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Chapter5


 「ごめん、別れたい」
 イタリアンレストランでの夕食後、公園のベンチに座ってコンビニで買ったアイスを食べていると、オサムは助走なしに別れを告げてきた。秋が深まってきていたせいか、虫の声も少なく、彼の声がやけに大きく聞こえる。
 返事に窮していると、髪の色を茶色や金色に染めた大学生らしき若者数名が楽しそうな奇声をあげながら、私たちの目の前を通過した。
 彼らの目に映る自分たちの姿は、明らかに険悪ムードなのだろう。通り過ぎる頃には騒音問題級の笑い声は、すっかり静かになった。
 野蛮に見えた彼らでも、話せばきっといい奴なのだろう。若者の空気を読む能力には本当に驚かされる。

 「ほんと、ごめん」
 沈黙に耐えられなかったのか、オサムは言葉を繋げた。感情的になっているのが声の震えから伝わってくる。
 そして、会社を離れることや、信用していた先輩との関係が終わったことの説明があったが、その問題と私との関係を終わらせることに共通点を見出すことは出来なかった。
 深刻な話をするほど、私の心が冷たくなっていくのを感じる。
 それは彼に対する想いが冷めるということではなく、「どうすれば最小限の傷で場を切り抜けられるか?」を考えるための本能的な存戦略なのだ。
 オサムはその後も、私の話を聞くこともせず、一方的に話を続けた。
 「だから」とか「つまり」などという言葉がまるで意味をなさず、感情にまかせて使っているのが分かる。
 過去何度も「夜にネガティブな話をしてはいけない」と言ってきたにも関わらず、こうした状況になっていることにイライラが募り、私は必要以上に「それで?」とか「それはなんで?」と問いかけ、煽ってしまった。

 「もう、そういう質問をしてくることも無理なんだよ。一緒にいたくない」
 彼は、自分が何を言っているのかも分からなくなってしまっていた。
 人は反射的に言葉のナイフを振り回してしまうという典型的な例だ。
 どうして『保留』という考えが世の中に浸透しないのかが分からない。
 彼の様子を分析し、冷静になっているつもりでも、彼の使うナイフの切れ味は抜群で、気付けば私は血だらけになっていた。
 血を流すだけならそれなりに耐えることはできたのだが、不覚にも鼻の奥までもが痛くなったので、私は「この話は朝、起きてからにしよう。今、決断する話じゃないと思うよ」と無理矢理『保留』にして、その場を切り上げた。

 時間は妙薬だ。
 どれだけ怒っている人間でも、どれだけ悲しんでいる人間でも、その感情を持続させることは難しい。
 そして人は忘れっぽい生き物だ。
 日々めまぐるしく変化をしていく生活の中では、忘れずに生きていくことの方が大変で、その感情はいつしか、過去という姿にカタチを変えていく。
 残念ながら、好きという気持ちも同じようで、一瞬の熱い盛り上がりを持続させることは困難だ。
 持続させるよりも新しい感情を呼び覚ますことの方がよほど簡単なため、人は浮気を繰り返し、恋に恋をする。
 持続させるには、相手に対して新しい好きを見つけなければいけない。

 佐川オサムは、別れ話をした日を境に急激に大人びた。
 嘆いていた転職先もすぐに決まり、仕事が回りだすと、笑えるほど精神面も安定し成熟していくように見えた。
 彼は経験を重ねるほど大人の色気を漂わせるようになり、自分の気持ちを言葉にすることが上手くなった。
 私も触発されるように新たな事業を立ち上げようと目論むようになり、仕事の話がメインになってしまったが、コミュニケーションが増え、全てが順調に進んでいると思っていた。

 「色々考えたんだけどさ、ごめん。結婚はできない」
 まさか2年前のあの日と同じ日に再び別れを告げられるとは思ってもみなかった。この2年の彼の成長は目覚ましい。あの時のように感情的になることは一切せず、自分の気持ちを整理し、分かりやすく私に伝えてくれた。
 私は、つい、感情的になってしまった。


1時間35分・1610文字

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