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他人に厳しく、自分にはもっと厳しくというけどね、、、 vol415

漫画のセリフとか自己啓発系の本などでよく耳にしませんでしょうか?

「他人に厳しく、自分にはもっと厳しく」

部活などでもよく使われますよね。

確かに、何かこう極限まで鍛えたり限界突破を目指す上では必要な考え方かもしれません。

それをきっかけにして、自分を律するという力を身につけることもあるかもしれません。

でもこの考え方には大きな穴があるのです。

自分に厳しく=、、、

自分に厳しくあるというのは、一見するととても自制心のある自立した人物のようにも感じます。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

例えば、自分は机の上が散らかっているのが許せない人であったとしましょう。

教員の見ている書類は大体のものが生徒関係。

個人情報の塊です。

そんなものが机の上に置きっぱなしになっているなんてあり得ない。

常に整理整頓をして自分の机の上には何も置いてない状態にしてあります。

一方お隣の先生はパソコンを見るのも大変な書類の山を築くタイプの先生。

自分は自分、他人は他人と思いつつも、お隣のその先生のこと気にはならないでしょうか?

これは極端な例というか、整理整頓している方がもちろんいいのですが、自分に厳しくあると、他人のちょっとしたことにも目がいってしまい、ついつい他人にも厳しくなってしまうのです。

つまり、自分に厳しくあればあるほど、他人にも厳しい視点が働いてしまうという負の連鎖が起き始めてしまうのです。

大切なのは緊張と緩和

じゃあ、とことん緩めればいいのかというとそういうわけではありません。

例えば学級経営において、緩めたところを基準として考えてしまったり、自分が譲れないと思っていたところを、緩めてしまうとそれだけで一気に学級崩壊していきます。

大切なのは緊張と緩和、〆るところは〆る、緩めるところは緩めるといったケジメやメリハリをつけるといったところです。

全てをキッチリかっちりと決まり事のように遂行しようとしてしまうと、どこかで必ずボロが出てしまいます。

ゴムと同じで伸ばすだけでも縮めておくだけでも、脆くなっていきます。

両方をすることで弾性力が出て、強いゴムになるのです。

目的を見失わないように

自分に厳しくという考え方も確かに大事です。

でもそればかりを追いかけてしまうと目的を見失ってしまいがちです。

例えば先ほどの例で言えば、隣の席の先生の机の上の汚さを気にしてしまうのは、なぜでしょうか?

ただ単純に汚い机というものが許せなくなっていませんでしょうか?

それが許せないのは、大事な生徒情報が漏洩する危険性があるからであり、生徒に整理整頓をしなさいという教員の建前ではないでしょうか?

確かに汚い机を見ると、疼いてしまう私もいます笑。

でも、それは人それぞれのこだわり。

かつて大変な研究を発表してきた科学者たちの中には、参考書や研究論文で床が見えないという者もいたそうです。

私が改めてこの言葉を使うとしたら、

「他人に厳しく、自分にもっと厳しく、時には緩めて、俯瞰して」

こう言い直します。

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