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被服だって物を言う

いよいよ、秋らしく、肌寒い感じの日が増えてきましたね。今朝、洗濯物を干していたら、金木犀の香りがしてきました。

着るものも、そろそろ長袖に切り替えなくては。と思い、たんすの中から長袖のものを引っ張り出して着てみたのですが

「あれ?なんか違う」「そんな気分じゃない」という感じがしました。加齢とか流行とかそういうのじゃなく、今までの服がしっくりこないのです。

どうやら、ここ半年の心境の変化に関係がありそうです。

しっくりこなくなった服というのは、体のシルエットを曖昧にするゆったり系の、天然素材のもの。

もともとナチュラル系は好みじゃなかったのですが、以前、保育園で働いていた時に「フレアスカート」「天然素材」「やわらかく・あたたかみのある色だと尚良し」という指定があったことから、自然とそういう服が増えていきました。

保育者になってはじめて「着ているもので子どもに与える安心感が全く違っう」と実感し、自分の着たい服はひとまず置いとておこう、と思ったのです。

持ち物が増えるのが苦手+経済的な理由から、できるだけオン・オフ兼用にしていたのもありますね。

その名残で、たぶんここ数年で出会った人には「そういうのが好きな人なんだ」と思われているはずです。

ナチュラル系がしっくりこなくなったのは、コロナをきっかけに保育の仕事をやめたからでしょう。

ユング系のアートセラピーでは、描かれた服=その人のペルソナ(社会的仮面)だと解釈することがあります。

そういう観点で自分の服装遍歴を振り返ると、ちょっと面白いです。

自分らしさをとるか、調和をとるか。いつでもどこでも、その間で揺れてきたんだなぁとよくわかりました(笑)

《いまのわたし》
ヴィンテージライクな、ふるめかしさとあたらしさの融合している服が好き。遊び心もある感じ。

先生然としているよりも人間味を出すほうが歓迎される今の職場。仕事でしょっちゅう汚れたり破れたりするので、こだわって高いものを買うよりも、自分でつくってしまうことが多くなりました。天然素材の着心地もキープできるので、いい感じです。

《3年前のわたし》
天然素材・パステルカラーの、ふんわりしたシルエットの服。自然派な感じ。

the シュタイナー教育な感じの保育者時代。今思えば、迎合しすぎたな〜。

《5年前のわたし》
ネイビー、グレーなどのベーシックカラーが多め。シンプルでクラシカルなデザインのもの。

主婦をしていた幻の3年間。配偶者は社会通念をかなり重視するタイプの人で、今思えば、自分らしさを"抑える"ような服が多かったです。ミニマリストな傾向もあいまって、”知的”だとか”都会的”だと言われていたかな。

《10年前のわたし》
ヴィンテージライクな、ちょっと攻めてる系の服。

オフィスカジュアル指定の職場でも、ぎりぎりのところを攻める人でした。お金がないなりに、いちばん自分らしさを楽しんでいたかも?いまのわたしはここに近いです。

《高校〜大学時代》
ヨーロッパ系の古着が好み。色鮮やかな感じ。いわゆる青文字系に切り替えました。

大学の警備員のおっちゃんに「こんなに緑が似合うのは、あんたとバッタくらいや〜」と言われました(笑)一点ものみたいな服が好きで、「そんな服どこでみつけてくるの!?」と言われるとうれしかったです。

《小学〜中学時代》
姉のお下がりが中心。『ご近所物語』に影響を受け、個性的で派手めな服に憧れつつ、ギャル系の友達に合わせて露出度高めの服を着ていたことも。

当時、子どものくせにファッション雑誌を毎月何冊も読み込んでいました。教育的にどうなの?というのはおいといて、それなりに肥やしになっていると感じます。

これからは、社会的な顔にも自分らしさがかすんで見えるバランスを探っていきたいです。

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