映画人/ジャッキー・チェンについて①

ケニー・ケンヤ・ヤストミです。
映像・映画作品に多少なりと携わっていると
「カンヌで賞を取りたい」
「表層的理解しかしない人たちは要りません」
「キューブリックの様に~」
と言う様な若い世代の監督の意見に直面しながら編集やその他、実業に携わらせて頂く事が多くあった。

彼らの多くはメタファー・暗喩・比喩・隠喩など
直接的表現法ではない映画的方法でアプローチしていくことに
自身の特別なアイデンティティーを持って作品を制作しているかのように思える。

そういった方々と会話していると時々やり玉に挙がってるのが
アクション映画などの娯楽中心の作品だったりする。

「あの映画はアクション見本市みたいな作品でしたね。。」
「中身はなかったですよ、あの作品。」
と少し疲れたようなテンションで言葉を貰ったりする事がある。
きっとこういった所にアプローチの乖離など
あるのだから仕方のないところもあるが
もっと優しくなれないのかな?と思ったりもするのだ。

まず娯楽を中心にしている作品だから
メッセージが薄かったり、映像的アプローチ(メタファーなど)が少ない
とは限らないのではないか?

そんな訳でほんの少しだけれど
ここでは世界的スーパースターであるジャッキー・チェンと言う人について
触れていきたいと思う。

私はジャッキー・チェンについては造詣は深くないが
70年代後半から約50年近い期間を未だに第一線でリードし
2000年代には世界中のアクション作品のシーンを様変わりさせた
実績は体感を通じて感じた世代だ。
現役感と言えば、NetflixのプロジェクトXトラクションが
世界的に空前のヒットを記録したのも記憶に新しいのではないだろうか?

ただ、ここでお話ししたいのは
『スーパースター』『アクションスター』ジャッキー・チェン
というよりも『映画人』ジャッキー・チェンである。

なぜジャッキー・チェンを選ぶのか?

それについては
「香港映画は中身がない」
などと言われたことが過去に多くあった。

その多くは「香港アクション映画」を指すことが多く
これは無意識の娯楽作への差別意識なのではないか?と感じた事もある。
また香港と言う特殊な土地の情勢や
状況を勘案した発言はなかったのではないか?としばしば感じていた。

私がこれを全て紐解けるほど深くはないが
もし理解を示さずにジャッジをしていたのであれば
「中身がない」と言っていた言葉こそ
「中身の伴わない発言」となってしまう。
一定の優しさをもち、アプローチの乖離を感じる方々との橋渡しになればと
思っています。

また私ももしここで配慮に欠ける言葉があったら申し訳ありません。

まず今日は前置きまでとなりますが
キチンとまとめられれば、下記の内容を書いていきたい
と思っています。

・警察故事と英雄故事/ポリスストーリー
・プロジェクトAとA2
・奇蹟~ミラクル~
・WHO AM I?と西域雄獅

50年間、楽しませてくれるジャッキー・チェンに最大のリスペクトと優しさを込めて。

カメ更新だったらすみません。

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