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おばあちゃん家の感じ

ヘビースモーカーで、肺の弱いおばあちゃんでした。もしこのコロナ禍を生きていたら、どんなことを思っているのだろうなぁ。

おばあちゃんのことを思い出したのは、新型肺炎が流行っているからではなくて、最近、意を注いでいる園芸活動があるからなんです。

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おばあちゃんは、あの時代には珍しいキャリアウーマンでありました。また、都市生活者でもあり、2DKのアパートで一人暮らしをしていたんです。

緑や陶器を集めるのが大好きな人でした。センスの良い家具や小物に囲まれているお部屋でした。

当然ながら、わたしはそのお家におこもりするのが大好きで、小さい頃は親にせがんでしょっちゅう遊びに行かせてもらったし、隠れんぼもしたし、高校生になってからは、ほぼ毎週末、受験勉強の道具をもって泊まりに行きました。

いま思えば、サードプレイスみたいな使い方をさせてもらっていましたね。

おばあちゃんがインスタントコーヒーでつくってくれる甘いカフェオレや、エリンギとウインナーを塩胡椒で炒めてつくってくれるあのおかずが懐かしい。

そんなおばあちゃんですが、

その「緑好き」はいかほどかというと、ベランダに植木鉢がびっしり並ぶくらいの偏愛ぶりでした。

二層式洗濯機がぽつんと申し訳程度に置いてある以外はぜんぶ植物。アパートの一室なのに、ここは植物園か?と思えるほどの賑わいでした。

ベランダにスペースが足りなくなってきてからは、室内にも、背の高い観葉植物がた畳一畳分くらいまで浸食。

いや〜〜〜

水やりはどうしてたんだろうな。お布団はどうやって干すのだろう。洗濯しにくくなかったのかな。

今さらながら不思議な空間でした。

ちなみに、そのおばあちゃんはドライブも好きで、よく田舎の山の方へ連れて行ってくれたのですが、

(そしてどこかの窯で陶器をさがしたり)

道中で気になる植物があれば、わざわざ車を止めて、それを引っこ抜いて持ち帰りました。

こんなことばかりしているので、ベランダに植物が溢れかえっていたのですね。

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さて、withコロナ時代を生きているわたしの話ですが、

重要な20%に集中!あとは削ぐ!

そう決めてから、おうち時間がこんもり増えました。

時間があったらやりたかったことって何だろう。

高いお金を払わなくても、確かに感じられる小さな幸せって何だろう。

いろいろ考えてみた結果、

「日当たりの良さを感じながら、緑や木に囲まれながら思索にふける」

これがあればだいたい幸せ〜〜〜と思いました。

そうすると、いまの自分のいる空間には緑の要素が足りていない。

キッチンハーブを育てるようになり、かわいい野花を探してきて花瓶に挿すようになり、こつこつ緑が増えてきました。

最近はもう、外を歩けば「素敵な緑を探す目」になっています。

それである時、あ、これかわいい!と屈んで手を伸ばそうとして、ふと「あ、あのときのおばあちゃんだわ」と思い出したというわけです。

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わたしはおばあちゃんちのあの感じを再現したいのかもしれないです。

緊張がほぐれて、本来の自分に帰っていけるようなあの心地よさ。

おばあちゃんはもうこの世にいません。おばあちゃんちの写真も手元にありません。

あるのは、心に刻まれている記憶のみ。

でも、写真よりも、自身で"思い描く"記憶の像を頼りにする方がずっとずっと本質に近づけるということを、わたしはわたしの仕事を通して知っています。

だから、大丈夫なのです。

ここへきて、過去・現在・未来をつなぐ新たな線が足されたことをうれしく思います。心の像が蘇ったことをうれしく思います。

おまけ

今まで生きてきて、おばあちゃんちの感じに近いな!と感じたことのあるお店が一軒だけありました。

https://www.froma.com/contents/life/15517/

高円寺のアール座読書館です。

コロナが落ち着いたらまた遊びに行きます。

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