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祝福を浴びれば描くビジョンは壮大

SUPER★DRAGONさん、メジャーデビューおめでとうございます。今日は記念すべきメジャーデビュー日によせて…というよりはかこつけて、今更ながら昨年末の999の感想と、今私が彼らに対して考えていることを書きたいと思います。ふとスマホのメモを見返していたら999の直後に残していたものが見つかって、当時は上手く言葉にできなくて諦めたけど時間が経って離れた場所から客観視できる今なら組み立てられるかもしれないと思い立って。それとメジャーデビュー曲「New Rise」についても少し。



999を思い出して

さっそくまずは999当日に感じたことから。昨年の12月22日、満員の豊洲PITにて彼らのメジャーデビューが発表された日。9月23日のスターライトトーキョーで彼らに惹かれたものの翌日も同イベントのチケットを取っておりドラフェスを逃していた私にとって、初めての単独ライブだった。

チケットの当選メールが届いてからずっとずっと楽しみにしていたのは勿論だけど、999がついに始まった実感がなかなか湧かなくて、Pendulum Beat!Monster!はボーっとしていた気がする。いきなり余談だけど、毅くんがサングラスを取る瞬間を楽しみにしていたのにいつの間にか取っていて残念だなと思いながら後日配信を見返したら、ペンビのド頭のターンするところで吹っ飛ばしていることに気付いて爆笑した。それを受けての和哉くんと彪馬くんの大爆笑もめちゃくちゃ良いので元気を出したい時に見てる。


モンスターが終わった後のみんなの挨拶を聞いてようやく999が始まったんだ、スパドラにまた会えたんだと実感して(2日前にも見てはいるんだけど)次のWARNINGはめちゃくちゃ泣いていた。ステージの彼らを見ていたら好きになってからの記憶や感情が一気に雪崩込むように蘇ってきて、見つけられるところにいてくれた彼らと彼らを見つけて変わった私を想って泣いていた。たぶん泣く感じの曲ではない。

999で一番衝撃的だったのは次のDon’t Let Me Downかも。毅くんが。毅くんが…綺麗だった…………本当に。WARNINGの最後から古川毅くん最高古川毅くん大好き古川毅くんが命ですになってはいたんだけど、特に2番サビが最高だった。友達とこの話をする度に「毅だけ違う曲歌ってたもんね」って言ってるんだけど、毅くんの音楽って本当に自由で抒情的で刹那的だ。ああ今乗りに乗ってるんだろうなって時は聴いてて分かるし、その日の毅くんの音楽はその日にしか無い。だから彼がライブを欠席した日に不在を実感するのは彼のパートで音源が流れてる時だし、彼が自由に音楽をやればやるほど私も楽しく気持ちよくなる。そんな彼が〈Song For Me〉と歌うからドンレミが大好き。

毅くんがV字のセンターに立って光を浴びながら歌っていたのが衝撃的なまでに綺麗すぎて、何回配信を見返しても脳内のスクリーンには当日の記憶が鮮明に蘇る。あー、古川毅くん大好き


この後は、かなり歌詞が沁みることが多かった。ひとつはBurning in the nightsの〈音楽で死ぬならば本望さ〉。これを好きなアイドルが歌ってくれることの凄み、彼らは分かってるんだろうか。”音楽で死ぬ”ってまあ物理的にはありえない事象だけど、私はこの歌詞を”楽曲についてのこだわりを捨てさせられるくらいなら全部辞める”って意味だと解釈している。それだけ音楽に懸けてるから、みたいな。勝手だけどね。

もうひとつバーニンから〈Money on my mindじゃできない これは This is the fight for sure〉と、Revolutionから〈Gotta Move On ただずっと追い求めてきたこのRevolution〉。mirrorが出た頃にはもうメジャーデビューは決まってたのかな、分からないけど、メジャーデビューによせたみたいな歌詞。彼ら自身がメジャーデビューできてよかったと思える変化が起きること、そんな環境にいられることを祈ります。願いを込めて創ったものが、少しでも願った通りに叶うといいね。


それからBROTHERHOODの〈後悔しない生き方〉。ジャンくんが歌い方を変えてたのもあるけど、ここがやけにくっきりと聴こえて涙が出た。超特急のB9に行った時の初乗車レポートでも「この歌詞が一際くっきりとした輪郭を持って耳に残っている。」と書いたことがあるんだけど、アイドルが歌っているところを目の当たりにすると音源で聴いていた時は特別耳に残っていなかった歌詞がいきなり心に響いて届くことがある。スパドラが歌うからこそこの歌詞が説得力を持つし、私も彼らみたいに生きてみたくてたまらなくなった。アイドルになりたいというわけじゃなくて、やりたいことをやりたいと主張して自ら行動に移して形にする、自分自身を臆さず晒す、そんな生き方がしたいと思った。


