはザワザワと声が聞こえてきている。耳でお客さんの集客状況やテンションなどを感じながら、少しずつ緊張感が高まっていくことが、この上なく興奮する。
 完璧でいようとしてしまう私にとっては、この時間がとてもリラックスできた。嫌われる心配が一ミリもないせいなのか、気持ちが高揚しているからなのか。思ったことを素直に言うことができたのだ。

 「あたし、母も含めて、見せつけちゃいますからね!」

 「ふん! 見せつけてるとか言ってる時点でまだまだ甘いね。私はこのライブを一番楽しんで、お客さんは勝手に巻き込まれていくように演奏するんだから」

 「お! ミウ! いいこと言ってるぞー! それは私も負けない!」

 「わ、わ、わた、私だって!」

 体育館ステージということもあり、バックステージは会場の人数とともに温度が上昇してきていた。まだ、ステージに上がっていないというのに体の中が熱くなっているのが分かる。
 
 「緊張なんてしたら、タダじゃ置かないからね?」

 ミウさんは私の肩にポンと手を置いた。
 手の温かさからは緊張が伝わってきた。

 「あたしが緊張するワケないじゃないですか? 誰だと思ってるんですか?」

 あえてミウさんの緊張については言わなかった。
 言ってはいけない気がしたから。

 「さすがマキコちゃん! 私は照明とかがプラン通りに上手くハマって欲しいなって気持ちがあるから、ちょっとは心配だけど、演奏の緊張はないな!」

 ヒロナさんは右手をみんなの前に出した。

 「わ、私は、み、み、みんなで作った曲を楽しく歌いたい!」

 アキさんは当然のようにヒロナさんの手の上に右手を重ねた。
 次はあなたの番でしょ? という目でミウさんがコチラをみたので、咄嗟にアキさんの手の上に右手を重ねる。
 楽器が扱えるとは思えないほど細い手のはずなのに、アキさんの手に触れると人の体温以上の熱いものを感じた。人の肌に触れることが、こんなにエネルギーをもらえるなんて、思ったこともなかった。

 「マキコちゃんも何か一言」

 ヒロナさんに言われるまで、自分が手を重ねたまま黙っていたことに気付かなかった。
 みんなの顔を見回すと、全てを包み込んでくれそうなほどの笑顔を向けてくれている。

 「あたし、泣くためにバンドやってるワケじゃないので」

 すぐにミウさんが私の手の上に右手を重ねてきた。
 とても強い力で、手が挟まれている。もう、手の震えは感じない。

 「カッコつけちゃってさ」

 ミウさんがそう言うと、次はすぐにヒロナさんが左手を重ね、アキさん、私、ミウさんと続き、手の分厚いサンドウィッチが出来上がった。

 「みんな、手、ジトジトしてるね」

 ヒロナさんは嬉しそうに言った。
 触れ合うと分かることが沢山ある。
 言葉以上に伝わることもいっぱいある。
 私は人とどれだけ触れ合ってきたのだろうか。
 母とどれだけ触れ合ってきたのだろうか・・・。
 誰も何も言わずに数秒間、その状態でお互いを感じ合っていた。

 「じゃ、行こっか!」

 エンジンを組んで、声をあげたりはしない。
 まるで、家に帰るような口調でヒロナさんはみんなの目をみて声をかけた。

 「うん」

 私たちは、照明が灯っていない暗いステージにスタスタと歩き始めた。


 1時間4分 1700字

 

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