感情と時代の交差点 vol.648
チェーホフ著者の有名作『桜の園』を読みました。
最初は、なんでこんな登場人物の行動が( )書きで書かれているのかよくわからなかったのですが、どうやら劇をそのまま本にしたような作品。
逆なのかもしれませんが。
所々には当時実際に出演していたであろう舞台の写真が挙がっており、なんとなくイメージしながら読み進められました。
とはいえ、登場人物が多すぎてえ、理解したり誰が誰かを整理するのには大変脳みそを使いましたが、、、。
今日はこの『桜の園』を見ての感想を書いていきます。
それは恋愛なのか時代なのか
この本を読み終えて感じたのは、この本が何を示しているのかがわからないということでした。
ただの一つの物語として楽しむという分にはいいのかもしれませんが、結局のところ、ストーリー全体で何を伝えたかったのか。
私はこの本から感じたのは、どんな状況だろうと残ってしまう自分の癖や生き方、そして信念に近い変えられない性格の部分、なんとも素直になれない人間の心情の変化、そういったものを表現しているのかなと感じました。
なんにせよ、チェーホフの本はこれしか読んだことはありませんが、チェーホフという作家が見えてこない不思議な本でした。
もしかしたら、この本の翻訳時には非常に変換に苦労したのかもしれません。
戯曲をその雰囲気を変えずに日本人が感じ取れるように変える。
もしかしたら、この物語を最も理解しているのは、翻訳者である小野理子さんなのかもしれません。
変えられない人となり
この本を読んでいて悲惨に感じるのはラネーフスカヤ夫人。
酒に入り浸るような夫をもらってしまい、早くに亡くす。
挙げ句の果てに、自分の領地で子供を亡くし、続け様に恋に落ち、恋に溺れ、ひたすらにお金を浪費してしまう。
どんなに金銭面で苦しいとわかっていても、それでも使い続けてしまう。
それは、自分の悲しみを隠すためなのか、それとももう変えられない人となりなのか。
それでもその心の清らかさのおかげで誰からも、厄介者扱いだったらい排除思考にはならない。
なんとも不思議な雰囲気を感じました。
大変陳腐な言い方をするのであれば、現代でいうところの天然に近いのかもしれません。
その恋は誰を想う?
そして、最後に疑問に思ったのはこの小説は恋愛小説だったのか?という点。
ロパーヒンは一体誰に恋をしていたのでしょうか?
話の流れ的には、ワーニャと結婚するのかといった具合だったはずなのに、なぜかそこに踏み込めない、いや踏み込まないロパーヒン。
ロパーヒンが本当に恋をしていたのはラネーフスカヤ夫人だったのかもしれません。
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