二つ目の柵あたりのスピーカー前にいたんだけど、もう本当にずっと最高だった。Revolutionのイントロとかめちゃくちゃ鳥肌立ったし、やっぱりスパドラの音楽って適当に買ったイヤホンじゃなく音響が整った場所で爆音で聴くのが一番良いんだと実感した。彼ら自身のことが好きっていうのもあるけど、私がスパドラの現場にできる限り行きたい理由は音楽を生で聴く価値にあると思う。



あと、彼らを知ってからSUPER★DRAGONのグループとしての共通目標はどこにあるんだろう?どこを目指して活動してるんだろう?とずっと思っていたから、一番大きな目標はドーム、その為にまずは武道館ってはっきりとしたものを共有してくれたことが嬉しかった。隙自語だけど私は達成したかどうかがYES/NOで判断出来ない目標や明確な目的が無い行動が好きじゃなくて、彼らに対してもまさか好きな音楽をやってられたらいいわけじゃないよね、と思っていたので、これを聞けてかなり本当にウルトラ嬉しかった。



一番最後、捌ける前にありがとうって手振ってる時に和哉くんが泣きそうな顔をしていた気がして、でも笑顔のまま捌けていって少しもどかしくなった。私の願望混じりの見間違いかもしれないし見せない強さと意地が好きでもあるけど、あの時引っ込めた涙を見れる日が来たらきっと私は彼にまたひとつ深く沈むのだと思う。最近読んだ小説にこんな一節があった。

爆弾の閃光や火事の炎や火山の噴火でも、その恐ろしさとは別に、明かりがあって、それは否定しようもなく綺麗で目を離せなくて何度も見たくなるということは、つまり美というものは倫理とは別のところにあるということ、ただし批評は倫理とともにあることを僕は読む人に分かってほしかったのだ。人の全身を包む炎を美しいと感じながらも美しいと思わないとき、美しいと感じることも美しいと思わないことも正しいのだ。

舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』

美というものは倫理とは別のところにある。久しぶりに私の哲学にかなり大きな衝撃を与えた言葉だった。人が感情を昂らせて流した涙を綺麗だと言うことは倫理的にアウトなのかもしれないが、やはりアイドルの涙は美しいと感じてしまう。デビューメンバーに選ばれた時、初めて自分のメンバーカラーのペンライトを見た時、ファンの歌声を聴いた時。偶像という肩書きを持っても感情があり、彼ら彼女らは様々な場面で涙を流す。私は和哉くんの涙が、見たい。




私のスパドラ論2024

ここからは一晩経って12月23日、カレンダーイベントの朝に残していたものと今のSUPER★DRAGONに対する心境。心境?合ってるか分からないな。こんなスタンスでBLUEをやっていますという表明みたいなものかも。見出しに2024と付けたのはこれから変わっていく可能性が十分にある(好きになってからの半年でも変わり続けている)からで、2025年には全く違うことを書くかもしれないし、はたまた全く別のグループに入れ込んでいて2025版が出ない可能性も大いにある。あとこれから書くことはあくまで私の感じ方であって、注意書きすることすら烏滸がましくて当たり前だけど、BLUEの総意ではない。


過去にも現在も色々なグループを好きな私がSUPER★DRAGONにこんなにもゾッコンになっている理由として、クソデカ感情が無いというのが大きくある気がしている。新規だからまだ情が湧いていないんでしょって言われるかもしれないけど、これから何年好きでいてもきっとこれは変わらない。”幸せになって(泣)”とかを思っていない。これは勿論彼らに不幸でいてほしいわけではなく、私なんかがそんなことを願わなくても彼らは彼らの力で、彼らのやり方で彼らなりの幸せを手繰り寄せるのだと分かりきっているからだ。

音楽シーンにもファンにも媚びることなくSUPER★DRAGONらしさを模索しながら貫く彼らを見ていると、私の愛を祈りに変える必要はなくて独りよがりに彼らを好きでいていいのだと思う。たぶん度々ツイートしていることではあるんだけど、彼らのステージを見る度に彼らとの境界線がはっきりしていくような感覚があって、私も私で幸せにならなきゃ 自分にだけは期待して生きていたい 私も夢を叶えたいと深く思うようになる。彼らの生活が見えないことと同じように、私も彼らから見えないところで私を生きなければと思う。


