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怪しい?ヴィパッサナー瞑想10日間コースの体験を語る

noteやTwitterでつながっているメグさんに誘われて、ヴィパッサナー瞑想の体験を語ってきました!

https://stand.fm/channels/5ffee188fc3475e2c85f2b16

↑10日間コースから帰ってこられたその日のうちに、瞑想チャンネルを開設されたそうです👏参加するかどうか本気で検討されている方、参加したいけどいろいろなハードルを感じている方にとって、有益な情報が語られています。

さて、わたしは、チャンネル開設一週間記念のゲストとして😆出演させていただきました。楽しくてあっという間でした。

今回は、トークで伝えきれなかった部分や、あとから思い出したことなどを書いていきたいと思います。

〜わたしのコース参加歴〜

  • 2016年8月 10日間コース初参加@千葉

  • 2017年8月 古い生徒として参加@千葉

  • 2018年4月 奉仕者として参加@千葉

よくある質問にさらっと答えます

そもそも、ヴィパッサナー瞑想とは?
詳しい説明はGoogle先生にお任せするとして。

よく人に心配されるのが、怪しいやつじゃないの?宗教?マインドコントロール?さぞお高いんでしょう?え、無料?怪しい!!!ということです。

この部分にだけ簡単にお答えすると、

怪しくない?宗教じゃない?

怪しく見えると思いますが、大丈夫でした!行った人の体験談をいくつか読んで判断するといいと思います。わたしも行く前は心配していましたが、kindleで100円の体験談を読んだら、これは参加して大丈夫なやつだと思えました。

あとは、ヴィパッサナー瞑想の存在を教えてくれた人が全然変な人じゃなかったのも(むしろ素敵)、大きな安心材料の一つでしたね。

怖がらせる要素としては、「やっぱりや〜めた!」って途中で帰ることが許されないところにあると思います。人とコンタクトをとることもNGです。(10日間のストイックな修行ですから、よく考えたらそりゃそうですよね。)

そういう面での不安が解消されていないと、コースが始まる直前に怖くなって引き返しちゃう人もいます。本人は大丈夫でも、家族が心配して警察に連絡しちゃったりとか。

繰り返しになりますが、修行に参加するわけなので、えいっ!と飛び込む覚悟はそれなりに必要だと思います。

不思議な体験ができるの?

体の感覚をひたすら平静に観察するだけです。イメージとか空想ではない、リアルな感覚だけを観察していきます。そういう観察ポジションに徹した結果、普段の生活の中ではなかなかキャッチすることのできない、微細な感覚を覚えることもあります。マジックでもトリップでもなく。自分の地力だけで進んでいきますから、終わったあとは、ものすごく地に足のつく感覚が残ります。(わたしの場合)

マジックやトリップ、何か素敵なヒーリング効果を期待すると、がっかりするかもしれません。

本当に無料なの?

はい、お金を請求されることはありません。ただ、このコースは寄付やボランティアで成り立っているので、コース終了後、自分も誰かの力になりたいと思った人が寄付できる仕組みはあります。好きな時に、好きな額だけ。

このコースは世界中で開催されていますが、指導者も含め、誰もこの活動でお給料をもらっている人はいません。全て自発的な気持ちから◎これで運営が回るって、すごいことですよね。

寄付してくださいと直接お願いされたり、無言の圧力をかけられたりすることも、全くないです。結果的に寄付したくなる気持ちが自然と湧いてくる人が多いのかな〜と思いました。わたしもその一人です。

コースに参加したことで得られたポジティブな変化

必ずしも瞑想の効果ではないですが、行ってよかったこと・変わったことを紹介します。

洗濯が好きになりました

コース参加中は、自分の衣服をバケツで手洗いします。脱水機は貸してもらえるけど、洗濯機は使えません。一日中瞑想漬けで娯楽もないため、休み時間に手で衣を洗うことが、わたしの楽しみでした。

すすぎに手間のかからない、地球にやさしい系の洗濯洗剤を持って行きました。

夏だったので、洗って干しておくとすぐに乾きます。雨が降ると、みんなで(といっても誰とも話せないけど)慌てて干した洗濯物や布団を引き払いに行ったり、自分のじゃないけど、とりあえず誰かのも屋根の下に移動させたり、してもらったり。

