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5.【第1の表現スタイル】「この世のすべては点から成り立っている」について。


「この世のすべては点から成り立っている」とは2023年の現在、
イドが「潜在意識を意識」というテーマの抽象画をつくる時に意識している1つのコンセプトです。


と、本題の前に少しだけ「テーマ」と「コンセプト」の違いをお話します。

イドも調べて分かりやすかったのは「ディズニーランド」の例え。


ディズニーランドのテーマは「夢の国」、
そしてコンセプトは「ミッキーというマウスが夢みる魔法の世界」や
「人形が生きるトイストーリーの世界」といった夢の国につながる様々な「物語」があります。


しかし「夢の国」そのモノをひとつの表現方法だけで伝えようとすると
作品自体は変わってもなんか同じ様な感じになり、
夢の国をもっと知りたい人からすれば結局は何が言いたいのかとその都度考え直さなければいけません。


それならテーマに合わせたコンセプトを様々なジャンルで表現すると、例え過去の作品とジャンルが変わっても夢の国のイメージをひとつの図鑑のように伝える事ができます。



なぜなら「夢の国を表現する」という風なテーマが定まっていなければ
「なぜマウスというキャラクターなんだ?」「え、次は人形が動く物語りなのか??」
とディズニーがアニメーションやテーマパークをやりたいのは分かるけど、
どうしてマウスや人形が生きる世界の作品をつくるのか。という疑問が生まれてしまうからです。



まあ、ただ作品をつくるなら「理由」や「テーマ」などは必要ないと思いますが、

「長く続けるブラント作り」や「自分の潜在意識で感じている表現を明確に伝えたい」のであれば
「夢の国」というテーマがあるだけで「なるほど、ディズニーは私たちに日常から非現実的な空間を提供して少しでも幸せな気持ちにしたいのか、、」
とある程度の信念が伝わるので次の作品もそんな作品なんだ。と集中して体験する事ができるのです。


つまりテーマは「マクロの広い意識」、コンセプトは「ミクロのせまい意識」という大と小のような意識の種類ともいえます。



しかし、なぜ両方とも必要なのかというと、

テーマの活動だけなら伝えることが大まかすぎて「作品そのもの」を鑑賞する時に「夢の国という作品なのは分かったけど、夢の国って結局は何なのか」と根本的な疑問が残ってしまいます。

そしてコンセプトの活動だけなら「ミッキーというマウスがこんなことをするのか」や「トイのストーリーでこんな表現をしたいのか」
と作品そのものが伝えたい事は具体的に伝わるけど、
ディズニーというブランド、または会社として「その作品を作って何がしたいのか」
という作品を深掘りする時の迷いが生まれやすくなります。


要するにテーマはある程度の方向性、
コンセプトは具体的な道しるべ。
という意識なのですが、2つとも意識していると活動がより明確になり、見る人にも伝えやすくなります。


ですのでイドは活動のはじめにブランドのテーマを定めて、それに合うコンセプトをつくりブランドを明確化しているのです。





そして本題に戻ります。


NHのテーマは「潜在意識を意識」という大まかな内容なので、
「脳内の未知な領域から発生する潜在エネルギー」を明確化するために「点の意識」というコンセプトをつくりました。


なぜ点なのかというと、シンプルに表現できるからです。

ようするに「侘寂や芸術の作品から感じる目に見えない感覚」や、
「言葉と文章から伝わる言霊のような表現者の意図」を伝えようとしても抽象的な内容になり、あとは受け手の解釈にたよるしかないからです。


そして「実際に」目で潜在エネルギーをとらえる方法は現代の技術には無いと思ったので、感覚を少しでも意図的に伝えるには基準となる羅針盤が必要と思いました。


なのでシンプルにも複雑にもなれて、丸の様な完璧から和らげた「点」という羅針盤を使う事で
「潜在意識」という「物体の認識から生まれる派生の感覚」をシンプルに表現しています。


