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雑記:3_コロナ・ピューリタニズムについて

別の投稿サイトで書いた記事。何故かこの記事だけアクセス数が伸びているためこちらにも載せてみようと思います。

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コロナウィルスに関する様々な議論の中で、最も注目しているのが精神科医の斎藤環先生の論です。

昔から好きな先生なのですが、コロナに関するとても興味深い投稿をしています。


先生はコロナウィルスに対する世間の扱いはキリスト教における原罪の考えに近い、と言っています。それを、「コロナ・ピューリタニズム(CP)」と呼んでいます。

自分自身が感染しているつもりで人に触れ合いなさい、という教えはまさに原罪についての教えに近いということですね。

この倫理観が未来に継承されてしまうことを先生は危惧しています。

その点について、私が考えるのは世界的に流行した様々な疫病、例えば「スペイン風邪」などの際に同じような倫理観が築かれなかったのか、ということです。

先生は、人との親密さが罪になるような考えがインストールされてしまった、と言っていますが、それは間違いないと思います。ただ、それは時間と共にアップデートされ続けるのではないかと思います。

アップデートされ続けた結果、当初のものとは全く違った倫理観になることもあるのではないでしょうか。

「・・・私たちはもはや親密さに基づいた対話や関係を、かつてのような自明性のもとで享受することはできないし、またそうすべきでもない」

このように述べられていますが、ここで示されている「私たち」はカッコ付で「(今生きている)私たち」と補うのが良いかもしれません。

つまり、これまでの疫病のようにその渦中にいた人々にはインストールされるでしょうが、そのあとの世代の人たちにはそれがなされずに、同じことが繰り返されるのではないかということです。

繰り返される一方で、我々の所作の中にその名残を見出すことができるかもしれません。手洗い、うがい、入浴の習慣、土足禁止、おしぼりの文化などはもしかしたら、先祖たちが獲得した倫理観として半ば無意識的に我々は受け入れているのかもしれません。これが、過去から継承された倫理観なのだとしたらーー?

皆さんはどう考えますか。

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