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青春代行役としてのアイドル【乃木坂46新メンバーオーディション】

7月19日、乃木坂46が約3年ぶりの新メンバー募集を行うことを発表した。
テーマは「この世界の、未完成は美しい。」。

この世界の、未完成は美しい。

正直、このテーマを見た時、日本の女性アイドル文化の悪しき文化を凝縮したようなテーマだと思ってしまった。(映像はとても美しいですしメンバーはとっても可愛いですが。)

もちろん、未完成には未完成の美しさがあることは間違いないし、人は未完成な状態からの成長や発展に心を動かされるものである。人々が青春時代を愛おしく思う理由も、未完成さや未熟さが時に奇跡的な展開を生み出すからとも言えるのではないだろうか。

このテーマから、日本の女性アイドルが担っているのは「過ぎ去った青春の代行」という役割なのだということを改めて強く実感した。
元々普通の女の子だったメンバーたちが、未完成の状態でアイドルとして生きることで青春劇を演出し、ファン達の理想の青春像を叶える

日本のアイドルは、良質なパフォーマンスを届けることよりも、少女達による青春劇を見せること、そして接触系イベント等によってファンもまるでその青春劇の一部かのような感覚を得られることを売りにして、お金をもらう商売となっている。

よく日本と韓国のアイドルの対比として、「日本は未完成の状態からの成長を応援しながら楽しむ文化、韓国は完成された状態のアイドルを楽しむ文化」という比較が用いられるが、その意見には違和感を覚える。

BTSのファンは、BTSの完璧なパフォーマンスのみに魅力を感じているのではなく、彼らが無名だった時代から着実に、国内でトップ、ビルボードHOT100で1位、グラミー賞ノミネートと、グループとして発展を遂げ、それでも日々努力しながら成長する彼らを応援することで楽しんでいるのだ。
それを踏まえると、日本と韓国のアイドルの違いとしては、シンプルにパフォーマンスの質や完成度への意識に違いがある、というだけの話になる。

日本でもアイドルが憧れの対象的な意味を持っていた時代もあったが、80年代半ば以降の日本アイドルは親しみやすさを重視する方向に舵を切っており、未完成な姿で青春っぽい姿を見せ、ファンの青春欲を満足させることが、アイドルの存在意義かのような形になってしまった。

K-POPがかつてないほどに世界的に勢いを増し、日本にもその文化を持ち込むことで融合も始まりつつあるこの時代に、日本のアイドルはどうあるべきか、改めて考えねばならないと思う。

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