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メダカに恋焦がれ vol.487

誰かのために生きる。

そんな考えを持ったことはありますでしょうか?

タイトルからも想像できるかもしれませんが、私は今メダカのために生きています。

、、、

嘘です、流石に壮大すぎました笑。

それでも、メダカの飼育が生活の一部になりつつあるのは否めません。

半分とまではいきませんが、今1/5くらいはメダカのために学校に行っているようなものなのかもしれません笑。

そんなメダカライフについて今日は書いていきます。

捨て去る命

中学2年生の授業には血液について触れる瞬間があります。

そこで、血液の流れについて学習するのですが、この実験をいつもメダカを利用して行います。

毎年、この実験のためにメダカを買ってきて、簡易的な水槽に入れておき、実験をやったその後は餌はあげつつも徐々に弱っていくメダカを見ていました。

それもそのはず、なんでもない丸型水桶にオオカナダモを浮かべただけのもの。

餌も毎日あげるわけではなく、雀の涙程度にあげていました。

メダカからしてみれば、買われずに熱帯魚屋さんにいた方がよっぽど幸せな魚生(人生)を送れたなと思うくらいの飼い方です。

忙しさにかまけて、そんな命の大切さを見落としがちなのが学校の教員。

まぁ、実際には飼育する時間など作る方がおかしいのかもしれませんが笑。

それも、嫌だったので今年は水槽を買って、ポンプを買って毎日餌をあげて、1週間に一度は水を変えてあげてと言ったように飼育をするようにしました。

気になっちゃうもんで

それこそ最初は無理のない程度に、自分の実験がある時とか半分は2日に一回は来る実験助手さんに任せようと思っていたのですが、飼い始めてみるとこれが愛おしくなってしまい笑。

今では毎朝出勤したら、まず向かうのは理科室。

餌をあげて、ライトをつけて元気かどうかを確認し、オオカナダモが伸びていれば根本の部分をカットして、水底にゴミが溜まっていれば掃除をして。

メダカに囚われてしまっています。

しかし、生き物を飼うというのはいいものです。

日々のルーティンが確立するだけでなく、ありきたりではありますが、命の大切さを実感できます。

小さくても観賞用でも命は命。

小さな体に壮大な思いが詰まっていきました。

ちょっとは伝達したかな?

嬉しかったのは別の実験の際に、実際にメダカの血液の流れを見る実験をした生徒が、生きているかな死んでいないかなとメダカの安否を確認してくれたこと。

いつも通りやれば、メダカは死んでしまった。

実験用だから仕方がないと言ったところを、その後の生きているメダカの姿を見せることで、改めて実験のふりかえりにもなるし、命というものに少しでも触れてもらえるきっかけになったのです。

小学校などでは教室で生き物を飼って育てる、いわゆる生き物がかりがありますが、中高でないのはなぜなのでしょうかね。

自由すぎる教室に、また一つ追加したいものが増えてしまいました笑。

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