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ADHDを勉強して変わった思い込み

小学校の担任の先生:「A君は今回も一番前の真ん中ね~!」

A君:「え~!またかよ~!」

私が小学校4年生のとき、席替えのたびにこのような論争が起こっていた。

A君は元気いっぱいの男の子である。元気いっぱい過ぎて少々羽目を外すことも多々あったが。授業中に飽きてしまったらウロウロして他の子供にちょっかいを出してしまうような子供であった。

このような子供というのはどこにでも一定数いるのではないだろうか。A君は元気いっぱい過ぎるということ以外は心優しい普通の男の子であり、他の子供からも好かれていた。

そのA君はいつも席替えのときは一番前の真ん中と担任の先生に決められていた。

小学生にとって席替えとはまさに一大イベントである。席が後ろで「よっしゃー!」と叫ぶ子供がいたり、席が前で「最悪だよ~!」と叫ぶ子供もいる。

一番前の真ん中とは席替えにおけるくじで最もハズレである。一番前の真ん中のくじを引いた後に突っ伏すという小学生がいた記憶がある人も多いのではないだろうか。少し大げさかもしれないが、小学生だからこそ大げささを表現していたように思える。

「今回も一番前の真ん中かよ~」とA君が叫ぶ。この気持ちは小学生の私には痛いほど理解できた。

毎回そのように席を指定するのは、いくらA君が授業中にうるさかったりするとはいっても罰が重すぎるだろうと当時の私は考えていた。

先生意地悪だなぁと思っていたのである。

そんな私は医学部に進学して医学を勉強するようになった。医学には様々な分野があるが、その中で精神医学を学んだときにA君を思い出した。

どうして急にA君を思い出したのか。

私が精神医学を勉強する上で注意欠陥多動性障害(ADHD)を詳しく調べていたときのこと。

A君が頭に浮かんできて、A君ってもしかすると注意欠陥多動性障害(ADHD)だったんじゃないかと思ったのである。

注意欠陥多動性障害(ADHD)という言葉は医学を勉強していない人でも馴染みのある言葉ではないだろうか。もしかすると自分自身や友達などが注意欠陥多動性障害(ADHD)という方もいるかもしれない。

注意欠陥多動性障害(ADHD)とは簡単に言うと生まれつき衝動性・多動性・不注意という症状が出やすいという病気である。

病気というのは言い過ぎでありその人の特性であるという考え方も多いが、一応生まれつきのその特性が生きづらさを誘発してしまっているので病気として捉えて治療薬などで治療をするというのが精神医学の考え方である。

私は注意欠陥多動性障害(ADHD)はその人自身の個性であると考えており、ネガティブなイメージは持っていない。もちろん注意欠陥多動性障害(ADHD)であることで本人にとって生きづらいという状況が起こりうるのは確かであるので、治療を必要とする人がいるというのも理解している。

話を戻すが、注意欠陥多動性障害(ADHD)の症状がA君と一致していた。

これだけではもしかしたらA君は注意欠陥多動性障害(ADHD)だったのかもしれないという話である。

私の変わった思い込みは小学校の担任の先生に対してである。

実は注意欠陥多動性障害(ADHD)の児童に対する対応として、
[教室の後ろになればなるほどその前の光景が注意欠陥多動性障害(ADHD)の子供にとっては大きな刺激となってしまう。このため気が散らないように最前列中央に座らせるべきである。]
という対応策が推奨されている。

私はこれを見てハッとした。

小学校の担任の先生はA君に対して罰の意味を込めて席を指定していたわけではないんだ。

A君の特性をしっかりと考えてA君のことを思ってそのような対応をとっていたんだ。

小学校の担任の先生がA君が注意欠陥多動性障害(ADHD)であると保護者から知らされていたのかは定かでないし、A君が実際に注意欠陥多動性障害(ADHD)であったのかどうかも今となっては分からない。しかし、小学校の担任の先生がA君のことをしっかりと観察して、おそらく注意欠陥多動性障害(ADHD)であったA君にとって一番メリットの大きい席に特別に固定し続けていたのは悪意からくるものではなく善意からきていたということは確かである。

普通の小学生にとってはデメリットの大きい最悪の最前列中央の席、この席はA君にとっては一番メリットの大きい最善の席だったのである。

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