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専門家って面白い話

子供の頃から、知らないことを知っていくのが好きだった。
わたしの父は子供を子供扱いしない人で、例え自分の子供、あるいはそれよりも年下の人に対しても、敬意を持って接する人で、話をするときもそうだった。
「子供だからわからないだろう」
という、ある種の優しさにも見える侮りは一切なく、質問されたことは自分の持てる知識を全て投入して事細かに話してくれた。
だからだろうか。
自分の知らない世界を知っている人はとてもキラキラしてかっこよく見える。

わたしはとにかく調べることが好きで、国語辞典があれば適当に開いてそのページを読み尽くすのが楽しみだった。
中学生の頃、テストで頑張ったら何か買ってあげるよと言われ、きょうだいは洋服やCD(この辺が時代ですね。音楽業界がめちゃくちゃ盛り上がってた時期でした)を頼んでいたが、わたしは広辞苑を買ってくれと頼んだ。
我が家に現れたあの鈍器は、すごくすごく面白かった。
当時はまだインターネットも黎明期を少し過ぎたくらいで、自分の携帯も持っていないわたしにとって、広辞苑はとても広い世界だった。

多分その名残なのだと思う。
専門家が、自身の専門分野について話したり、解説したりするのを聞くのが本当に楽しく感じる。

わたしは昔児童劇団に入っていて、多少ながらクラシックバレエも嗜んでいた。
そのこともあり、ローザンヌ国際バレエコンクールのニュースはちょっと気になるし、テレビで中継放送をしていれば手を止めて見てしまう。

数年前に何気なくつけたテレビで、ローザンヌの番組をやっていた。
最初は「みんなすごいなー、芸事で身を立てるって羨ましいなー」と思いながら見ていたが、途中から解説に夢中になった。
その時の解説は、プロのバレエダンサーの山本康介さんだった(現在も継続して解説をされている)。

山本さんの解説はとてもわかりやすく、なるほどなと思うと同時に、すごく面白い。
例えば、ジャンプをして着地の時、足がきちんとポジションに戻っているかはすごく大切で、ジャッジはそういうところを見ている、とジャッジ目線の話をされていて、なるほどそこが大切なのかと(予定もないのに)そのテクニックを自分のものにしようと聞き入っていた。

ここまでなら多分解説者としては平均というか、よくある話なのだと思う。
しかし、山本さんは違う。
プロだからこそ気になるところや気をつけたいところにも言及されるのだが、それがめっぽう面白い。
当時の日記を読み返すと山本さん語録があったため抜粋する。
「表現が暗い」
(アナウンサーの衣装が鮮やかですね、というコメントに対して) 「そうですね〜、衣装も表現の一部なのでもっと考えた方がいいと思いますけどねー(とても優しげな話し方で)」
(表彰されたダンサーについて)「意外ですねー。古典の動きができていないですし。ま、将来性ですかね。」
といった具合に、優しく穏やかな話し方とは裏腹に辛口なコメントもされていて、わたしは声を上げて笑っていた。
表彰されたダンサー達については、ほとんどが「意外ですね」「びっくりです」との批評で「文句なし」は二、三人だった気がするので、おそらくローザンヌのジャッジとは合わないんだろうな、と想像する。
山本さんご自身が本当に実力のある方で、海外でいくつもの賞を受賞され、プリンシパルソロイストも務められたからこその辛口と思うと、プロとはかくも厳しいものかと恐れると同時に、畏怖の念が湧き上がる。


他にも、プロのすごさと面白さを感じるものはあり、例えば日曜日にやっているNHKラジオの「子ども電話相談室」は、どの回もいわゆる神回と言って差し支えないほど面白い。
様々な分野で研究を続ける人が、子どもたちの素朴な疑問に答えるラジオなのだが、頭のいい人は説明も上手いのだな、と思う。
有名なのは昆虫の研究をされている清水聡司先生だろうか。
一、二年前にTwitterで清水先生の回答がバズっていた(何故虫は潰れると汁が出るのか?という質問に対し、「きみも潰すと汁が出る」と答えられていた)。
清水先生はもちろん大好きだが、もうおひとり、植物の先生である田中修先生がとても好きだ。
お二人とも近所のおっちゃんと話している気分にしてくれるから。
清水先生は、番組の中で一人称を「おじさん」としてお話される。
他の先生方の多くは「ぼく」「わたし」「先生」と、こちらももちろん子どもたちに目線を合わせた、優しい、とっつきやすい一人称である。
中でも清水先生は常に「おじさんね、調べたんやけどね」と昔から知り合いだったかな、と錯覚するようなお優しい語り口がとても素敵だと思う。
田中先生は、懐かしさを感じるゆるやかな京都弁で、めちゃくちゃレベルの高い知識を披露されているのがとても心地よく、なんだかおもしろく感じる。田中先生もたしか一人称は「おっちゃん」だったと思う。

そして何より、田中先生の電話相談といえば絶対に言及される「コール&レスポンス」。
その日のお悩みについて、大切な言葉を言った後、先生は必ず「XXX、はい、言うてみて」と相談してきた子に言わせるのである。
ちなみにわたしの記憶に残っているコール&レスポンスは「ヘイフィーバー」である。
単純に花粉症の話だったから「ヘイフィーバー(hay fever:花粉症)」と言っただけなのだが、先生はヘイフィーバーと言うとき「ヘイ」と「フィーバー」の間に一瞬の間を置いている。それがどう聞いても呼びかけの「ヘイ」にしか聞こえず、まさしくコール&レスポンス…!と一人にやついたことは鮮明に覚えている。

自分が知的好奇心が強い、というわけではなくて、自分の知らない世界をよく知っている人は、自分にないものの見方を示してくれるから、だからそういう人と話すのが楽しいのだと思う。
新しいものの見方を示されると、毎日通る道すら楽しいものになると思う。
金木犀の香りを知らなければ、きっとわたしは目に見えない秋の訪れを感じることはないし、道端の虫はどこから来て、何の種類かを考えることはないだろう。
でも、それができるだけで、つまらない会社へ行く道はちょっと楽しくできると思う。
それが、わたしにとってはすごく意味のあることで、楽しいことである。

いつかわたしもくっちゃくちゃの老人になったら、
田中先生や清水先生みたいな「なんかいろいろ知ってる近所の知らん人」くらいになりたいもんである。

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