つまりイドの潜在意識を伝えたい。というよりは人間誰しもが感じる「その潜在的な感覚」をイドがカタチにして「コレってどうすれば他の方法で表現できるのだろう」
と潜在意識を意識する「キッカケ」を表現しています。

なぜなら作品は手段であり、イドが伝えたいのはテーマという概念だから。

その概念を伝えるためにひとつのコンセプトで抽象画、そしてブログ記事をつくって潜在意識を意識する法則を探しているのです。


もちろんこの記事を書いている現在も「潜在意識とは」という答えを明確に発信できていると思ってはいないのですが、
記事をはじめから読まれている方にはイドがなぜ潜在意識というワードをテーマにしてアート活動をしているのか。くらいはお伝えできていると思っています。


ですのでコレからも学びと挑戦を続けて、
その中で新たな仲間にも出会い、イドのいう「潜在意識を意識」について「具体的な面白いとらえ方」を表現していきます。







それから「この世のすべては点から成り立っている」というコンセプトにした理由についてですが、
世の中のモノゴトを「ひとつの点」として意識する様になるとシンプルに行動できてスムーズな人生を進む事ができる。と思っているからです。


この「シンプルにスムーズな進み方」は大なり小なりの目標を達成する時に役立つのです。



そしてモノゴトをひとつの点として意識していないと、モノゴトを進める時にあれもこれもと「同じ内容として」考えてしまい、
答えをどうしたいか自分でも分からなくなるからです。


イドもたまにやってしまうのですが、
ひとつの判断が終わってもいないのに考えが進むと思ってあれもこれもと次の事を考えると結局何も出来なくて立ち止まってしまう時があります。

その原因を図形で例えると、モノゴト「そのモノ」はひとつの点でしかないのに、とらえる人間がそこに必要のない点を重ねてしまって複雑なカタチにしているからです。


それなら中途半端に考えの冒険はしないで「ひとつの判断を終えてから次にうつる」、という風にある程度は点でまとめる意識をとるとスムーズに考えを進める事ができる様になります。



そして考えを完璧に近いカタチで点にまとめた方が質は良いですが、侘寂びの様に完璧なモノゴトはないと思っているので「60%くらいのある程度」にまとめるともっとはやく考えを進められます。



つまり成功までの道のりや世の中の複雑な悩み、問題というのは細分化するとひとつの点に過ぎません。

しかし点を意識しないと気づいたら複雑になっているので
「考えを冒険しそうになったら」一度立ち止まり、「コレはこれ」という風に成功の明確化や悩み、問題の軌道修正をしてみましょう。


そして分岐点として達成や解決の順番を定めて
ゲームのダンジョンをクリアするように少しづつ自分のペースで進めば気がつくと成功を手に入れている。といった経験になります。



それからたとえ成功が見えなくなったり、悩んだり失敗しても「信念をもとに」諦めず進む事ができていれば絶対にゴールにはたどり着くので、
あとは「あなたが今どうするか」でひとつの点が未来の望むカタチに成ります。


そんな「点を意識する」作業が潜在意識を意識するコトでもあり、
気づけば「あなたなりのスタイル」をつくる活動になるのです。



要するにモノゴトを進めるときは分岐点として意識をひとつにまとめる判断をとると、目標までの意識がシンプルになりスムーズに進むことができます。

その作業は「普通すぎて」明確に取り組もうと思はないがゆえに気づいたら判断に迷う結果になるので「あえて立ち止まる作業」も結果的にみると作業が早かったりします。


「近道は遠回り」ですね。



それと少し話が変わるのですが、
物理的にモノをとらえてみると、
人間を含めたモノのすべては素粒子という小さな点の集まりでつくられていて
素粒子同士は反応し合うと言われているため物理的にも点が重要と思っています。


なので「潜在意識のエネルギー」を物理的な素粒子としてとらえる事も可能で、
素粒子同士は反応し合うから「気が合う」とか「なんか良い」という言葉があると思っています。



つまり素粒子という物理的な点からみても潜在エネルギーはあると思っているので、
点の意識で行動していると潜在エネルギーが引きよせられて
必然的にモノゴトが進む確率が高くなると感じています。



