キーワードを透明にする
noteに書き続ける習慣が身について、今度は届け方をよく考えるようになりました。たとえば、タイトルの付け方やハッシュタグの選び方、顔出し・実名のほうがいいのか等々。
まだいろいろお試し中ではありますが、自分のしていることをわかりやすく表現する上で最も悩ましかったこと=「シュタイナー教育」ということばを使うかどうか問題が自分の中でやっとクリアになりました。
主に悩んでいたのは、プロフィール欄に書くかどうかです。わかりやすいキーワードなので、普通に考えて書き入れた方が多くの人に届くと思います。試しに入れてみたところ、そのワードで検索すれば一番上に自分のアカウントがあがってきました。
じゃあ、書けばいいやん!って話ですが、結論としては今まで通り「できるだけ使わない」ということになります。
よく確認してみると、それは本当にコアなところからくる想いでした。荒削りながら、いま感じていることをそのまま書いてみます。
*
わたしは昔から、芸術や哲学、いろんな国の宗教文化を通してピュアな高い理念に触れるのが好きでした。こころが洗われるような、救い出されるような。そういう感動体験を今でもつよ〜く求めています。
感動したらそのまま溢れ出るように周りにシェアするので、(そしてあまりにそういう話が多いので)高校時代は「教祖」と呼ばれることもありました(笑)文字にするとやばいですね〜。
だからシュタイナー教育に出会ったときも、学生の頃からずっと問い続けてきた「人間ってなに?」「芸術や宗教ってなぜあるの?」の答えを得た気がして、すごく感動しました。
ただ、シュタイナー教育に関しては、ピュアな高い理念を感動のままに語っていくのではなく、それをちゃんと生きていこうという気でいます。
*
身をもって生きようとすると、必ず現実との相談でそうじゃないもの(雑味)が入ってきます。そして、違うものになっていく。
そう、違うものになっていく!これは、わたしにとってうれしいことです。
「実力不足」や「誤り」「妥協」であったとしても、本来的にうれしいことです。
その理由は、
同じことに取り組んでも、違うものが生まれてくる。同じ一日を生きていても、わたしとあなたの一日は違ってくる。同じ人生を生きていても、わたしとあなたの人生は全く違う。そうやって世界が豊かになっていく。
わたしは無名の個人として、この大きな流れの一部になることを強く望みます。違うものになっていくことを怖れではなく、喜びとして受け入れていきたいです。
noteやInstagramで誰かの日常に触れるのが好きなのも、世界中でバレットジャーナルが愛用されていることにわくわくするのも、こういうところからきているのでは。
(世界中のみなさん、シェアしてくれてありがとう〜!)
*
いまの職場に出会ったとき「なぜシュタイナー学校と名乗らないんですか」と代表に尋ねたら、ひと言で「シュタイナー学校じゃないからです」と返ってきました。
この話をしたときはたしか学校設立から25年目。
当時はただ直感的に「いいな」と思いましたが、こうやってことばにしながらたどってみると、どれだけ深いところからくるひと言であったのかわかります。ただじゃない年数をかけて、ずっと生きて違うものにしてきたんだなぁと。
あの時わたしの中で何が共鳴していたのか、これでようやくはっきりすることができました。あえて選んだこの舞台をこれからもっと楽しみます。
そして、積極的に生きて違うものになっていこうという気持ちの表れとして。キーワードはこれからも透明のままにしておきます。
※高い理念へのリスペクトを保ちつつなので、使わないと不自然なところでは使わせていただきますね。
サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