想いが先か環境が先か vol.380
対話の先生塾では毎週火曜日21:00から教育に関心のあるメンバーで、対話を行っております。
本日の対話の先生塾は、「地域で学ぶ意味とは?さとのば大学のアプローチ」ついて。
ゲストに信岡良亮さん(株式会社アスノオト代表取締役/さとのば大学発起人)にお話を伺いました。
社会で生きていく力を身に着ける
さとのば大学では1年間ごとに異なる地域へと留学して4年間で卒業していく。
その想いが強くなったのは、東日本大震災。
あれだけ大きな大災害だったとしても、多くの人が遠くの出来事に人は無関心。
無関心ではないにしても、自分事としてとらえている人は皆無。
一方、いわゆる「やれ」と言われたことだけをやり続け、大きくなっていた社会人を見てみると、社会で生きていく力は到底足りないようにも思える。
というのも、社会人の最初のうちは言われたことをできるのが優秀と思われるが、それが大人になっていくにつれて、それなりの地位に立つようになり自分で考えて自分で動かなければならなくなっていく。
とはいえ、生活の最低水準は守られほとんどのものが機械化されているので、危機感は感じず、人が一人減ったところで誰も気づかないといったような感覚もあるのかもしれません。
そこから鬱になるものも多くなったりといった原因が生まれているとも言えます。
しかし、地方に行くと人一人がいなくなった時の変化がとても分かりやすく見えてきます。
運送をしている人、農業をしている人、物販をしている人、それぞれがそれぞれの役割をほとんどオンリーワンで行っているからこそ、目に映りやすくなります。
なんでもそろう都心にいるときと異なり、地方では社会のリアリティが学べ、社会とのふれあいが感じられるのかもしれません。
そこに立つにはまず想いが先か
しかし、私はこの話を聞いて、魅力的だなと感じると同時この学校、そもそもそういった人材を選んでしまってはいないか?と感じました。
社会に対しての課題解決能力や、自分が社会の一員であることの意識を持ってイノベーションを起こしていくのかは非常に大切ですし、つけるべき力だと私も思います。
この大学でのカリキュラムでそれを身に着けられるのも納得できます。
しかし、その想いを共有して身に着けてもらいたいという大学の想いは、そこら辺にいる、いわゆるただの学生には届かないように感じます。
ただ言われたとおりにやってそこそこの成功体験をしてきた学生にとっては、そもそもの選択肢に入らないことでしょう。
だから、まずは少しでも社会を変えたい、自分でこんなことがやってみたいという小さな種火を持った学生を見つける、もしくは渡してあげることの方が先のような気がします。
どう成長したいか、どうなりたいのかの自己アプローチ
そしてもっと言うと、社会はそう簡単には変えられないといった見方もあるのかもしれません。
確かに小さな渦を作り出すことはできるかもしれませんが、その渦を大きくしていくには相当な技術とコネとお金が必要になってきます。
そして、そのような目に見える欲に走ってしまうと目的を見失っていってしまいます。
だから、最終的には自己プロデュースこそこの大学が、4年間を通して身に着けて力なのかなとも感じました。
自分がどう生きたいのか、どう在りたいのか。
そして、それが社会を動かすぐらいの大きなイメージを持っていれば、当然仕事に対するやる気も全然変わってくる。
仕事に対してのイメージが変われば、それに付随して私生活もよくなっていくはずです。
その循環を生み出すことこそが、この場所の目指すべきところなのでしょう。
~下記は話を聞きながらのメモで記事に落とし込めなかった内容~
危険から守りたまえと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
全体設計を作っていくことの方がよっぽと仕事として大部分になる。
その細かい部分はそれぞれのスキルになるので、どこでもできる。
マクロな視点とミクロな視点。実際の活動はミクロなんだけど、つけてほしい力はマクロな部分。
とはいえ、茨の道ではないですか?その入り口を選ぶ子っていうのはなかなかのマイノリティー。
レベルの異なるものが合わさるから面白い
人数は多くてはフォローしきれない。どのようなフォローをしているのか。20箇所の地域1学年50人、1地域に10人くらいまで。
他の大学でもできるようにメソッドを浸透させていく。
どんな生徒を育てていきたいのか、卒業した時にどんな人材になっていてほしいという願いがあるのか。
都市と地域の両方からアプローチ
地域の中での自分の存在を問い続ける。
やってみては修正してを繰り返すようになる。
大学での創造体験ができる。
帰ってからの実践方法がわからない。
会社の中での課題解決になってしまう。
未来想像力、社会を作っていく。
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