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小さいようで、大きい「いち」

最近、「数字で考える」という意識がめっきり薄れてきました。そもそも「数字で考える」が自然にできる方ではなかったのですが、変化を起こすべく意識しはじめたのが半年〜一年くらい前のことです。

日々のルーティンやSNSのリアクション数。時間やエネルギーの配分など。現状把握にも、目標設定にも、とにかく数を添えるようにするだけで、物事がぐわ〜っと動き出していきました。何かを変えたいと強く思っている時、数はいい味方です。

それなのに、意識が薄らいできてしまったのはどうしてでしょう。新生活がはじまり、積極的に変化をしかける時期ではなくなったからかなと思います。あるいは、過剰すぎた意識が、少し落ち着いてきたのか。まぁ、どちらもですね。

前置きが長くなってしまいましたが、ここから先は「数」の容赦なさに傷つく!という人のために、ちょっと楽になるかもしれない話を書きます。

1は小さい数なのか

いま、新一年生に「数」の授業をしています。1〜12までの数の質を心と身体で感じられるように、(文字通り)あの手この手を使って組み立てています。

まず一つ目の手は、こんな詩を繰り返し毎日唱えることです。

「いち」
いちってね
つまりぼくがね いちなのさ
ぼくは せかいで ひとりきり

いちってね
つまりママがね いちなのさ
ママは せかいで ひとりきり

いちってね
つまりきみもね いちなのさ
ぼくと きみとで 2になるよ

いちってね
だけどちきゅうは ひとつなの
ぼくと きみとで てをつなぐ

いちってね
だからはじめの かずなのさ
ちいさいようで おおきいな

作・谷川俊太郎

そう、いちって、「ちいさいようでおおきい」んですよね!

たとえばnoteだったら「スキ♡1」は小さい数だと感じる人が多いでしょう。だんだん増えていくこと、もともとないことが前提の「はじめのかず」です。

でも、わたしたちはある全体のことを「いち」と呼ぶこともあります。ひとまとまりのものが、2へ、3へ、4へ・・・と枝分かれしていくのだと考えると、同じ「はじめのかず」でも、大きい数だと言えます。

「いち」の大きい側って、あんまり注目されていないような気がするな〜。というわけで、授業では、一人一人が手をつないで、みんなで「いち」になる体験をたくさん用意します。輪になってわらべうたで遊ぶことなどは、まさにそうですね。

「ある」世界に飛ぶ

増えていくことが前提の「いち」は小さいけれど、あることが前提の「いち」は大きい。どちらにも共通するのは「はじまり」の数。ということを見ていきました。

同じ「いち」でもいろいろです。

わたしの場合、なんだか数字に傷つくときって、「増えていくことが前提」の世界に偏っていて、「足りない」ことに目がいっているような気がします。しかも「増えていくこと」って、終わりがなくて苦しい!

たとえば、頑張って投稿したのに反応が少ない。view数が足りない。フォロワーが減った(笑)等々。

そんな時は「もともとあることが前提」の世界観へひとっ飛びすると、与えられているものに感謝できます。いまここが「はじまり」や「通過点」だと想像してみると、楽しみな気持ちが少し芽生えます。

これからもし数字に傷つくことがあったら、「ちょっと待ったー!」と一旦割って入ってみよう。一年生との授業を通して、そんなことを思いました。

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