それから極論を言うと、「モノゴトをものすごく遠くからみると小さな点になる」から点の意識に確信をもっています。


例えば「鳥の視点」と言われているようにモノゴトをボードゲームを見るようにとらえると「コレはここでコレはここに必要、、」みたいな感じで取捨選択が行いやすくなります。


イドもよく行っているのですが、モノゴトをノーマルな紙に言葉にして書くと鳥の視点になれて「本当に」やりたいコトをとらえやすくなります。


つまり複雑な潜在意識を意識するためには
点という言葉や何かによってカタチにする作業がカギになるのです。


というようにイドは「この世のすべては点から成り立っている」をコンセプトにしてから様々な点の法則を信じて実践したところ、
人生をスムーズに進む事ができたのでアート活動の表現に取り入れています。

皆さんも「点でとらえる人生の進み方」お試しください。






それから次は点の意識が重要と思う様になったキッカケをお話しします。


それは「点がつながって線になり面をつくる」というような言葉を知ってからです。


そして「その意識」は文化や生活の改善につながる真理になるのではないか。と思っています。



なぜなら先ほどもお伝えしたように、イドは「個人の迷い事、世の中の成功の根源」はひとつの点からはじまると思っているからです。


ですので、はじめの点につながる「次の点」が増えるほどモノゴトを進めるイメージとしては少し複雑になってくるため、
その点が線としてつながり、「好きではないモノゴト」の場合は「迷い」という結果になると思っています、、



しかし「好きなモノゴト」であれば、それにつながる点を増やす事によって線として感じる様になり、線の質が高くなるほど「成功」という現実に近づけるとも思っています。

なぜなら「成功」はアート作品と同じで終わりがなく、自分の判断で達成するコトだから。


なので「自分なりの」点と線をつくり、迷いも含めて成功に近づく線の質を高くすると「面」としてもとらえる事ができる様になり、「考えるよりも感じる経験」としてつくれる様になるのです。

その「点を置き、線で繋げ、面でとらえる作業」が潜在意識に記憶することでもあり、本当にやりたいコトを体感する「夢の実現」につながるとイドは感じています。


つまりネガティブな事の「解決」や、ポジティブのための「成功」には点→線→面という順番で意識すると
シンプルな思考でスムーズにモノゴトが進められる様になり、
出来なかったコトが「いつの間にか」自分の中では出来てあたりまえの現実になるので、出来ないことのストレスがへります。


その結果、「自分のことで精一杯だから余裕がない」という意識がへり、
周りにも意識を向ける余裕が生まれるので、「助け合う点が増えて世の中のストレスをへらす線も必然的に増える」、、、

と思っているので「この世のすべては点から成り立っている」という点の意識は文化や生活の改善につながる真理になりえる。と信じるようになったのです。


もちろんこの世に完璧はないので世の中のすべてにストレスがなくなるとは思いませんが、
「自分の本当にやりたいコトが分からなくなり悲しくなる」というストレスはなくなり、
せめて「指のささくれが痛い」という程度のストレスだけにはしたいと願っています。








最後にイドが「点の意識」やテーマの「潜在意識を意識」という表現をなぜ信じて、アート活動にしてまで進めるのか。という信憑性をお話しします。


ここまで記事を読まれた方はある程度「意識」や「感覚」や「必然」というみえないコトの信憑性をもたれていると思いますが、
まだ半信半疑の方に向けてこのまま書き続けます。


最近の経験を例に言うと「このブログ記事を書く事」に関する内容になるのですが、
まず、ブログを書こうと思った理由は「イドの表現を抽象画だけでなく文字も使って明確化しよう」と思って書きはじめた事がはじまりです。


しかしはじめは「こう思っているからこう書こう」と意識していることも文章にできないほど言語化が下手でした。

この部分が「悩み」であり、思ったことを伝える。が「成功」になる基準です。



それから文字を書き進めることはもう27才なのである程度はできるのですが、
一晩寝かせて読み返すと「この記事は何を伝えたいんだ、、、」と思うほどでした。

もちろん「こんな感じでこういうことを言いたいんだろうなー」となんとなく理解はできるのですが、
自分でも「なんとなく」の理解なので人に伝える文章ではありませんでした、、



