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【2/28】幻想の隣人――小林私、初めてのバンドセットワンマンライブがめちゃめちゃ楽しかった話【@渋谷クラブクアトロ】

よく晴れた2月の終わり、筆者は約1年ぶりにライブハウスに赴いた。同行の友人と共に見慣れた渋谷クラブクアトロの煉瓦調の壁を横目に、あの薄暗く踏み外しそうな階段を上る。人数を間引くためか椅子の敷き詰められたフロアには、それでも尚このご時世ではちょっと心配になってしまいそうな程に観客が肩を並べていた。デビュー1年目の歌手の二度目のワンマンライブにしては、上出来過ぎる程の賑わいだろう。

SEには、筆者を含め観客達が心待ちにしている“彼”が昨年リリースしたカバーアルバムの音源が使われていた。その喉の奥を鳴らすような、脳味噌を揺さぶられるような、一度聴いたら忘れられないハスキーボイスがゆっくりとフェードアウトすると共に、“彼”はバックバンドを従えて舞台の上に姿を現した。その容貌は相変わらず、普段YouTubeの画面で目にしている以上に、さっきまで流れていたシブく狂おしい歌声からは想像もつかない程に可憐だった。

それでも我々はさほど驚かない。何故なら我々は、歌声とのギャップが海溝を成す程に激しい“彼”の少女のような容姿すらも、“彼”という人格の魅力を形成する一端である事を充分に承知の上でここに集まっているからだ。寧ろ“彼”のような稀有な存在が実在し、4万円で買ったらしい中古のエレアコを担いで目の前でニコニコと満面の笑みを浮かべている事の方がそもそも信じ難いぐらいだ。

“彼”はひとつに結わえた長い髪をさらりと靡かせ、おかっぱの前髪に半ば隠された白皙のかんばせに花の咲くような笑顔を浮かべ、その、ルックス以上に浮世離れ甚だしい字面の名前を大声で名乗った。

「小林私です、今日はよろしくー!!!!」



演奏の1曲目は『風邪』。今回のライブの開催のきっかけとなった初のオリジナルアルバム『健康を患う』の1曲目でもある。これはもう終わった(多分、配信チケットの方のアーカイブ期限も終わっているはずだ)公演だから書いてしまうのだけれど、まさかとは思ったがこの日のセットリストはアルバムの収録順そのままだった。しかし多分これも別に手抜きなわけではなくて、アルバムリリースに際したインタビューで「アルバムの最後に入っている『生活』は初めて音源としてリリースした曲で、アニメの第1話のサブタイトルが最終話のサブタイトルにもなるみたいな、オタクの好きなやつを目指した」と言うような話をしていたからおそらくこだわりの曲順なのだろう。

余談はこの辺にしておこう。筆者にとって驚きだったのは、バンドのフロントマンとしての彼が想像していた以上に元気いっぱい、溌溂としたパフォーマンスを見せてくれた事だ。筆者は昨年彼が開催した、先程も言及したカバーアルバム『他褌』のリリース記念インストアライブを観に行ったのだが、その時の彼はもう少し慎ましやかだったし、エレアコのシールドを挿し込めずにおどおどしていた。その後MCで「高校時代に“mont-blanc!”と“BLACK*RABBIT”という名前のバンドをやっていた」と話していたが、なんとバンドのフロントマンを務めるのはその頃以来らしい。そんなブランクをほぼ感じさせない程にこの日の彼は元気に歌い、途中でギターをほぼ背負わず、スタンドマイク1本でピンスポットを浴びて堂々たる振る舞いを見せてくれた。

よく通る声とは言い難いが、その“異形”と言っても過言ではない歌声は初めて彼の歌を耳にした時以上の破壊力を持ってライブハウスに響き渡り、飾り気のない着の身着のままのような出で立ちで時に両手を広げ、時に激しく身体を揺らしながら気持ちよさそうに睫毛を伏せる。

彼が身に纏っているのは、グッズで販売されていた「風邪」と胸に記されたオーバーサイズの黒いスウェットとダボダボのジーンズだけ。粗野なまでにシンプルな装備に包まれた華奢な体躯は不思議な事に、ステージの上では美少女と間違えて声をかけてきた街角のキャッチが泣いて逃げていきそうな程大きな存在感を放っていた。

冒頭で特に印象的だったのは2曲目の『HEALTHY』だ。感想のギターリフの間中、リズムに乗って両腕を伸び上げながら屈伸運動をするラジオ体操のような謎のダンス(筆者は心の中で勝手に「HEALTHYダンス」と名付けた)を繰り広げながらおどけて振る舞うのがおかしくて、曲自体は不健康な悲哀たっぷりの高速BPM歌謡ロックンロールなのだが、ついつい終始笑い転げながら聴いてしまった。小林私のリスナーは自分含め総じて物静かなサブカル・オタクタイプが多いようでその日の観客も大体が控えめな様子だったのだけれど、近い将来時勢が許すようになったなら、そんなオタク達が揃って謎のダンスを繰り広げる異様なライブが展開されたらきっと楽しいだろうな、と夢想してしまう。

