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対話とはいったい何なのか?

以前は、教育系の対話の会によく行っていた私ですが、最近めっきり行かなくなりました。

好きで参加していたのに、急に足が向かわなくなったのです。

しかしそれは、至って簡単な理由でした。そこを紐解いていくと対話とはそもそも何なのかというところが見えてきます。

なぜ対話の会が好きだったのか

オンライン対話

一言で言うと、職場にそういう場も時間もないからです。

自分が教育に関する学びをしても、思いがあってもそれを吐き出し、共有するような場が学校にはありません。

確かに先生同士で話し合う場もありますが、それは表面的な事務連絡や会話がほとんどです。

教育に対する想いをお互いに語り合い、それぞれの考えをブラッシュアップするときがないのです。

だからこそ、教育のことだけを集中的に話せる場を求め、対話の会に参加するようになりました。

結果として、自分の中にはない新しい知識や考え方に触れられ、自分の教育観もアップデートしていきました。

目的をもう一度考える

ではなぜ、そんな自分にとっても大事な場を少しずつ離れるようになってしまったのか。

それは、その対話の場以上に深くつながれる教育コミュニティ、ティーチャーズアソシアに出会ったからです。

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この教育サロンでは、日常会話のように教育についての対話をslackで行っており、毎日のようにオンラインで教育のあれやこれやについて語り合っています。

まさに私が求めていた空間がそこには常にあったのです。

私のそもそもの目的は、教育について語り合う場所に行くことでした。

その目的が達成されたため、わざわざほかの対話の会に行く必要がなくなってしまいました。

会話と対話は違う

確認するPC

そんなアソシアでも、長く過ごしてお互いの考え方を理解し始めると、やがて話さなくとも「この人はこういう考え方をしているんだな」とか、「こう思っているんだな」という前提のもと話すようになっていきます。

一種の思い込みです。

家族のようにお互いの気持ちも理解していると思う関係にあるほど、思い込みは多くなってくるのです。

だから、普段から関係深い対話をしているコミュニティにおいても、対話の機会は減ってきてしまい、ほとんどが会話になってしまいます。

だからこそ、居心地のいい泉に浸かって教育の話をしていたとしても、普段話さないような、会わないような人とも対話をすることが大切なのです。

対話に求めることが変化

アナログとデジタル

最近は、自分が対話に求めることが変わりました。

これまでは、人との話の中で自分の知らない知識や学習法を何とか吸収しようとinputを心がけて行っていました。

そうして、少しずつ知識が増え、次第に分かることも増えていった今は、自分の想いを表現するのはもちろんのこと、その場にいる全員の想いを集め、場をより良いものにする、共創の精神をもってコミュニケーションをしています。

多くの対話の場は、順繰りに自分の話をして、満足して、「今日もいい一日だった」で終わってしまうことが多いです。

正直それはものすごくもったいないことです。

その場にそれぞれの想いを持った人が集合しているのであれば、それらの想いを掛け合わせて、新しい知見を創り上げていくことができます。明日からの自分の一歩が定まっていきます。

そしてそれが、新しい時代のコミュニケーションであり、生き方となるのです。

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