アキちゃんとの出会い(ヒロナ)
【茂木ヒロナ】
「今からドラム始めても大丈夫だよね?」
音楽は好きだった。でも、知識が豊富にあるというワケではなく、歌ったり聴いたりするのが普通に好きな程度。聴くジャンルも雑種で、これといった好みがあるわけでもない。バンドを組みたいなんて思ったこともなかった。
谷山アキが歌う姿を見るまでは・・・。
入学式だというのに、ギターの形をした黒いケースを背負っている彼女の姿は異様に映った。ピカピカの制服とヨボヨボのギターケース。身体に対してのギターの大きさがアンバランスで、後ろから見るとギターが歩いているようだった。
高校入学という晴れの日にも関わらず、彼女の近くに両親らしき人物は見当たらなかった。彼女はギターを片時も離さず、ユラユラと学校の空気の流れを感じながら、はみ出しすぎず混ざりすぎず、なんとかこの場をやり過ごそうとしているように見えた。
「ねえ、ミウ、あのギターの子知ってる?」
「ん? いや、分かんない。変わってるね、入学式なのに。ここ軽音部ってあったっけかなあ・・・」
緒方ミウは保育園からの幼馴染で、家族ぐるみで仲が良い。後先考えずに行動してしまう私とは対称的に、彼女はいつも冷静に物事を考え、アドバイスをくれたり慰めたりしてくれる大の親友だ。ミウの粘り強い教えのおかげで高校受験も無事に乗り越えることができた。
「今日の帰り、彼女の後ろ、ついていってみない?」
「ヒロナ、今日入学式だよ?」
「だって面白そうじゃん!」
ミウは明らかに嫌そうな顔をした。「今日じゃなくていいだろう」という彼女の主張はもっともだった。同じ高校に入学したのだから、尾行するのは後日だってよかった。
しかし、「今日だからこそ尾行したいんだよ!」という私の反論をミウはすんなりと受け入れてくれた。長年私と一緒にいるせいか、ミウは私も驚いてしまうほどの思考の柔軟さを兼ね備えている。「なるほどね」が口癖で、自分の意見をすぐに捨て去ることができる。
結局、ミウは両親に「ヒロナと一緒に新しくできた友達とお茶することになった」と嘘をつき、ついて来てくれることになった。真面目で冷静なはずなのに、変なところでネジが外れているミウが大好きだ。
ギターを担いだ女は、誰とも群れることなく、一直線に帰路についた。
歩くのが速かったが、尾行が困難になるほどの複雑な道を通ることがなかったので、なんとか見失わずに済んだ。
彼女は迷うことなく、まっすぐ大通り公園に入っていき、大きな楠の前のベンチに腰掛け、一息をつくと、おもむろにギターを取り出した。
ヨボヨボのギターケースの中からは、金色に輝く稲穂ような色をしたアコースティックギターが顔を見せ、彼女は弦を一本ずつ鳴らした。
その姿は、まるでギターの声に耳を澄ませているような神秘的な光景で、私とミウは思わず顔を見合わせた。
ギターの声を聞き終わると、小さい身体からは信じられないほどの大声で彼女は歌い始めた。
先ほどまでの神秘的な姿はどこにいったのやら、彼女はギターを叩くようにかき鳴らしながら、そこが世界の中心地であるかのように、弾ける笑顔で歌詞を叫んでいた。
なんで歌わないんですか?
なんで踊らないんですか?
なんで笑わないんですか?
そこにキミは立っているのに
「ミウ、ベース弾いてたよね?」
「は? いや、弾いてたというか、弾かされただけどね。それもコントラバス」
お互いに目を合わすことはなかった。
ギターの彼女から目を逸らすことができなかったのだ。
彼女をみながら、会話は進んだ。
「それ一緒でしょ?」
「全然違うから」
「私、今からドラム始めても大丈夫だよね?」
「なに言ってるの?」
「・・・あの子とバンド組もう!」
ミウは反論しなかった。
メチャクチャなことを言っているはずなのに。
いつもだったら、大反対だと冷静に諭してくるはずなのに。
ギターの彼女から目を外すことなく、静かに考えてから、ミウは一言だけ呟いた。
「うん」
私たちは、音楽が特別に好きなワケではなかった。
どこにでもいる普通の女の子だった。
しかし、ギターをかき鳴らし歌う彼女の周りには音符が踊って見えたのだ。
小鳥も、木々たちも、空気までもが彼女の力に引き寄せられていた。
私たちは、それから一言も喋ることはなかった。
ただ、じっと、物陰から彼女を見つめることしかできなかった。
ギターの彼女こと“谷山アキ”の歌から、全てははじまったのだ。
2時間7分・1810字
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