とにかく元気がいい。ネット配信での彼だけを観ているとアルバムのジャケ写にもなっている雑然と本や楽器や洋服が散らばった自室を背景に、(最近は禁煙中らしいが)キツい煙草を吹かしながら古い同級生と喋るような低い声でゆるゆると喋っているイメージが先行しがちだが、その何処か気だるそうな印象は良い意味で裏切られ、アツいぐらいの勢いを感じる。両手でマイクスタンドにかじりついて一心不乱に歌う姿はその見目麗しい容姿とミスマッチなラフすぎる風貌も相まってパンクバンドのボーカルのような趣きすらあり、ところどころファルセットが出なかったりといった粗削りさすらも美徳のように思えてくる。

その元気で自由な様子はMCからも感じられたが、こっちはどちらかと言うと「いつものYouTube配信」の様子をリアルタイムで目前に見せられているような面白さの方が強かった。なんと言っても小林私という表現者――ここは敢えて「歌手」と言う言い方は避ける事にする――の大きな魅力のひとつは、天衣無縫なまでのマイペースさだ。

今回のライブの前に彼がリリースしたアルバムは全部で8曲入りなのだが、彼は最初に「(アルバム収録の)8曲しかやりません」と言い切った。彼は愛聴しているという落語家の逸話を例に出しながら、「今日1時間半割り当てられてて、でも8曲だけだから全部やっても30分しかかからないんですよね。1時間は喋らないといけない!! 何喋ろう!?」と笑う。

結論から述べると、彼は実際に、ライブをたった8曲のみで立派に駆け抜けたのだった。まだ音源になっていない(YouTubeでは弾き語り動画としてアップされている)オリジナル曲などをやるでもなく、余った時間は全て得意のお喋りに費やして。しかも昨年同じ渋谷のWWW Xで開催された弾き語りワンマンの時に押しまくったのを反省したらしく、あろうことか30分巻きで終演したのだった。何を言っているのかわからねえと思うが以下略。

今思えば、バックバンドのメンバーに召集をかけたのが公演の1ヶ月前だったというのも理由として大きかったのかもしれない。アルバム収録曲以上に練習する余裕が物理的になかったのかもしれない。何処までゆるいんだと思ってしまうが、しかし実際その限られた8曲を相当練りまくり、入念なリハーサルを重ねたのであろう事がよくわかる演奏ではあった。小林本人から告げられるまでまさか1ヶ月前に結成された組みたてほやほやのバックバンドだなんて思いもしない程にグルーヴ感があり、メンバーそれぞれの相性がとても良い事が一目瞭然にわかる音だった。

「みんなは楽しみで来てくれたんだと思うけど、こっちは仕事ですからね! 仕事は早めに終わらせて帰りたい……」始まって早々にそんな事を嘯いていたかと思いきや、10代の頃の想い出話から“良い話風”のハッタリ、謎の来日外タレミュージシャンキャラが憑依するなどいわば“小林節”とでも言って良いお喋りに殆どの時間を費やしてしまう自由さたるや。1〜3曲を演奏したかと思いきやそんな自由過ぎるMCが随時挟まるのでその度にパフォーマンスによって受けた衝撃がリセットされ、音楽ライブに来ているのかはたまたトークライブに来ているのか、一体どっちがメインなのかわからなくなってしまう。


とは言え、である。小林私と言う表現者の最大の魅力も神髄も、結局は音楽にあるのだとライブと言う場によって改めて知らしめられたのは言うまでもない。


筆者が特に目を見張ったのは、アルバムできちんとしたバンド音源になる前からキラーチューン的なインパクトを有していた(と筆者は勝手に思っている)『恵日』と『共犯』のパフォーマンスだ。

曲始まり、彼は相変わらずの雑談の流れで「『恵日』って言うんですけど、」と曲名を告げ、「どうしよっかな~歌おっかな~やめよっかな~?」なんておどけてみせていたのだが、急かすようなサポートドラムのスティックでのカウントにより、慌ててマイクスタンドにかじりついた。まるでコントでも見せられているかのようなドタバタ具合に客席は笑いに包まれたが――次の瞬間、その場にいた誰もが息を呑むことになる。



「午前四時半――、」



歌い出した瞬間、放っておかれたら際限なくおどける22歳の青年はそこから姿を消し、足元が揺らぐような、得体の知れない何かが這い上がってくるようなぞわぞわとした感覚だけが脳髄から脳天へと這い上がる。圧倒的な、なんてありきたりな言葉では表現したくない。その、手負いの獣の威嚇咆哮のような、他人を突き放すような、それでいてたったの一音で他人の心臓を鷲掴みにし、絶対に離さない底知れない天性の声色に、筆者は思わず生唾を呑み込み、息を止めていた。



