『ナナメの夕暮れ』 自分探しはどこまでも vol.841
お笑い芸人が書籍?
結構、小説の中でも好き嫌いをして読んだり読まなかったりする自分からしてみれば、お笑い芸人の書く本って損でしかないんじゃないかな?と思っていました。
お笑い芸人でいればどこまでも面白い人でいられるのに、新規開拓をした途端、本を書くのであれば作家としての振る舞いを求められる。
そうなると、今まで面白い人という着ぐるみだけでよかったのに、著者としての着ぐるみも必要になる。
それがその人に合っているかどうかは、その人が決めるのではなくて、まわりのひとが決める。
だから、リスクは高いし自分の思いを外へ絶対に発信したいんだという思いが強くない限りはやらない方がいいんじゃないかな〜と思ったりもしていました。
今日はこの本を読んでの感想を書いていきます。
驚きと刺激には感情の抑揚が含まれている
この本、前半部分は実際に若林が上京をしてきて、新しい土地に対しての驚きや感動の中にある感情の変化などが隅々まで書かれています。
書かれすぎていると言った方が正しいのかもしれません。
一般的にはそこまで考えて物事を見ないよねとか、そういうもんだろうなと思っているところを、細部まで自分の心を覗き込んでいるわけです。
この本の中で、数回若林が言っていたわかっている人からの励ましや、考えすぎじゃない?という言葉の無力感というのは共感はできませんが、理解はしようとは出来ました。
おそらく人それぞれこの理解のできない部分というのは必ずあるはずで、そう言ったところに気が引っかかるとどこまでも次に進めなくなってしまうものなのでしょう。
そして、新しい体験や感動にはそう言った要素が多量に含まれているわけです。
私は結構そう言ったところを納得はしなくとも理解してきてしまったところもあり、理解されないだろうしできないのかもしれません。
自分探しはどこまでも
よく考えているねと言われるとこの本の中でも著者によって書かれていました。
確かによく考えているし、考えすぎなんじゃない?と言われるのもよくわかります。
それでも、それって実は誰にでも必要なことなのかもしれないと思うのです。
それを自分探しといえばどこか中2病臭くなってしまうのかもしれませんが、内観とやセルフプロデュースといえばなんだか聞こえはよくなります。
要は、自分自身の感情とどこまで向き合いきって、それと共存していくか。
これが上手いか下手かというよりも、いつまで真摯にやり続けられるのかというのが大事なのではということをこの本を通して感じたように思うのです。
合う人に会う
書評を見てみると、口裏を合わせたかのようにこの言葉を引用しています。
合う人とという定義は人それぞれだと思います。
一緒にいて楽な人、気を遣わない人、同じような話ができる人、空気みたいな人、、、。
それは人それぞれだと思うのですが、合わない人と合おうとする必要はない、というのは共通の認識として持っていていいと思うのです。
これは簡単なように聞こえてとても難しい。
私たちは何かとカテゴライズしたがり、その枠組みの中で生きることを知らず知らずのうちに互いに強いています。
その見えない縛りを取っ払って、自分はこの人が合うという人を見つけ出しながら、その出会いを大事にするということ。
コミュニケーションの極意のようにも感じますが、実はベーシックであってイージーではないのでしょう。
この本は「うーん、なるほどね確かに〜」とは読めない本ではあったのですが、だからこそ考えさせられ自分なりの納得と理解を見つけたなという実感がありました。
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