アイドルを応援していると普通はファン歴に比例してだんだんと情が湧いてもたれかかってしまうものだけど、999を見ながら漠然と他人だなあと思っていた。好きな他人。大切な他人。CDやライブ等にお金を落とすことは別として、彼らの活動の責任は私に無いし私の人生の責任もまた彼らに無い。どのアイドルだってそうだと言われたらそりゃそうなんだけど、自分の人生に意欲が湧くようなポジティブな方向で隔たりを感じられることが今の私にとって価値があるのだと思う。


さっき”ゾッコンになっている”と書いて気付いたこと。惹き付けられている、惚れ込んでいる、肩入れしている、夢中になっている、人生を懸けて応援したい、一生好き。今まで私が推しグループに対して使ってきたような言葉のどれもが似合わない。”ゾッコンになっている”もどこかズレている気がする。今までは誰かを好きになると自分の人生のメインコンテンツがその人になるような感覚があったけど、今の私はSUPER★DRAGONをハチャメチャに好きでいながら、別軸で、自分の足で立っている。今までは自分の生活をも犠牲にして破滅の瀬戸際を伝うことがオタクの美学なのだと思っていたけど、今の私は私を生きることが最優先事項。

今までは不健康に浸っているほうが心地よかったけど、SUPER★DRAGONに出会って健康に生きる気持ち良さを知った。そんな感じ。これはたぶん他にも色々なタイミングが重なってて、20歳で社会人1歳の私×SUPER★DRAGONの相性がこの上無いほど良かったのだと思う。




メジャーデビュー曲「New Rise」について

せっかくなので曲についても少し書きたい。和哉くんはいつも歌詞の意味を考えてほしいと言いながら絶対に答えを教えてくれない人。この前のキラリの配信でも「読めば分かるよ」と言った直後に「気づいたら天才だなって所がある」とも言っていて、もう、何。どっち。という感じなのですが、2月11日のリリイベ初日からずっと考えてきたことを軽く書いておく。

We need a BLUE light 真っ赤な嘘に用ない
ひとつ照らされるたびに影の濃さを知るんだ

私が一番好きなのはここ。初めてリリックを見た時、BLUE light↔真っ赤な嘘の対比にク~~~~!!!またこの人はいとも簡単にこういうことをする~!!!と超痺れたのですが、歌詞の意味も気になります。BLUE light=ペンライトでもあると思うけど、青信号の意味もある?と思ったり。でも調べたら英語で青信号はgreen lightらしいから関係ないかも。まあ普通に青信号が続くといいねとは思っている。赤信号みんなで渡ればなんとやらと言うけど、ルールを破る勇気よりルールの範疇で運を味方にして突き進む方がカッコいいに決まっている。

〈ひとつ照らされるたびに影の濃さを知るんだ〉抽象的すぎて、お前らここの意味考えろよって言われてるみたいな歌詞。私はBLUE lightから繋げて一本のペンライトに隠された色んな都合や言えない事情(アイドルを辞める日/MAPA)も伝わってるよ、みたいなメッセージなのかなと願望混じりの考察をしている。それとシンプルに出る杭は打たれる的な、ひとつアクションを起こす毎に理不尽も浴びてますよ的なのもあるのかなあ。


ラスサビにかけてのラップも和哉くんが書いたらしいんだけど、和哉くんって”すら”とか”さえ”とか得意だよなあと思う。ひとつの事象を裏側から見るのが得意というか、ひとつの言葉から派生して浮かぶ言葉も多いんだろうな。Bad Bitter Honeyの〈めかし込んだ気がしたけど背伸びだった〉とかもそうなんだけど、少し角度を変えて見たり含意の範囲を少しずらしたりするのが上手いのも彼の日本語の好きなところだ。


きっと関係ないけど頭によぎったもので言えば、〈背中の傷〉、剣士の恥…。これはたぶん本当に関係がない。でも同じこと考えてる人いそう。あと〈俺ら龍(流)で〉のところ、Mada’ Mada'でも〈俺ら流の!〉という歌詞があることに気付いて、もしかしてこれまでの曲の歌詞が散りばめられてたりする?と思って少し調べてみたけどニアピン程度のものしか見つからなかったので偶然かな。

あと曲中に何回か〈最後に笑える〉ってフレーズが出てくるけど、今も笑っててほしいね。正直私はこの言葉が好きじゃなくて、最後に笑う為に今歯を食いしばらなきゃいけない場面もそりゃあるだろうけどその”最後”の前に最期が来たらどうするのって思う。歯食いしばるより歯見せて笑おー。ダブルピース。気楽すぎたかも。


そんなこんなで、改めてメジャーデビューおめでとうございます。Just SUPER★DRAGON rises on!They call me SUPER★DRAGON!まだまだイケるぜSUPER★DRAGON!

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