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『やさしい』は『腹黒』の裏返し


おそらく他人にやさしくない人はいないでしょう。
赤の他人であれば
多少見捨ててしまうという人は多いでしょうが、
友達や知人など
身近な人にさえやさしく接しないという人はほぼいないでしょう。

では
なぜ人は他人にやさしくするのでしょうか。

自分に厳しく他人にやさしくと習ったから?
やさしくするのが楽しいから?


ぼくの見解はタイトルの通り。
やさしさは腹黒の裏返しだからです。
どういうことかと言うと、
やさしくするということはつまり
相手を助ける、補うということ。
やさしくした側は
その補いの見返りを求めるという意図が背後にあるはずです。
要するに
自分を満たすための腹黒さの現れ
ということです。


例えば
Aさんは友人のBさんとご飯に行きます。
Aさんはご飯に行くといつもBさんの分まで取り分けてくれます。
ここで
BさんはいつもAさんに取り分けてもらっている、補ってもらっている
という関係が成り立ちます。
こうしていくと
BさんはAさんにお返しをしようという気持ち、ある種の借りが生まれます。
そして後々、
BさんはAさんと良い関係を築いていくというお返しをするでしょう。
ふとした時にジュースを1本奢ってくれるかもしれません。

ここで重要なのは
Aさんが
その後のBさんのお返しをある程度予測しているということです。
Aさんは
後の親友関係の構築
あるいは
ジュース1本を求めているのです。

おそらく
ほとんどの人がAさんのようなことをしているでしょう。
そんなやましいこと考えてないと思う人もいるかもしれませんが、
それはただ無意識化されているだけで
大元の原動力はその腹黒さにあると思います。


このように
いかにもやさしくすることが悪だと言わんばかりの主張を続けてきましたが、
ぼくはやさしくすることが悪だとは全く思っていません。
むしろ
みんなでやさしくし合っていくべきだと思っています。

そもそも
『腹黒い』と言うから悪いイメージがあるのだと思います。
元来人間はそういうものなんだと思います。

見返りを期待した上で他人にやさしくしてお返しをもらう。
それが本来の人間なんだと思います。
ご近所付き合い、お裾分けなんてまさにそうでしょう。
『腹黒い』というのは
後になって人間が勝手につけた概念だと思います。

要するに
見返りを見越したやさしさが本来のやさしさ
なんの見返りもなしにやさしくするのが正義
というのは勝手に作り上げられた虚構です。
他人にやさしくする際にやましいことを思っても間違いではありません
与えるものが得る」の本質です。

みなさんでやさしくし合って、
お返しし合いましょう。


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