ハウリングを起こすギリギリのギターやシンセサイザーの音が、『勝訴ストリップ』辺りの時期の椎名林檎を思わせる。真っ赤な鮮血のような光の中、肩の高さで上に向けた手のひらを、指先を、空を掴むように震わせる。おくれ毛を耳にかけるように、いや、何かを振り払うかのように耳の上を指先でなぞりながら首を振る仕草。MVではコメント欄で散々「謎ダンス」と揶揄されたその所作、一挙手一投足がライブハウスを支配する。弱冠22歳、現役美大生、さっきまで五美大展の展示の搬出を気にしていたうら若き乙女――もとい、青年から放出されているとは思えない程に、その歌声は、その仕草ひとつひとつは情念に満ち溢れていた。



『共犯』では一転、真っ白な光の中、両手を広げて静かに歌い始める。逆光の中、その細身のシルエットと曲線を描く髪だけが輪郭を現す。細すぎる手首とダルッとしたスウェットの袖が相まって、その輪郭はどんどん人間離れして見えてくる。筆者は音楽だけを純粋に鑑賞するタイプと言うよりは、対象を好きになればなる程にその周辺情報、“人格”としてのミュージシャンの事まで知っておきたいと思う事が多く、彼の事もやはりまだうら若いだとか、現役美大生だとか、美少女のような容姿だとか、些末な事象まで知ったうえで鑑賞したいと常日頃思っているわけだが、この時ばかりは正直、そんなディテールはどうでもいい、とすら思ってしまった。

言い方は悪いが、ただただ目の前にいる得体の知れない化け物から受ける畏怖の念を、全身で味わいたかった。



他人を散々そんな気持ちにさせておきながら、最後の1曲『生活』では無邪気なまでにニコニコと心底楽しそうに歌っていたのもご愛敬だった。カメラマンが近づいてくるとダブルピースで応え、「アンコールはやりません!!!」と豪語する。

「みんな気をつけて帰れよ!!! お前もお前もお前も、お前も気をつけて帰れよー!!!!!!」



30分巻きで終わった小林私の初めてのバンドセット・ワンマンライブはその短さ故の物足りなさなんかは一切なくて、胸がいっぱいになる程に楽しかった。しかしこれは、「音楽ライブとしての楽しさ」と言うよりは、「小林私」という興味深い存在の片鱗に、ライブハウスという非日常空間で存分に触れる事が出来たことへの「楽しかった!」という感情だったように思う。

彼はとあるインタビューで「僕はキャプションのある芸術作品の方が好き」といったような事を話していた。「文脈を示してもらったうえで、そこから取捨選択して芸術を理解していきたい」「自分もそんな存在でありたい」YouTube配信などでの飾らない物言いにも、そんな意図が込められているのだと。

ライブのすぐ前には件の配信の中で、「普段ライブハウスに来ないようなひと達も、お前らみたいなオタク達も、性別も年代も問わないひと達が来られるようなライブが出来たら楽しいよね」というような事を話していた。天邪鬼な事ばかり言う彼だけれど、表現をする場というものをとても大切にしている事だけはわかる。

まるで友人のようだ、と思う。いや、友人では親密すぎるか。友人と言うには畏ろしすぎるし、恋人と呼ぶにはドライすぎる(※彼は恋人の存在すらも公表している)。でも決して、大勢の不特定多数の目から神輿に祭り上げられるようなカリスマ、になりたいとは本人が思っていなさそうだ。

「生活の余剰の中から表現がやりたい」と言う彼の“生活”の欠片を目の前で見せてもらった。言うならば、彼は“隣人”なのかもしれないと思う。お互い都合のいい時に時々顔を合わせて、気は合うけれど食い違う事も多いオタク談議に花を咲かせて、花が散る前に手を振り別れる。とてもフランクだけれど、時々ハッとする程に可憐で、恐ろしい程情念に満ちた影のある顔をする時がある。漫画やアニメによく出てくる、幻想の隣人。

隣人とは隣人以上に距離が縮まる事はない。だからこそ、勝手に提示される情報を勝手に取捨選択して、勝手に親しみを抱く事が出来る。お互いの勝手気ままが許される小林私の周囲を包むこの自由な空気感が、この先どんなに隣人の数が増えても続いてくれたらな、と思うライブだった。




■参考文献
良インタビューでした。素敵

タイトルとは関係のないところに旨みが凝縮された配信アーカイブ


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小林私を知ってほしい〜ロックバンド偏愛記録:番外編〜 https://note.com/igaigausagi51/n/ne31b4dca1015


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