『おいしいごはんが食べられますように』生きるために食す vol.486
2022年上半期芥川賞『おいしいごはんが食べられますように』を読みました。
読み終えて1番最初に頭に浮かんだ言葉は、「なるほど」。
なんとなくの気持ち悪さと、日本人の世間体、そしてその中に身を埋めている自分、いろいろなものがセットになって、無理やり喉の奥に押し込められた感覚。
これが芥川賞。
この微妙に心をくすぐられる感じが芥川賞。
「なるほど」
みんなで食べるが美味しい❓
この本、一見ご飯にまつわる温かい話のように感じます。
少なくともタイトルだけ見たらそう感じずにはいられないでしょう。
しかし、そんなことはありません。
表面上はうまくやっているように見えて、内心どう感じているかは分からない。
人の心はどうも読めないのですから。
そんな、読めない部分にスポットライトを当てた話です。
あまりにも日常にありそうで、違和感がないのがこの本の特徴なのかもしれません。
ご飯はみんなで食べると美味しい?
いやいやいや、誰にも気兼ねなく一人でただ美味しいと感じながら食べる方がよっぽどいい。
変に気を使ったり、煽てたりもしなくていい、生きるために食す。
そんな食に対する価値観の違いからこの物語は分岐して行ってるのでしょう。
みんなで守ろうの風土作り
これはある職場での話なのですが、その中には主に重要なキャラが3人出てきます。
一人はからだが弱く普段も早退をしたり休んだりを繰り返す、二谷の彼女芦川さん。
仕事がそこそこできて、会社でもうまくやっているが、食は生きるために強いられるものという考え方の二谷。
その二人と同僚の仕事ができ、効率性がよく、芦川が理解できない押尾さん。
この職場では、誰も何も言わずに自然と芦川さんを守ろうという風土があるのです。
芦川さんは仕事を早く切り上げてしまうことに、引け目を感じて日頃から会社にケーキを作ってきたりしていたのです。
それが逆に一定の人には癪に触るのですが、、、。
そこに押尾さんは怒りというか嘆きのようなものを感じます。
ここに私はひどく共感できるのです。
「あの人はああいう人だからしょうがないよね。」
が自然に成り立っている不自然さ。
世間体というか、そういう人は守らなくてはいけないという使命感か。
私と度々職場で感じます。
本当に気持ち悪い。
だから終始押尾さんには共感しながら読み進めてました。
ただ一つ、共感できなかった部分、私は違うなと感じたのは、周りに流されない、世間体を少しでも気にしないこと?
押尾さんは女性なので、やはりご飯を食べに行けば、美味しいやら甘いやらきれいなどの乱打戦になります。
そうなった時に、私なら絶対に合わせないし不味いものは不味いと言うだろうなと、人が作ってきたものであっても。
そこは違うなと感じました。
なぜ、結婚?
そんな押尾さんに共感しつつも、職場でうまく立ち回る二谷。
芦川さんの作ったケーキを、毎晩ぐちゃぐちゃにして捨てた二谷。
芦川さんが丹精込めて作った料理を食べた後に、物足りなさを無理やりカップ麺で埋める二谷。
そんな二谷は芦川さんと結婚します。
なぜ?
わかりません。
それが二谷の結婚なのかもしれません。
職場でもうまく立ち回るだけの二谷。
彼にとっては結婚もそういうものなのかもしれません。
そう考えると、自分に正直に進んでいった押尾さんの方が、この先の未来は明るいのかもしれません。
これが芥川賞、なるほど笑。
実に後味の悪い、けど日常を表現しすぎている作品でした。
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