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熟し(こなし)が上手な人と出会いたい

この秋、ずっと楽しく編んでいたセーター。

先日ついに完成したのですが、これがまぁ〜似合わなくって残念😭😭😭

いかにも日本人顔をしているからでしょうか、ゆったり系やほっこり系の服が(似合うと見せかけて)あんまり似合わないんです。もともとの地味さが際立ってしまうのですよね〜。

そもそも、手編みのセーターってだけでほっこりが強くなるというのに。どうして気がつかなかったのか。もう少し、抜けるような糸や色を選ぶべきだったか。

まぁ、初めてのセーターですしね!つくることは楽しかったので、それだけでもよしとしましょう。

誤解のないように言っておくと、デザインそのものはとっても素敵なんですよ〜!

https://www.ravelry.com/patterns/library/rug-11

Junko Okamotoさんのデザイン。knitter界隈では有名な「ravelry」というサイトで、無料のパターンが公開されています。気になる方はぜひ。

これに懲りずに、今度はAndyというカーディガンを編んでみようと思います。

「失敗😭」と言いつつ。実は、どこかで「大丈夫さ〜」と思っています。

というのも、前にも似たようなことがあったのです!

半年くらいかけて編み上げた大判ストール。

完成した当初は、やばい!なんか変!!!と思って箪笥にしまい込んでいたのですが、数年後に引っ張り出してみたら、そのもっさり感が逆にいい塩梅。今ではヘビーローテーションしています。

変だな〜。わからんな〜。って思っても、しばらくは寝かせてみたらいいんです。「わからない」もよくよく聴いてみると、「わかりたい」だったりするので。そういう「わからない」は、積極的に抱えることにしています。

ところで、わたしは服の何がそんなに好きなんでしょう。
「着こなし」です。そう、熟し(こなし)全般が好きなんです。

それは、なんちゃら教育に取り組むときも同じで、雑誌のコーディネートをそのまま真似しとけば安心!とは思えないように、なんちゃら教育も、誰かのしている美しい教材やアクティビティをそのまま真似るだけでは、ちょっとものたりないと感じます。

だって、似合わないことをやると変だもの。〈わたし〉が通っていないことをいくらやっても、おかしい気がするんだもの。

”誰がやっても同じ結果になる” よりも、”元ネタは一緒なのに全然違うものになる” がいいな。

服や勉強を通して、その奥にいる「人」に出会えることが、わたしの楽しみです。

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