この便利な時代にはなかなか体験することのできない、フォークロアな記憶がぶわっと目覚めていく気がしました。コース中の制限された”暮らし”も、なかなか豊かですよ。

善意が溢れてくるようになってきた

わたしは学生の時から、ボランティアとかする人の気持ちがわからねぇ!と叫んでいる人でした。自分の問題で必死だったので、全然、人に気を配れる余裕がなかったです。

でも、コース中の講話(毎晩、原始仏教のありがたいお話を聞かせてもらえます)を聴いているうちに、なるほど、善意というのは、自然に出てくるものじゃなくても、嘘でもいいからそう振る舞っているうちに、人に喜ばれたり、役に立てたり、感謝されることで、本当に心から人のためになりたいってだんだん思えてくるのだなぁとわかりました。

よく「偽善だ〜」「自己犠牲はよくない〜」って言いますけど、「善いことをしたほうが自分にメリットがあるからする」でいいんだなと。入り口はそれでよくて、そのうち本当に心からそうしたくなってくるんだな〜とわかってきました。

良い職場に出会えた

そういう”善意の循環”の中にいると心地よいので、なんとか、実社会でもそれができないか、ずっとこの輪の中にいられないだろうかと思います。

実際に、この瞑想コースを中心に生活を構築している人もいて、それも一つの生き方だと思いました。

が、わたしは奉仕者としてコースに参加してみたときに、

実社会でそれを実現することは確かに難しい。でも、奉仕者として参加してみたら、小さくてもそれは実現可能だと思えた。

こういう手応えをもちました。

それで、

瞑想が中心の生活ができなくても数年に一回は10日間コースに参加できる仕事のスタイルをつくりたい。小さくても「善意の循環」が成り立つコミュニティに参加したい。

という問いを持つようになりました。

そしたら、自己申告(お金や労力を、強制ではなく、一人一人の自発的なギフトで)で成り立つオルタナティブスクールと縁があり、そこで働くことになりました。いつか仕事になったらいいな〜と思って勉強していたシュタイナー教育も活かせるし、長期休みもあるし、わたしにぴったりの席だと感じました。

どうして今はコースに参加していないのか

理由はいくつかあります。

①パンデミックの影響で、タイミングを失ったため。

②優先順位が下がったため。

②について詳しく説明します。先ほどもお伝えしたように、以来、シュタイナー教育がわたしの仕事になりました。シュタイナーの世界観は、東洋的な瞑想(目を閉じて座り、内側にフォーカスする)とは微妙に違っていて、世界に目を向け"つつ"自分の内側も同時に感じていることが求められます。うちとそとを同時に知覚していること。人とコミュニケーションを取りながらも、瞑想のときのような平静さを保つ・・・というのは、本当に本当に難しいことです。それが現代人にとっての魂の修行、という考え方に沿って生活しています。

もう少し自分なりに表現してみると。その「善意の循環」を実践する難しさがここ数年で痛いほどよくわかりました。ベーシックインカムやギフト経済的な理想の世界を、もっともっと、も〜〜〜〜〜〜っと噛み砕いて、現実に落としていく必要があると感じます。

つまり、もう少し現実社会の実情に沿って活動していきたい。決して理想を忘れるということではなくて、実情の側に理想が入れる隙間を見つけて、風穴をあけていきたいって感じです。

そういう自分を手仕事と共に鍛えていきたい2023年ですから、瞑想に10日間を捻出することの優先度がやや下がり気味となっています。

↑手仕事にはそういう力があるっていう記事

なんだか、たいそうなことを語ってしまいました(汗)

また参加したいか?

もちろんです!

ひたすら座っていることで開てくる感覚もたまには思い出したいですし、働きながら平静でいるレッスンとしての奉仕者も、またやりたいです。

その際は、海外で開催されているコースにぜひ参加したいですね。台湾とかオランダとかドイツとか。食事の違いとか知りたいですし、ことばが使えない中での協同作業を体験してみたいです。英語がわかれば、(最悪わからなくても)なんとかなりそうなので。

以上、さらっと語るつもりが、とんでもなく長くなってしまいました。

みなさま、素敵な瞑想ライフをお過ごしください。

追記

そうそう、なぜ参加しようと思ったか?ですが、瞑想って、やり方を間違えると変な方向に行く可能性があるな〜と思ったんです。気が触れちゃったりとか。危ない方法に進みたくなかったので、古くから伝わり、今も残り、多くの方が実践されている伝統的な瞑想方を、きちんと習っておきたいと思いました。

参考にしていただけたら幸いです。


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