つまり「イドを文章でも伝える」をいう「面の」成功に向かって進んでいたつもりが初めの点をつくることもできなかったのです、、、



しかしこの時すでに点の意識に気づいていたのでネガティブに悩むことはなかったのですが
もし「成功を明確にとらえていなければ」悩んでいたかもしれません、、、

なのでまずはひとつ目の点をつくろうと思い、文章を書いて成功されている人の本や、ネット検索や、YouTubeをみる学びに入り、並行して「イドを伝える記事」を書き進める練習もします。


補足するとイドが書きたい記事とは日記みたいに独りよがりの記事ではなく、「イドの表現を伝えつつ読者のためになる文章を書くこと」です。

そのためにはイドの潜在意識という本音を経験という物語で「伝える」事が重要なので、日記ではなく伝記を書く文章スキルが必要なのです。




なにはともあれ当時のイドはひたすら学んではAppleのメモ帳に伝記を書く練習を続けます、、

この時の確実に成功へ向かう秘訣は「自分の成功につながる先人を見つけて教えてくれている事をスライドしてマネする」コトだと思います。

ブログや文章で言えば、ほとんどの人が「結論、理由、再結論の構成で記事を書け!」という教えをされていました。

あとは「先人はこれを伝えたかったのか!」と自分なりに感覚で理解するまで「作業を進める事」です。

その時に天才は一発で理解します笑、

けれどイドは聴力が弱く、物分かりの悪い凡人なのでその上でも得意と言える「悩み止まらないスキル」を有効活用して一点集中のモードで進みます。。。


つまりこの辺は「作業量が多い」や、「人から聞くスキルが上手い」という風に自分の得意なスキルを使って進めると言う感じです。


少し脱線しましたがイドはブログ記事を書く「ある程度の成功」に挑戦した時は、

・本、ネット検索、YouTubeの学びという時間の点を意識して、

・それにつながる実際の筆記作業を続ける時間の点を意識して、

・55%は完成と思えたら区切りをつけて見直す時間の点を意識して成功までの道しるべをイメージします。


そしてできなかったコトや、次に必要なコトをさらに学ぶ時間を意識して線の質を高くして、

理解できたらできなかった記事を編集する作業でさらに線の質を高くして、

55%でも区切りをつけて見直す、または先人にアドバイスをもらう事で、さらに線の質が高くなるので

この様な作業を続けると「いつの間にか面でとらえるスキルになっていた」、、、
という成功に繋がった事をイドは「意図的に感じている」ので「点の意識」や「潜在意識を意識」には信憑性があると思っています。


もちろん侘寂のように100%完璧な成功はないので、言語化スキルはまだまだレベルアップが必要ですが、以前のできなかった自分よりはできる様になっています。

というかここまで文章書く人ってネットなら多いけど実際に探そうとすると周りにあんま居ないですよね、、、



つまりイドはこの「信じる法則」で「文章で伝える」と言う活動を含めて、
「高校中退から料理人になる」、
「画家でお小遣いを稼ぐ」、
「本当にやりたいコトを意識する」、
「アート活動人として抽象画を描く」

という活動も自分なりの基準で成功し続けているので「点の意識」や「潜在意識を意識」という言葉を信じているのです。





以上が「この世のすべては点から成り立っている」というコンセプトについてです。


あらためるとイドのテーマは「潜在意識を意識」


その法則を明確化するためにひとつの手段として、点のコンセプトで感覚を意図的に表現している、


点で感覚を表現する事で潜在意識を意図的に感じる事ができるので、潜在意識を意識するテーマの表現につながる、


そして「潜在意識そのモノ」をあらためて意識する体験をキッカケに
「本当にやりたいコトを行う人生をつくる」ためのアート活動を通じたサポート活動を行っています。



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NATURAL HUMAN『潜在意識を意識』
アート活動人「I°」(イド)

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